(※写真はイメージです/PIXTA)

一進一退のように見えたALSですが、ご存じのように未だにその治療法は見つからず、進行を遅らせることしか手立てはありません。いちばん辛いのは本人であり、その葛藤も計り知れないものです。同時にこれを支える家族もまた、その心中は穏やかではありません。小康状態に安心したのもつかの間、着実に病魔は進行していきました。

医師から告げられた介護方法の選択肢

帰宅して家族の誰もが感じたのは、病院だから大丈夫という安心感と、24時間の緊張状態から解放された安堵感でした。父は自宅の介護ベッドで寝ているときに、家族を呼びたいことがあります。トイレや寝ている姿勢、手足の曲げ伸ばしから鼻が痒いなど、そんなことでも、という内容のことでも呼ばれます。

 

ただ、これは呼ばれる側の主張。例えば鼻の横が痒かったら、人は無意識のうちにかいています。しかし、ALS患者はこれができません。誰かにかいてもらって痒みから解放されなければ、それが永遠に続くのです。今思えば父にしてみても、拷問のように感じていたのかもしれません。

 

トイレの問題にしてもそうです。生理現象だけにいつまでも我慢はできませんし、排出しなければ健康的にもよくありません。ところが、身動きができずに脱力した状態の人というのは、想像以上に重たいのです。ベッドから車いすに移動させるときに一度抱え上げて座らせ、トイレでは便座に座らせるために抱え上げるわけですから。オムツをつけるよう父に話をしたこともありましたが、やはり気持ちが悪いということで最初は拒否をしていました。そのため、日に数回はかなりの重労働をすることになるのです。

 

介護しているときには正直、誰もが「またか」という思いを抱いていました。舌打ちが始まると、今度はなんだろうという嫌悪感のようなもの。数日ならともかく、これが年単位で続いていくと、きれいごとだけを並べるのではなく、家族の気持ちの中にも不満は鬱積していくのです。そうしたことから一時的とはいえ開放されたわけですから、安心感と安堵感が広がることは当たり前だったのかもしれません。

 

ただ、人というのは勝手なもので、入院した翌日には、家にいたときのように看護師さんたちは面倒を見てくれるのか心配になっていました。父の様子を見に病室へ行くと、以前と比べて弱々しくなった声で「家に帰りたい」というのです。看護師さんたちとの相性もあるようで、あの人は優しいけどこの人はおっかない、などの不満も口にします。やはりわがままを言えるのは、家族だったのでしょう。

 

ひととおり身の回りの世話をしていると、担当の先生がいらっしゃいました。先生は私と弟、母が見舞いに来ていたことを知ると、別室で話がしたいと言われました。そこで、今後の父の治療と介護についての説明をされることになったのです。

 

通された部屋で、先生は専門の施設で介護を受ける選択がある、というお話をされました。これまでは日常的な世話をしてきただけですが、これからは人工呼吸器を装着しなければならない生活になる、というのがその理由です。これまでの介護にしても数年間続いており、家族が疲弊していることを先生は指摘されました。日常的な面倒を看るだけではなく、自宅で介護を続ける場合には、家庭用の人工呼吸器を導入し、それこそもっと注意深く観察をする必要があるから、ということが理由でした。

 

ただ、その場で「はい、そうします」と答えられるような内容ではありません。施設に入れば、たしかに私たち家族の負担は減ります。誰かがそばについていなければいけない状態ではなくなるので、自分たちの時間を作れるようになることも確かです。しかしその場合、父は最期のときを迎えるまで、施設を出ることはなくなるでしょう。私たちはこの結論を出すまでに、数日時間が欲しいことを伝え、病院をあとにしたのでした。
 

 

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