渋沢栄一が「生活難」をよしとしたワケ
■格差が進歩を生み出す
人間というのは、集団になれば必ず競い合いようになる。競い合っている間に、貧富などの格差のたぐいが生じてくる。するとあっという間に「生活難」が現れてくる――。
こういうのは、いわゆる「適者生存」という進化の法則、または生活原理から見ても避けられないことだろう。つまり、生活難というのは、いいように捉えるなら「国力が進歩している証拠だ」と言ってしまいたいくらいだ。
この生活難があるからこそ「もっといい暮らしがしたい」という希望が起こる。いくら生活を向上させても、そこには相対的な”生活難”があるだろう。
このようにして「どこまでいっても”生活難”がなくならない」というくらいの状態が、国としてのあるべき姿だ。
■「貧乏人叩き」は不毛
現代の生活難の人々に対して「それくらい我慢しろ」と言う人もいるかもしれない。ひょっとしたら余計なものにカネを使いすぎている人がいないこともないだろう。
しかし、こんにちの進んだ世の中で、昔のように「土の上に座れ」「ムシロを敷いて寝ろ」なんてことを勧めるのは、未開時代に帰れ、と言っているようなものだ。ずっと古い時代にとどまって前に進むな、と言うのに等しい。それでは文明の恩恵はどこにあるというのか。
渋沢 栄一
編訳:奥野 宣之