面倒な相続手続を「銀行に全部お任せ」したはずが…
Aさん(55歳)は、1ヵ月前に母(83歳)を亡くしました。実家の片づけをしていると、「遺言公正証書」がX銀行の資料とともに見つかりました。
遺言公正証書の内容はおよそ次のとおりです。
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①母が住んでいたマンションは、姉が相続する
②都内にある1LDKの賃貸物件は、Aさんが相続する
③金融資産はAさんと姉とで2分の1ずつ相続する
④手許現金を含むその他の財産はAさんと姉とで2分の1ずつ相続する
⑤母の生前債務・費用はAさんと姉とで2分の1ずつ負担する
❻①②③の遺言執行者として、X銀行を指定する
❼④⑤の遺言執行者として、Aさんを指定する
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Aさんは、母が生前に「X銀行が何でもしてくれるから、安心しなさい」と言っていたのを思い出しました。
「姉とは意思疎通がなかなか難しいから、X銀行がいろいろやってくれるのは助かるわ」
ただ、Aさんは❼が気になりました。遺言執行者として、X銀行と並んで、Aさんも指定されています。
「『手許現金を含むその他の財産』には何があるの? 今日、実家の片づけをしに来たけど、手許現金の有無・金額は自己申告制? 手許現金は母の財布の中身のみでいいの? 他には何もなかったわ、と言ったところで姉は納得する? 母の入院にあたって、叔父からの見舞金を姉が預かっているようだけど、遺言執行者の私は、一度姉から回収する必要があるの? そういえば、母の入院の支度時に、立替えをしているわね。生前債務・費用は折半と書いてあるけど、姉に何て切り出したらいいのかしら?」
Aさんのアタマにたくさんの疑問が浮かび、同時に不安になりました。
「X銀行は何でもしてくれるのではなかったの⁉ どうしたらよいかわからない肝心の④⑤は、なぜ私が執行者になっているのよ‼」
近年、銀行は「何でもやります」をあえて回避する傾向
Aさんが筆者の事務所を訪れたのは、母の家探しをした翌日でした。
「遺言執行者である銀行がすべてやってくれるのではないのですか!?」
Aさんは、多少興奮しています。筆者はまず、遺言執行者は万能ではないことを伝えました。
「たとえば、火葬・埋葬に始まり、亡くなったことに伴う各種行政手続は、家族としてすでにAさんはお済ませですよね? 各種公共サービス・民間サービスの停止や解除なども、家族が行います。これらは、遺言執行者ができることを家族がやったのではなくて、そもそも家族しかやれないことなのです」
「遺言者の未払いの医療費の支払なども通常は家族がやりますが、これらは、遺言内容によっては、遺言執行者もできます」
この「遺言内容によっては、遺言執行者もできる」というところがポイントです。
近年の銀行作成の遺言は、遺言執行者ができること、すなわち遺言執行者のミッションを、広げすぎないようにする工夫がされている傾向があります。これを筆者は、「省エネ執行」と呼んでいます。
そもそも「遺言執行者」は何をしてくれるのか?
「省エネ執行」について語る前に、遺言執行者の任務からお話していきます。遺言執行者の任務は、主に次のとおりです。
■遺言執行対象財産の現況を調査し、遺言執行対象範囲を確定する
■相続人に就職を通知し、遺言執行対象財産を遺言執行者の管理下においたことを伝え、遺言執行を妨げる行為を排除する
■遺言執行対象財産の名義変更や解約及び送金等の承継手続をする
■遺言執行の完了報告を相続人にする
これらを粛々と実施してくれる遺言執行者がいるとよい典型的なケースは、次のとおりです。
(ア)相続人が高齢であったり、相続人が繁忙であったりする場合で、遺言執行者がすべて手続をしてくれることで、手続に費やす労力を限りなくゼロにしたいケース
(イ)相続人間の関係があまりよくなく、遺言の内容を実現するためには、第三者たる遺言執行者が単独で手続を完遂したほうがスムーズなケース
Aさんのケースは、(イ)に該当します。
省エネ執行だと「最も任せたい部分」に手が届かない
銀行の遺言執行は、財産の承継に関するものを原則とします。実は、「財産の承継に関するもの」にも濃淡があります。銀行はどこまでやってくれるのでしょうか。
相続人からの需要が多い遺言執行者の任務に、「換価清算型」の分配というものがあります。
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<文例>
(1)遺言者が有する下記不動産を含む財産をすべて換価し、
(2)その換価金から遺言者の一切の債務を弁済し、
(3)遺言執行に関する費用を控除した残金を、長男に2分の1、二男に2分の1ずつ分配する。
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このような条項を定めたとき、遺言執行者の任務は意外と重いです。
【(1)財産のすべてを換価する】
⇒これにより、不動産や金融商品のような換価方法が定着しているものに限らず、骨董品や記念コインなどを含む有価物はすべて、家財道具などを除き、換価していく(現金化していく)ことになります。
また、換価とは言えないものの、遺言執行者の手許に、あらゆる相続財産を集約する趣旨と解釈すれば、部屋の手許現金や、生前の親族への預け金も確認していきます。
【(2)遺言者の一切の債務を弁済する】
⇒これにより、遺言者の債務や未払金の一切の支払を行うほか、相続人による生前債務の立替金の精算をしてあげることも、遺言執行者の任務に含まれるでしょう。
【(3)計算書を作成し、各相続人へ送金する】
⇒(1)と(2)をすべて完遂し、遺言執行者の責任において計算し、各案分割合に基づいて、受益の相続人それぞれに送金します。
このような「換価清算型」の遺言条項を入れると、次のようなケースでとても喜ばれます。
(ウ)子どもが相続人となる第一順位の相続であっても、相続人同士の仲が悪く、これらの細かなお金の精算の話は、感情が先走って到底まとまらないケース
(エ)兄弟姉妹や甥姪が相続人となる第三順位相続のケースで、とにかく面倒なことの一切を遺言執行者においてやってもらいたい、自分たちは口を開けて待っているだけ、という需要のあるケース
「換価清算型」の遺言は、かゆいところに手が届く遺言執行サービスと言えます。Aさんの場合は、ずばり(エ)のケース。にもかかわらず、肝心の部分を担ってくれるはずの遺言執行者が、X銀行ではなく、Aさんになっていたわけです。
このように、銀行の「遺言信託」サービスにおいては、少なくとも近年作成された遺言では、この「換価清算型」の内容で作成されているものは、まず見たことがありません。
換価清算型は、手間暇かかります。サービスとしての遺言執行を考えるとき生産効率が落ちます。そのため、仮に換価清算型の条項を作成したとしても、これらを執行する遺言執行者として、相続人の一人をあえて追加で指定しているのが通常です。
実は先日、20年くらい前にある銀行で作成された遺言において、換価清算型の条項があるものを見かけました。以前は、銀行も手間暇かかる任務を請け負っていたのでしょうか。
このような遺言の遺言者が、今、亡くなったとき、銀行は遺言執行者に就職して、最後まで実践してくれるのでしょうか。実際にあった体験談を、読者の皆様からお聞きしたいものです。
省エネ執行がもたらす、手数料と「結果」の落差
Aさんの持参した遺産の価額に関する資料と、X銀行作成の遺言の内容と突き合わせて、X銀行の遺言執行手数料の計算をしてみました。
<母の遺産のうち、X銀行の執行対象となる遺産の額>
自宅マンション:約2000万円
賃貸物件:約1500万円
X銀行のグループの預金:2000万円
その他の銀行の預金:2500万円
Aさんの母は、遺言作成時の価格を押さえるコースを利用していたので、遺言執行報酬は割高になるところ、X銀行の遺言執行手数料は約133万円(税込)となりました。なお、この金額には、X銀行が外注する相続登記の司法書士報酬は含まれていません。
Aさんは、自分の気持ちをこう語ります。
「この手数料を支払うことで、姉とのやりとりの一切がないのであれば、ストレスを回避できるという意味で妥当な金額だと思います。
でも、不動産や預貯金などのわかりやすい財産しかX銀行は手続をしてくれず、手許現金や預かり金、そして立替金の精算など、一番ストレスのかかる部分はすべて私が執行者として解決することになっています。
預金の払戻手続くらいであれば、姉と協力して何とかできると思います。不動産の名義変更は、それぞれが司法書士に依頼すれば事足ります。
でも、母の遺言に関してのみ言えば、X銀行の遺言執行手数料の意味は何なのでしょうか。母の『すべてX銀行がやってくれるから安心してね』という言葉の背景にあった、純粋な気持ち…。今、私が置かれている立場を見たら、母はどう感じるでしょうか」
遺言執行時の「こんなはずでは…」を防ぐポイント
Aさんの場合、意思疎通の難しい姉との間の遺産分割協議を回避するために、X銀行は母に遺言の作成を提案してくれました。遺言提案の場面として、よい事例だと思います。
一方で、銀行に任せきりですと、遺言の執行時に、残された相続人たちがどんな箇所でつまずくか、意外と気づかないものです。「省エネ執行」は事業者側の視点ですから、作成時にあえて、銀行から注意喚起はされません。
本稿では銀行を例にして解説しましたが、銀行以外の事業者(専門職など)が支援した遺言でも、「省エネ執行」の視点が入っていれば、同じ課題が生じます。
<まとめ>
すでに作成している遺言があれば、「省エネ執行」の観点に寄っていないか、本来執行者が自身でできることも追加費用をかけて別の専門職に業務委託をしていないか、確認してみるといいでしょう。
中には、「換価清算型」の遺言条項に対応し、相続人の面倒を極力なくすために、汗をかいている事業者(専門職など)もいます。
遺言執行内容と遺言執行報酬は、どこも同じではありません。比較的高額な価格帯のサービスと言えますから、せっかく高額な報酬を支払うのであれば、その価値が体感できるといいですよね。本稿が、皆様が遺言作成サービスを利用する際のお役に立てると嬉しいです。
鈴木 敏起
燦リーガル司法書士行政書士事務所 代表
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