一応の「解決」後も、長男の理不尽な行動は続いた
「そういう人が相手だと、話し合いでは解決しませんね」
「おっしゃる通りです。兄弟で話しても埒(らち)が明かないので、司法書士の先生に入っていただき、話し合いでそれぞれの相続割合を決めることになりました。それでも、兄は言うことを聞かず、遺産分割の協議がまとまるまでに半年以上かかったんですよ」
最終的に、都内の自宅を3人の共同名義にし、那須高原の別荘は兄が相続財産として引き継ぐことで、ようやく解決した。しかし「解決」といっても、その後も一樹さんのワガママは続いたという。
母親の清子さんを訪ねるたびに、実家の土地を共同名義にしたことを盾に「3分の1は俺の家なんだから地代を払え」とか、「地方暮らしも飽きたから東京に住ませろ」などと詰め寄ったそうです。
一樹さんは妻からも「同じ兄弟なのに、こんなに暮らし向きが違うのはおかしい」と常々なじられていましたから、母親や弟を逆恨みしていたようです。
お母さまは、このときの相続で疲れ果ててしまったのでしょう。だから「自分の相続では同じ轍(てつ)は踏ませない」という強い決意で公証役場に出向き、公正証書遺言を作成されたのですね。
しかし、そんなお母さまの願いもむなしく、彼女の死後に兄弟はさらなる泥沼の「争族」に陥ってしまいました――。
■有効な遺言があっても「争族」は起きる
お母さまの清子さんは、自分が死んだら長男の一樹さんに最低限の遺留分を遺し、財産の多くを淳次さんに渡す主旨の遺言を書かれました。その内容は「一樹さん4分の1、淳次さん4分の3」というものです。
お父さまの一次相続の際に、一樹さんには別荘を丸ごと渡しているのに、淳次さんには自宅の共同所有権しか渡せなかった。お母さまはそのことに後ろめたさを感じ、二次相続の際に淳次さんの相続割合を多くしたのでしょう。
その代わり、一樹さんには遺留分相当額の現預金を遺すことにした。法的には申し分のない遺言です。すべてはかけがえのない二人の息子がもめないようにと願ってのことです。