何が起きても「契約者の落ち度」になりかねない
契約書に署名・捺印したということは「そこに書かれているすべての内容を一字一句読み、納得し、同意した」ことを意味するのです。後から「そんな部分は読んでいなかった」「意味を理解していなかった」「まさかこうなるとは思わなかった」と主張しても、認められません。「それはあなたの落ち度である」とされます。
もちろん、一部の悪質な商法や貸金では例外があります。が、これは、契約内容が違法だとか、あまりにムチャクチャだとか、契約したときの環境が自由な判断ができる状態ではなかったとか「よほどひどい場合」だけです。また、悪徳商法による被害者の救済など、社会に利益がないと認めてくれません。あくまで例外と考えてください。
そして、いったん署名・捺印してしまったら、契約内容(契約書の文面)を後から修正することはほぼ不可能です。もちろん、契約相手が修正に合意すれば可能ですが、組織(企業や官庁)相手の契約ではまず応じてもらえません。
こうした「署名・捺印したらもう最後」は、私企業との契約だけでなく、警察の調書でも同じです。警察官による職務質問で、警察官の作成した調書に署名・捺印したことが、民事裁判で負ける大きな要因になった事例もあります。当事者は「後から弁護士を通じて修正してもらおう」と考えましたが、できませんでした。
これは警察が悪いのではなく、契約すべてにおいて、署名・捺印した瞬間、そういう法律的な効力を発効してしまうのです。判決文を読むと、裁判官は「あなたは署名・捺印しているじゃないですか。それはあなたが調書の内容にすべて同意したという証拠なのです」と言外に言っています。数々の刑事・民事裁判を取材してきた私も、この裁判官の判断は珍奇でも何でもない、ごく普通の判断であることを申し添えます。
これまで起きた多くの冤罪事件でも、そうです。数十年にわたって裁判官が被告の無実の訴えを信じないのも、裁判官は署名・捺印のある文書(警察官や検察官の作った調書)の方を重視するからです。いくら「この文面は警察官や検事の作文だ」「署名・捺印を強要された」「そういう状況に追い込まれた」と法廷で訴えても、信じてもらえません。「その内容に同意しないなら、署名・捺印しなければいいじゃないか」と裁判官は考えるのです。この背景には「契約」の考え方が横たわっています。
つまり「契約書にハンコをついたらもう最後」は、契約相手がそう考えるだけでなく、裁判官もそう判断する、ということです。判例もずっとその線を守っています。つまり、裁判に持ち込んでもあなたは負けます。99%負けます。刑事でも民事でもそうです。
見落としてはいけない「義務」と「免責」
契約書が怖いのは「あなたは〜できる」という「権利」だけではなく「あなたは〜しなくてはならない」という「義務」が書かれているからです。そして、契約相手の方では「〜はしなくてもよい」=「義務を免除する」=「免責」がちゃっかりと書かれています。署名・捺印したら、それも同意したことになります。「義務」や「免責」を見逃してはいないか多くの人は「あなたは〜できます」という「権利」ばかりに目を奪われて有頂天になります。そして「義務」や「免責」を見過ごします。
例えば、賃貸住宅を借りる契約書なら「あなたは物件Rに住むことができます」という「権利」にばかり目を奪われます。しかしそこに書かれた「退去時には部屋を原状回復してください」という「義務」は気にしません。「原状回復」とは何を意味するのか、知らないまま見過ごしてしまうのです。その結果が、敷金の返還をめぐるトラブルが年1万4000件という社会問題なのです。
自動車保険や火災・地震保険には必ず「免責」が契約書に書かれています。「こういう場合には保険金を払わない」という保険会社側の「義務の免除」です。
私自身の失敗を打ち明けましょう。私は東京で持ち家に住んでいます。ローンを組んで物件を購入したとき、火災保険と一緒に地震保険に入りました。30年、40年と持ち家に住む間には、大きな地震が起きると想定したほうが安全だと考えたのです。そして年額2万〜3万円の保険料を払い続けました。
そして6年目の2011年3月11日、東日本大震災が来たのです。私が住む東京でも揺れはひどく、廊下の塗装に亀裂が入りました(幸い壁そのものは無事でした)。さっそく保険を使って修理しようと保険会社に連絡したら「住宅内部には適用されません」と告げられ愕然としました。あわてて契約書を読み直すと、確かに隅に小さな文字でその趣旨が書いてありました。「部屋の内部が地震で壊れても、この保険はお金を払う義務を負いません」という「免責」が書かれていたのです。地団駄踏んで「払い続けた保険料は何だったんだ」と悔やんでも後の祭り。契約書には私の署名・捺印があるのです。
烏賀陽 弘道
報道記者・写真家