ムダな会議、懇親会…日本に多数生息する「時間泥棒」
会議の時間の問題は、その人、その組織の「時間意識のありよう」と直結しています。
日本も最近はだいぶ変わってきたようですが、それでもまだ、ビジネスにおいて時間の拘束、「そこにいることに意味がある」という感覚が強くあるように思えます。発言をしなくても、組織の一員としてその会議に出なければならないような、立場で拘束されている時間がけっこうあるのではないでしょうか。
その点、アメリカは能力主義で、達成度を評価する社会ということもあって、個々の時間に対する価値観には鷹揚(おうよう)です。成果主義ですので、勤務時間の開始・終了や、長さにはこだわらず、成果を上げれば評価されます。逆に、どれだけ長時間頑張っても、成果が上がらなければ無能だと見なされます。職場のつきあいやパーティに関しても、自由な時間に集まり、自由に情報交換を行うのが普通です。会の終わりまで必ずいなければいけないということはまずなく、それぞれ自由な時間に帰ります。
時間感覚がフレキシブルなのは、個々が自分の時間を大切にしたいと考えているのと同時に、他人の時間も尊重するためです。私も最初は違和感がありましたが、合理的な生活習慣とはこういうことだと、いまではすっかり身についてしまいました。
日本は治安もよくて、安全な国。ものが置かれていても盗られることもないし、お金も盗られない。たいへんいい国です。しかしながら、日本人はわりと平気で「他人(ひと)の時間は盗る」──。そんなふうに感じることがあります。
たとえば、長時間にわたって拘束される会議もそうです。「ご挨拶に伺います」といった表敬訪問というのもあります。せっかくお会いしたのですから、その場ですぐ本題に入ればいいと思うのですが、「いえ、今日はご挨拶だけ」と言って帰られるようなことも、けっこうあります。あるいは「懇親」「親睦」という飲み会など。「私はそういうのには出ません」と言いにくい雰囲気があります。
些細なことかもしれませんが、そういったことが、その人の貴重な時間を奪っているかもしれない、という意識がやや薄いような気がします。ほかの人の時間をむやみに奪わないということは、個人の時間を大事にするということです。盗られてばかりの人はたまったものではありません。そういう意識をもつことも、時間意識を変えていくために大事なことだと思います。