「こいつは頭がどうかしちまったんです」息子を見て…
◆こころの病は「個性」かもしれない
「こころの病」とされていたものが、社会の空気が変わりいつからか病気ではなく「個性」としてあつかわれはじめる――そんなことがと思われるかもしれませんが、皆さんがよく知っているところでもそうした例はあります。
私が精神科医となって福島の精神病院に勤めていたある日、父親につれられて1人の少年が診察にきました。見たところとくに異常はなく、どこにでもいる大人しそうなふつうの男の子だったのですが、父親は深刻な顔でこう言いました。
「先生、こいつは頭がどうかしちまったんです。男のくせに化粧なんかして母親の着物を着て、鏡の前で悦にいってやがりました。もう電気ショックでもなんでもやって、治してやってください」
そのときどう対応したか詳しいことは忘れてしまったのですが(もちろん電気ショックなどはしませんでした)、おそらく「思春期にはあることだから心配なさらず」と言って帰ってもらったと思います。ですが、昭和30年代の福島という時代と土地を考えれば、父親が息子の“行為”を発見して取り乱した心情はよく理解できます。
「障害があることを喜ぶ患者。」どうして?
女装趣味や同性愛は太古の昔から、世界のどこにでもあるものです。日本では平安時代から女人禁制の寺院で僧侶が「稚児」(12~18歳の少年修行僧)に女性の格好をさせ男色の対象としたり、室町~江戸時代には武士の間で「衆道」が盛んであったのはよく知られた事実です。
また、歌舞伎の女形が大人気を博したり、井原西鶴や近松門左衛門の作品にも数々の男色の物語があります。日本においては男色や女装は社会的にも認知され、許容された文化があったのです。
しかし、幕末~明治にかけて同性愛を罪悪とみなす西洋キリスト教文化の影響を受けて急速にタブー視されるようになり、以降は「おかま/おなべ」「おとこおんな/おんなおとこ」などと呼ばれ、ずっと差別・嘲笑の対象であり続けました。このとき「男は男らしく、女は女らしく」という価値観が、私たちの意識における「ふつう」の範囲を狭めていたのではないでしょうか。
風向きが変わりはじめたのは、体の性別とは異なる性意識をもつ人たちに「性同一性障害」という病名がついたことです。1997年に日本精神神経学会が「性同一性障害に関する答申と提言」を答申し、2003年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が成立しました。
これは性意識の問題であって同性愛とは根本的には異なるのですが、これまでいっしょくたに「きちがい」「変わりもの」としてあつかわれていた人々のなかに、障害をもった同情すべき存在の人たちがいたということがわかり、人々が少しずつ寛容さをもつようになりました。
私もいく人かの患者さんたちから、「正式な病名がついて、救われました。自分がきちがいなどではない。これは障害なのだと胸をはって言えます」という声を聞きました。障害があることを喜ぶというのもおかしな話ですが、それまでの世間のあつかいがそれだけひどく、本人たちがいつも肩身のせまい思いをしていたことの証しです。
ところが、近年はさらに進んで「性同一性障害」という病名もあまり聞かなくなりました。病気や障害となると治療・克服すべきものという意識になりますが、男性の体でありながら女性のこころを持つ/女性の体でありながら男性のこころをもつことを、自分の個性として大切にしたいという人が増えているからです。
アメリカではすでに「性同一性障害」(Gender Identitiy Disorder)という病名は使われなくなり、「性別違和」(Gender Dysphoria)という状態をさすことばに変わっているといいます。日本もいずれそのようになるでしょう。
しかし、大切なのはことばの問題ではなく、人々が寛容さをもってそうした人たちを社会に受け入れていけるかどうかです。人は誰しも個性をもっていますし、悩みの1つや2つは抱えています。こころの病をもつ人だって、皆さんと同じ社会の一員となれるはずなのです。
「生活保護の支給が生活保護者を苦しめる」ナゾ
◆生活保護が救いにならないこともある
ひとたび依存症になると、理性では「やめなきゃいけない」とわかっていても、もう意志の力だけではやめることができません。薬の服用や、さまざまなプログラムを通じた努力でしばらく〝離れること〟はできても、ふとしたきっかけで「またやりたい」という衝動に駆られて手を出してしまいます。「依存症は一生治ることはない、ただ“離れている”状態を続けるだけだ」といわれるゆえんです。
では、なにが「ふとしたきっかけ」になるかというと、回復途中においては「お金を手にしたとき」です。
たとえばアルコール依存の人が街を歩けば、そこかしこにお酒があります。赤ちょうちんの立ち並ぶ飲み屋街を避けたとしても、スーパー、コンビニ、牛丼チェーンでもお酒を売っています。そこへ行ってお金を出せば、簡単にお酒が飲める。ポケットのなかのサイフには、それだけのお金が入っている――となると、フラフラと近寄っていってしまうのが依存症なのです。
それでも、社会のなかで生きていくなら「飲もうと思えば飲める。けれど飲まない」ようになる必要があります。そこにいたるステップとして、まずは「お金を持たない=お酒を買えない」ようにしておくことが重要です。
依存症の人にはそれがもとで仕事を失い、家族に見捨てられ、完全に孤立してしまっているケースが少なくありません。そうした人は収入も貯金もありませんから、生活保護を受けながらデイナイトケアに通っています。
ところが、生活保護の支給日を過ぎると、パタリとこなくなってしまう患者さんが続出しました。まとまったお金が手に入ったことでお酒を飲んでしまい、酔っぱらってこられなくなってしまうのです。
あるとき、私は福祉事務所にこのような事情を説明し、「依存症患者の生活保護費は日払いにしてくれませんか?」とお願いしました。
ところが、役所というのは融通がきかないところで、「生活保護費の支給は月1回と定められています」「所定の日に全額を受け取れるのが受給者の権利です」「受給者のお金を福祉事務所で管理することは法律上できません」「毎日受け取りにこられては……対応しきれません!」など、いろいろな理由をつけて断られてしまいました。
そこで、福祉事務所と相談し、依存症の患者さんにかぎって生活保護費をクリニックで管理することにしました。デイナイトケアの行き帰りは無料送迎がありますし、食事は昼食と夕食が無料で出ますから、基本的に日々の生活にお金はいりません。
もちろん、本人が「お金を使いたい」というときには用途を確認して必要な金額を渡し、出納帳もつけてきちんと管理していたのですが……。
依存症の患者にテレビ局が指示した「酷すぎるやらせ」
ある日、見知らぬ弁護士から「〇(患者さん)氏の代理人になりました。〇氏は以後、デイナイトケアに参加しません。つきましては、そちらが預かっているお金を速やかに返金してください」という手紙が3通(3人分)も届いたのです。
法律に則した訴えであれば拒否できません。言われたとおりに返金したのですが、そのすぐ後にマスコミがきて、取材を申し込まれました。断ると「患者の生活保護費を取り上げている」とバッシングが始まってしまったのです。これには戸惑いました。
あるテレビ番組は弁護士を介してやめた1人にインタビューをして、うちがいかにひどいクリニックかを証言する映像を流しました。
じつはこの患者さん、数カ月後に「先生、ごめん。弁護士の人に“きみのお金を取り戻してあげよう”と言われて頼んでしまった。テレビ局の人には“書かれてある通りに読んで”と言われて謝礼をもらった。でも弁護士はそれきりなにもしてくれないし、やっぱりここに通いたい」と言って、デイナイトケアに戻ってきました。弁護士とテレビ局は通じていて、インタビューは「やらせ」だったのです。
弁護士にお金を取り戻してもらった患者さんのうちの1人は、その後案の定お酒を飲んで肝硬変を悪化させ、亡くなっていたことがわかりました。それを聞いたときには、なんともやりきれない気持ちになりました。
国が生活保護費を支給するのは国民の「生きる権利」を保障するためですが、依存症の場合、それによって逆にいのちが奪われてしまうこともあるのです。依存症は年々急増しています。なんらかの手立てが講じられるべきではないでしょうか?
女性のハイヒールに異常な興奮をおぼえる性依存の男性
◆外来のクリニックでは時間が足りない
現在、日本には精神科の医療施設に3つのタイプがあります。
① 精神病院(入院)
② メンタルクリニック(外来)
③ デイケア/ナイトケア(通い)
それぞれの医療施設は併設されているところもありますが、とくに依存症や認知症のケアはデイナイトケアでなければならない理由があります。
精神病院は入院施設ですから、医師や看護師の監視のもとで依存を断つことができます。しかし、依存が根本的に跡形もなく消えることは、まずないといっていいでしょう。
たとえば、女性のハイヒールに異常な興奮をおぼえる性依存の男性がいました。最初は更衣室などから盗んでいたのですが、だんだんとエスカレートしていって最後には背後から女性を襲ってハイヒールを奪い取り、現行犯で取り押さえられたのでした。
入院すれば、いちおう症状はおさまります。脳から分泌される興奮物質は、精神安定剤を服用することで抑制できますし、さまざまなプログラムを通じて依存から遠ざかる訓練をします。が、最大の要因は、病院内では誰もハイヒールを履いていないことです。
ずっと入院しているならそれでいいのですが、そういうわけにもいきません。ひと通りのプログラムを終えて症状が落ち着いたら、退院することになります。そうすると、周囲にはハイヒールを履いた女性がたくさんいます。
精神安定剤を継続して服用し、訓練の効果が発揮されているうちは我慢できるのですが、勝手に薬を飲むのをやめてしまったり、仕事や生活で日々のストレスがたまったりすると、彼はまたハイヒールに手を出してしまいます。そうすると、また1からやり直しです。彼は7回も入退院を繰り返していますが、ハイヒールに対する執念やファンタジーは消えません。
貧困メンタルクリニック「患者さばき」に明け暮れる…
では、外来のメンタルクリニックではどうでしょう? 依存を断ち切るまでのプロセスは同じですが、定期的に受診しますので、社会生活を送りながらチェックが受けられます。ところが、現実問題として、メンタルクリニックではそこまで丁寧に面倒をみられない事情があります。
ややナマナマしい話になるのですが、外来診療の保険点数は1人あたりせいぜい数千点ですから、1日に少なくとも30人以上の患者さんを診なければクリニック経営として採算が取れません。これが駅近のきれいなビルの一室を借りてやるとなると、採算ラインは50人以上に上がってしまいます。
では、診察時間を午前9時から午後6時まで(昼休み1時間)の8時間とすると、患者さん1人の診療にどれだけの時間がとれるでしょう。1日に30人を診ようとすると1人あたりにかけられる時間は15分、50人を診ようとすると9分強です。
あるメンタルクリニックでは、精神科医が診るまえに看護師さんやケースワーカーさんが患者さんに質問をしてあらかじめ問診票に書き込んでおき、実際の診療では精神科医が「ふむふむ、とりあえず大丈夫そうですね。じゃあ、1カ月ぶんのお薬を出しておきますから、また来月になったらきてください」
で、終わらせてしまうことが多いのです。患者さんのこころと向き合うのに、これでは時間がなさすぎます。
精神を病んだ方の多くの部屋は『ゴミ屋敷』でした。
◆入院でも外来でもない医療施設が必要だ
こころの病というのは、基本的に症状が出ていないとき(あるいは薬で抑えているとき)には、ふつうの人と同じように生活ができます。錯乱状態であったり自傷他害のおそれがあったりするなど「緊急」の場合以外、入院は絶対に必要というわけではありません。
いずれ社会復帰することを考えれば精神病院に長居はしないほうがいいのですが、面倒をみてくれる人がいないと状態はなかなか安定しないものです。というのも、病気から回復するには規則正しい生活をして、十分な睡眠と栄養バランスのとれた食事をとり、こころを安定した状態にたもつ必要があります。そのうえで薬をきちんと飲み、自分の病気について理解し、人とも適度に接して社会性を取り戻していかなければなりません。
ところが、多くの患者さんは病になるまで(あるいはなってから)すさんだ生活をしていることが多く、「今日から規則正しい生活をしなさい」と言ってもできるものではありません。入院していればいちおうはそれができるのですが、退院するととたんに元の生活パターンに戻ってしまいます。
最近は、社会のありようが変化してひとり暮らしの患者さんが増えていますが、こころの病をかかえているとどうしても部屋に閉じ籠もりがちになります。一日じゅう布団のなかにいて昼夜が逆転してしまったり、テレビやネットばかり見ていて、リアルに人と話したりすることがありません。
食事はインスタント食品やコンビニ弁当ばかりで栄養がかたより、掃除やごみ出しをせずに部屋中にごみが散乱します。私がこれまでに訪問したひとり暮らしの患者さんの部屋は、ほとんどが「ごみ屋敷」と化していました。
大声で叫び暴力を振るう…同居する家族も疲弊していた
では、家族がいれば規則正しい生活や食事の面がきちんとケアできるかといえば、これもなかなかむずかしいようです。というのも、家族にしてもこころの病をかかえた身内に、どう接していいかわからない。本人が「具合がわるい」と言って起きてこず、寝室のドアを閉ざしてしまえばひきこもりと同じです。
それどころか、求められるままにお金やモノ(依存症の対象となるもの)をあたえてしまい、症状をますます悪化させてしまうケースも少なくないのです。こばめば大声で叫んだり暴力を振るったりすることもあって、精神科医や看護師のように一貫した態度で接することができません。
患者さん本人にとっても、精神病院にいるあいだは社会復帰がはるか遠くに感じられます。「自分はいつ戻れるのだろうか」と絶望的な気持ちになったり、社会復帰そのものをあきらめたりしてしまう人もいます。かといって、退院してもすぐにもといた職場やポストに戻れるわけではありません(最初から仕事をしていなかったり退職したりしている人も多い)。
職場もどう対処していいかわからず腫れものに触るような対応をせざるをえず、それがますます本人のストレスになります。結果「もうしばらく自宅療養しては」となるのですが、自宅にいてもやることがないのです。
こころの病を持つ人に「自分で頑張れ」と説く日本社会
そもそも、さまざまなストレスや依存に耐えきれずにこころの病にまでなってしまった人に「薬で症状は収まるから、後は自宅で規則正しい生活をしながら自力で病気と向き合うように」というのもコクな話です。こころの病から回復するのは、時間がかかります。患者さんにとってほんとうに必要なのは、社会復帰に向けたリハビリの機会であり、規則正しい生活を身につけ少しずつ回復していく“居場所”なのではないでしょうか。
入院でも外来でもない「社会復帰に向けた居場所」の提供こそ、われわれが取り組んでいるデイナイトケアの役割です。
患者さんは、健康な人たちが通勤・通学するのと同じように、毎朝決まった時間にクリニックにやってきます。日によっては体がつかれていたり面倒くさいと思ったりするときがあっても、無料送迎がやってきて職員が説得しますから、しぶしぶでも車に乗り込みます。
そうしてクリニックまでくれば、その日その日で「やるべきこと」が用意されています。毎日退屈しないよう工夫されたさまざまなプログラムに取り組み、年間行事やイベントに向けた盛り上がりもあります。それぞれに役割をもって、皆で1つのことに取り組む一体感と達成感。強制的になにかを「やらされる」ということはなく、ぼーっと見ているだけの人もいますが、それはそれでいいのです。そこにやってきて、そこにいることがいちばんの目的なのですから。
こうして規則的な生活でこころと体を安定した状態において、自分のこころの病を理解し共存しながら、社会復帰に向けて少しずつ前進していけるのは、デイナイトケアしかありません。しかし、それに取り組んでいる医療機関は、圧倒的に少ないのが現状です。
これから精神病院を少しずつ減らしていって、デイナイトケアのクリニックに置き換えていくことが必要です。とくに人口が多く精神病院がない東京都内には、地域に根ざした地域精神医療センターが少なくとも100施設は必要ではないでしょうか。
榎本 稔
医療法人社団榎会理事長 医学博士