遺言書作成の話は、相続人たちに伝えてはいけない?
コロナショックのさなかとはいえ、大型連休ともなれば、年老いた親の今後についてあれこれ心配し、思いめぐらせている方もいるのではないでしょうか。円滑な相続を実現するには、各々の家族の状況に適した手順と方法があります。
実態とそぐわない手順で進めたり、選択する方法を誤ったりすると、想定外のトラブルが起こるリスクがあるため、十分な注意が必要です。本記事では、2つの事例をもとに解説します。
●被相続人に「相続争いの不安」はなかったが、息子の要望により遺言書作成を決意
80代後半の未亡人・Aさん
専業主婦。数年前に他界した大学教授の夫から多額の遺産を相続。
財産の内訳
金融資産:1億2,000万円
不動産:都内の土地3筆、自宅を含む家屋3棟
家族構成
長男:一般企業を定年退職後、嘱託職員として勤務
次男:一般企業の会社員
本件は、当事務所と以前より縁のあるご高齢の婦人Aさんとその長男から受けた相談です。
Aさんは、高齢となった自分の亡きあとが心配なため、相続について相談したいといってお見えになりました。しかし、よくよく話を聞くと、長男と次男の関係は良好であり、Aさん自身は特段相続に関する準備は不要だと思っているが、長男から要請があったため遺言書を作成したいとの趣旨でした。
高齢のAさんの世話をしているのは、近居している長男です。日常的に接するからこそ、親の将来に対して一層考えるところがあるのでしょう。長男本人からの説明でも、弟とは関係良好だが、性格が違うため、相続が起きてからお金のことで話し合うことがないようにしたいとのことでした。
依頼を受け、筆者も早速遺言書の作成に取りかかることにしました。当初は問題なく終わるものと思っていました。
●相続人間の真っ向対立を招き、「無事相続を終えてほしい」という意思の成就が困難に
本来、遺言書は、遺言者単独で作成することが望ましいといえます。法律もそのようにつくられていますし、遺言者本人の自由意思が尊重されるべきです。とはいえ、ひとりで財産の行方を決めるのは大変であるため、法律専門職である我々が協力します。ただし「協力」というのは、本人の意思を尊重することを大前提とし、我々は意思実現に対しての法的課題や、税務的な問題を回避する仕事に徹し、遺言書の内容そのものに変更を加えようとするものではありません。
遺言者は相続における権力者です。遺言書を通して、遺産分割に対する指示を出すという形でリーダーシップを発揮すれば、相続争いを予防することができます。かつて、遺言で後継者の地位を定めなかったために内乱が起きた国家もあるほどです。大げさな例ですが、遺言書という規律が遺産をめぐる紛争に大きな影響を及ぼすことは、歴史的に見ても明らかというわけです。
Aさんと筆者で遺言書の内容を作成するという話に至り、安心した筆者もやや詰めが甘かったかもしれません。
Aさんが息子さん二人に向かって「遺言書は用意しておくから安心するように」というに留めてくれればよかったのですが、Aさんは息子さんたちに遺言書の内容を相談するだけでなく、筆者に作成依頼をしていることも伝えていたのです。
それから数日後、筆者の事務所にはAさんの長男と次男の双方からたびたび電話がかかってきて、各自が自分に有利な遺言内容を一方的にまくしたてるという、かなりカオスな状態になってしまいました。
Aさんはおっとりとしたご婦人で、大学教授だったご主人の庇護のもと、専業主婦としてお金の心配のない生活を送ってきた方です。ある意味、子どもたちからの要望を無邪気に受け入れてしまったのではないかと思われます。
じつはAさんの認識には、現実と大きなかい離がありました。まず、Aさんが思っているほど子どもたちの仲は良くありませんでした。むしろ第三者として率直に申し上げると、想定をはるかに上回る関係の悪さでした。そしてAさんご自身は、相続人にとって魅力的な資産を保有しているという自覚がまったくありませんでした。
ついには長男・次男の配偶者まで口を挟むようになってきたため、これは筆者の手に余ると考えて辞任を決意し、Aさんのもとへお断りに出向いたのですが、さすがにここまできたら遺言書を作成しないと収まらないと思われたのか、作業の継続を懇願され、逆に筆者が折れる形となってしまいました。
Aさんには、今後は筆者だけに相談するように約束してもらい、公正証書遺言の作成が実現しました。そして、できあがった遺言書はすぐさま貸金庫に入れてもらいました。
●相続は利害対立を生むもの…遺言書を作成するときはまず法律専門職に相談を
Aさんはなんとか遺言書を作成できましたが、相続発生前の段階でいわば「遺産分割紛争の練習試合」が開催されてしまいましたから、円満な財産承継ができるかはわかりません。
本件では、遺言作成者が自身の財産と将来の相続人たちの状況を深く考えず、相続人たちに面と向かって遺言書作成の話をしてしまったことが大きな失敗だと考えます。
相続人のリクエストに応えるかたちでの遺言書作成は要注意です。相続は「だれかが得をすれば、ほかのだれかが損をする」という本質があることを忘れないようしてください。
遺言書を用意することは、結果として紛争の予防に有意義ですが、作成のプロセスを間違えるとむしろ紛争の引き金となってしまいます。
ケースにもよりますが、遺言書作成を検討する場合は、作成者本人が周囲に知らせることなく法律専門職に相談することからスタートしたほうがよさそうです。
密な家族関係により「責任ある相続」に成功した経営者
●日常的な交流のおかげで絆が強い家族…遺言書の作成も問題なくクリア
70歳の会社経営者・Bさん
2代目会社経営者。自分にもしものことがあった場合を心配し、信託の組成を希望。
財産の内訳
不動産・有価証券・自社株・預金等:合計約8億円
家族構成
妻:一般企業の会社員
長女:外資系企業の会社員、海外在住
次女:外資系業の会社員、海外在住
本件は、依頼者であり責任感の強い経営者Bさんが、状況に応じて遺言書のほかに信託を組成したケースです。
Bさんは製造業の2代目社長で、当時70歳です。社業を海外展開させるなどで業績を残し、主な財産は不動産、有価証券、自社株、預金で、価格は約8億円ほどです。
30代の娘2名はそれぞれ海外で生活をしていますが、家族仲はよく、インターネットを通じて家族での会話の場を定期的に設けています。
すでにBさんは公正証書遺言を作成し、妻、子どもたちへの遺産の分割を指定しています。作成プロセスにおいては、Bさんと奥さんだけで専門職に相談して進めましたが、作成したこと自体は子どもたちも知っています。
この認識状況は妻にとっても子どもにとっても安心感を得られるものです。遺言書の作成において問題が起きる要素も見当たりません。円滑な相続対策には、Bさん一家のように、密に家族との会話の機会をつくることが必要だと見ることもできます。
●「遺産だけでなく、経営も承継」家族の協力により、責任感のある相続対策が実現
個人の相続対策であればこれでOKですが、本件においては、肝心のBさんはまだ現役の経営者です。
自社株についても、Bさんは大株主ではありますが多くの経営課題があり、経営者として気が抜けません。
そのような中で自分の能力が低下した場合の経営責任を考え、株式を含む財産の一部を信託することになりました。
信託を進めるにあたり、筆者も含めて家族4名と協議を開始しました。遺言書作成の経緯もあり、Bさんの本気度を感じている家族は、Bさんに協力的でした。そのため家族で助け合う形を取ることが叶い、委託者をBさんとし、受託者を財産管理法人とする、Bさんとその家族が望む財産管理体制をつくることができたのです。これにより、Bさんは自社株を受託者と専門家に任せることができ、一人で背負っていた責任が軽くなったと喜んでいました。
Bさんのケースでは、妻も子どもも経済的に自立していることもあり、遺産と経営の承継について余裕をもちながら前向きに考えることができたのがよかったと思います。
2つのケースからわかる、相続対策のポイント
(1)相続の相談は、家族全員で行うにせよ「慎重な姿勢」が必要
特に経済的状況が人により異なるため、慎重に検討したうえで話を始めるほうがよいです。遺産をアテにし、働きかけてくる人はどうしてもいます。
(2)「事前」かつ「内密」に、専門家に相談しておくほうがよい
自分の財産の問題ですから、最後に自分で始末をつけるのは自由であり、責任でもあります。しかし相続は人生で経験する場面が少なく、適切な判断が難しいところも多々あると思われます。まずは経験のある専門家に相談し、落ち着いてから家族と相談しても遅くはありません。
(3)普段からの家族間コミュニケーションが相続の成否を左右
親の愛情が一方の子どもに偏っている場合、相続の場面で子どもの不満が爆発することがあります。経済的な理由以外にも落とし穴があるので、普段から家族の縁を大事にしてください。
(4)信託では特に家族の協力が大事
親族間の財産管理は、ずさんにしてもどうにかなってしまうものでありますが、わざわざ信託を組成し、家族間で信託財産の透明性と責任をもって管理する場合は、良識ある家族の協力が必要です。
(5)財産をもらう感覚か、承継していく姿勢か? スタンスにより相続対策が変化
相続のイメージは自然発生的に財産が手に入るようなものだと思います。しかしながら、会社経営者や不動産オーナーはその資産を活用して事業をしているので、相続人がある日急に財産を引き継ぎ事業を行うことは難しいです。それを自覚している相続人は、どうしたら多く財産をもらえるかということよりも、相続に対して、どうやったら財産と事業を活用していけるだろうか、また手放してもいいものかを考えているように思います。
家族で相続の話をする機会はそう多くありません。限られたチャンスともいえます。だからこそ失敗しないで、いい方向で話がすすめられるタイミングかを考えてみてください。
菱田 陽介
菱田司法書士事務所 代表