公正証書遺言でも「遺言能力」に疑念があれば無効に
生前に書かれた遺言が法律的に有効であるためには、遺言書を書いた人(遺言者)がその当時、「遺言能力」を有していたことが必要です。
「遺言能力」とは、遺言の内容をしっかり理解できるだけの知的判断能力のことです。したがって、重度の認知症である高齢者の方が遺した遺言書では、この遺言能力を欠いた状態で書かれたものであるとして無効とされます。
これは「自筆証書遺言」のみならず「公正証書遺言」でも同様です。公証人の立会いのもと作成される公正証書遺言でも、あとから「遺言能力がなかった」と判断されて無効とされた裁判例は多く存在しています。
では、どのような場合に「公正証書遺言」が無効とされているのでしょうか。
遺言能力の判断に当たっては、
●遺言者の年齢
●当時の病状
●遺言してから死亡するまでの間隔
●遺言の内容の複雑さ(本人に理解できた内容であったか)
●遺言者と遺言によって贈与を受ける者との関係
という要素が考慮されます。
これらの要素のなかでもいちばん重要なのは「遺言を書いた当時の病状」、すなわち遺言を書いたときと近い時点での「医師等による認知能力に関する診断結果」です。
仮に遺言の動機やその遺言が作られた経緯に不自然な点があったとしても、遺言者の当時の判断能力、認知能力にとくに問題がなかった場合には、遺言者がその遺言の内容を理解し、納得して作成したであろう、ということが推定されますし、それが公正証書遺言であれば、なおさら必要な手順を踏んだものとして、遺言が有効と判断される可能性が高くなります。
そのため、遺言無効訴訟にあたっては、遺言者の遺言作成当時の認知能力等に関する証拠の検討が極めて重視される傾向があります。
作成動機や経緯の不自然さを理由に「無効」とした例も
遺言書の無効が争われる裁判では、上記のような傾向が一般的ではありますが、これに対し、遺言作成の動機や経緯の不自然さを重視して公正証書遺言を無効と判断した裁判事例もあります。それが東京地裁平成28年3月4日判決の事例です。
この事例は、当時94歳だった遺言者が、数年前に遺言を作成していたものの、死亡の1月前に従前の遺言を撤回し、まったく異なる内容の公正証書遺言を新たに作成したという事例です。
この事例で、裁判所は、遺言者の家族関係や従前の関わり、遺言の作成に至る経緯などを詳細に認定していますが、かいつまんでいうと、
もっとも、遺産については各相続人に平等に相続させたかった
というもので、そのような意思に沿う遺言書を元々作っていました。
しかし、そのあとに、
という遺言に書き換えられたのです。
また、遺言の書き換え前日には、遺言者の自宅の鍵をその娘が交換してしまい、遺言者と他の相続人との接触を絶とうとしていたという事実も認定されています。
これらの経緯を踏まえて、裁判所は、
「従前の遺言において遺言者が明確に示してきた意向とは根本的に異なる内容となっており、遺言者がそのような翻意をしたことにつき合理的な理由は見当たらない」
と認定しました。
このような事情に加えて、当時の遺言者の病状として、
●本件遺言証書が作成された当時には、94歳という高齢であること
●遺言作成の直前の状況として、知力及び体力の衰えが顕著で、意味不明の言動をしたり、せん妄とみられる状態に陥ったりすることもあったところ、子の急逝により大きな精神的打撃を受けて、さらに心身が衰弱した状態にあったこと
●本件遺言証書の作成から12日後に入院した直後は、せん妄状態が継続し、それが治まったあとも、簡単な意思の表明すら口頭でも筆談でも行うことができない状態に陥っていたこと
を併せ考慮した結果として、裁判所は、
「本件遺言証書が作成された当時、自らの行為の意味と結果を認識し、自らの意思によっていかなる行為をすべきであるかを判断できる精神状態になかったものと認められる」
と判断し、公正証書遺言を無効と判断しました。
作成当時の認知能力の問題を示す証拠も必要
この裁判例から、従前に遺言書が作成されていて、それがのちに撤回されて内容が大きく異なる遺言書が新たに作成された場合には、その撤回の動機の有無や、撤回された遺言書が作成された経緯が重視される、ということであると考えられます。
このように、この裁判例は、どちらかといえば遺言作成の動機や経緯に重点を置いた判断であると考えられます。
ただし、そうはいっても、やはり動機や経緯が不自然というだけでは足りず、遺言作成当時の認知能力に問題があることを示すような最低限の事情なり証拠は必要であるということにも留意は必要です。
北村亮典
こすぎ法律事務所 弁護士