「フローしていく情報」と「ストックされていく情報」
私たちが日々触れている情報には、フローしていくものとストックされていくものとがあります。
フローしていく情報とは、ビジネス文書でいえば稟議書や提案書、報告書など、組織の中で共有し活用される情報です。ストックされる情報とはフローの結果の成果物である、議事録や契約書、各種の帳簿などで、記録として残しておく必要のある情報です。
このうちフロー情報については、デジタル化が圧倒的に有利です。データファイルをサーバーに置いておけば誰でも閲覧することができますし、情報の更新も簡単で、全員が最新の情報を手にすることができます。そのたびにプリントして全員に配って…などという手間がいりません。稟議書にしても、書類で確認して捺印して次の担当者に渡して…とアナログで動かすよりも、ペーパーレスで行ったほうが、はるかにスピーディです。完全デジタル化とはいかないまでも、フロー情報のある程度をペーパーレス化している企業は、意外と多いかもしれません。しかしながら、電子帳簿保存法のスキャナ保存制度で求められる適正事務処理要件(=内部統制)や会計監査上、今後求められるであろうデジタル化での要件など、法的要件を充足している会社はまだまだ少ないです。
一方のストック情報となると、今も紙媒体が使われているケースが多いと思われます。契約書や議事録、報告書や営業日報など、ファイリングしてキャビネットに並べてそれっきり…というケースがほとんどではないでしょうか。
経理関係の書類は特にその傾向が強いはずです。請求書や領収書、計算書などプリントされたものが多く使われていますし、紙での保存が義務付けられている書類も多々あります。そうしたこともあって「紙でストックする」という習慣からなかなか抜け出せません。
ですが紙はなにしろ場所を取ります。きれいにファイルするにしても、その置き場所がどうしても必要です。デジタルデータにすれば手のひらほどのハードディスクに収まってしまう情報でも、大きなキャビネットをいくつも並べなくてはなりません。しかも情報の検索性が非常に悪く、非効率的です。過去のデータを引用して二次利用するにしても、新たに入力作業をしなくてはなりませんから、手間がかかります。
江戸時代の商店であれば、大福帳一つで商売に関する情報管理をすべて賄えたことでしょう。ですが私たちはそんな時代に生きてはいないのです。
ストック情報である帳簿や帳票など紙で一定期間の保存を義務付けている法律は国内に298本あります。しかし、そのうちの251本が、一定の要件を満たせばデジタル保存でも良いとされています。このことは、今後のペーパーレス化・電子化の取り組みにおいて重要なポイントとなるでしょう。
人類は「紙」と決別する時を迎えた
私たちが使っている「紙」の歴史は、その前身も含めると5000年ほど前まで遡るそうです。その頃から人は紙に記録し、紙で情報を交換してきました。人々は数千年の間、紙を情報媒体として活用してきたのです。
やがて技術が発達し、コンピュータが生まれました。すると記録媒体としてパンチカードや磁気テープ、ハードディスクやメモリが発明され、どんどん小型化・大容量化されていきました。同時に記録された情報を表示するモニターも高性能になっていきました。そしてインターネットの登場とともにPCが爆発的に普及し、スマートフォンまで登場しました。
今や私たちは片手に収まるデバイスを通じて、世界中から情報を取り寄せ、おびただしい数の書籍や写真や音楽や書類を、そこに納めておくことができます。そして、それが当たり前のことだと思っています。
私たちが日々扱う情報は、すでに膨大な量に達しています。それはネット時代が到来した20世紀末から2000年にかけて急速に膨らみ、その後も増え続けているように感じます。以前、ネット上で「現代人が1日に接する情報量は、平安時代の一生分」というような記事を見ましたが、私たちの身の回りを飛び交っている情報量を考えると、確かにそれくらいになるのかな、という気もします。
もちろん、私たちはその膨大な量の情報すべてを、もれなく手にとって見ているわけではありません。スマートフォンやPCの画面に表示されるものの中から、必要なものだけをピックアップしているはずです。あるいはPDFをダウンロードしておいて、あとでつまみ読みしてみる、ということもあるでしょう。ですがそれにしても、現代人が大量の情報にさらされていることは間違いありません。
これだけの情報量すべてを紙で記録し、管理することができるでしょうか? 考えるまでもなく答えは明らかです。
私たちは歴史的な情報媒体であり続けた「紙」と、決別するときをすでに迎えているのです。
「紙」は意外と呆気なく無くなるかもしれない
もちろん紙には紙の良さがあり、その特性から紙が必要な場面は多々あります。紙に記録された情報は端末も電源もいらず、サッと見ることができ、手軽に書き込みもできます。ファイル形式やバージョンを気にすることもなく、いつでも誰でも見られるのが紙の良さです。
近年では社員にモバイル端末を支給する企業が増え、会議や打ち合わせにノートPCを持ち込んでキーボードを叩くスタッフも見られるようですが、そんなときでも「やっぱりノートとペンがいちばん便利」という人も多いようです。文字だけでなく図解も手早く描き込める柔軟さは、やはり手書きならではの良さでしょう。
また「目に優しく、刺激が少ない」というのも紙の長所です。そのためボリュームのある資料や報告書などは、PC画面で読むよりもプリントアウトして読んだほうが楽、というケースもあります。表示媒体としては、きわめて優秀でしょう。こうした理由から、「紙媒体がなくなることはない」という主張は正しいようにも思えます。
ですが「決してなくならないか」というと、そうではないと私は考えています。
実は私はマンガが大好きで、気に入った作品は単行本をまとめ買いし、暇を見つけては読みふけるのを楽しみにしてきました。ここでちょっと告白させてもらえば、私はペーパーレスを叫びながらも「マンガは紙本で読む」主義でした。マンガ好きの方ならご理解いただけると思うのですが、やはり自分の指でページをめくって読みたい、というアナログ派だったのです。
ところが、自宅にマンガがどんどん増えていき、それが部屋を占領していくようになると、妻からも文句をいわれます。さすがに部屋中がマンガでいっぱい…という状況も良くないな、と私自身も考えるようになりました。そこで(少々渋々ながら)マンガ用にKindle を買い、それで読むようにしたのです。
いざ実際に使ってみると、これが非常に便利なのです。寝転がって読んでも楽ですし、出かけるときにも手軽に持ち出せます。ちょっと時間が空いたときなど、いい歳をした男がカフェでマンガの単行本を開いていたら少々みっともないかもしれませんが、Kindleならばそんな心配もありません。違和感を覚えたのは最初だけで、慣れてしまえばこれほど便利なものはないな、と思うようになりました。
「でも、アナログでしか伝わらないこともあるじゃないか」という人もいるかもしれません。確かに、何かの機会にていねいな手書きの礼状などをいただくと実に清々しい気分になりますし、行間からにじみ出る書き手の人柄まで感じられるものです。メールやSNSのメッセージでは、こうはいきません。
ですがそれがビジネスの場面で必須のものかというと、決してそうではありません。
就職活動が始まると、新卒の学生たちの多くは、今も手書きの履歴書を提出するそうです。果たしてそれは本当に必要なものでしょうか。履歴書は本人の情報が分かれば良いのですから、「ていねいさ」や「字のきれいさ」は本質ではないはずです。それでも「手書きの履歴書は人柄が表れるから」などの理由で、それを求める企業も多いようです。
数十社もの企業にエントリーする学生にとって、手書きの履歴書は時間と労力を大いに消費します。そんなところにエネルギーを費やすよりも、もっと大事なことがあるはずです。こんなところにも「紙の限界」と、それに気付かない馬鹿馬鹿しさを私は感じてしまうのです。
少々話が脱線してしまいましたが、情報管理媒体としての「紙」は、すでに限界に達しています。それでもまだ紙がなくならないのは、情報を管理するのではなく表示するためのデバイスとして、紙に親しみを持つ人が多数いることが理由の一つでしょう。ですが私がそうだったように、紙からデジタルへの移行は、意外とあっさりとできてしまうものなのです。
デジタル媒体がさらに進化すれば、紙の出番が消える
前項でお話ししたように、表示媒体としての紙はなかなか優秀です。ですがこれは現在のPCやスマートフォン画面と比較しての話です。デジタルがさらに進化し、より手軽で使いやすい表示媒体となったら、紙の優位性は危ういものになるでしょう。
実際にタブレットでは手書き入力ができますし、それを保存・共有することもできます。記録媒体としてはもちろんのこと、表示媒体としてもデジタルは日々進歩し続けています。
たとえば、テーブルや目の前の空間に手をかざすだけで、そこにグラフや画像が投影され、必要な情報が見られる…。近未来を描いた映画やアニメではお馴染みのシーンで、いかにも未来的ではあります。そんなデバイスが実用化されたら、ペーパーレス化は一気に加速するはずです。そこにはもはや、紙媒体の出番はないかもしれません。
横山 公一
ペーパーロジック株式会社 代表取締役社長 兼 CEO
公認会計士・税理士