約30万種もあるといわれる名字。貴族の末裔、武家の子孫、地名や職業由来……その起源を辿れば、自分のルーツを知ることができます。本連載では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、様々な名字の起源や分布を解説していきます。今回取り上げるのは、日本で五番目に多い「伊藤」。

「藤原さん」が改名して「伊藤さん」になった

「伊藤」と聞いて思い浮かべるのは、伊藤博文(初代内閣総理)、伊藤みどり(フィギュアスケート選手)、伊藤蘭(女優)、伊藤英明(俳優)、伊藤健太郎(俳優)、伊藤淳史(俳優)……。人それぞれ、思い出す著名人はいろいろでしょう。

 

伊藤という苗字は第38代天智天皇の重臣、藤原鎌足(614~69)の流れをくむ武家藤原氏・藤原秀郷の子孫が名乗った名字です。

 

藤原秀郷は坂東(関東)で反乱を起こした平将門を討伐した勇将で、朝廷から鎮守府将軍(東北の朝敵を討伐する将軍)に任じられました。

 

その子孫である佐藤左衛門尉(さえもんのじょう)公清の孫・尾藤隼人(はやと)正(のしょう)知基の子基景が伊勢国(三重県)に住み着いて「伊勢国の藤原」という意味で伊藤と初めて名乗りました。これが伊藤という名字の始まりです。

 

現在でも発祥地の三重県には多く、岐阜県や愛知県にも密集が見られます。

 

なかでも尾張国(愛知県)の伊藤財閥は有名で、慶長16年(1611)に伊藤祐道が名古屋城下に太物商を開業し、2代目祐基以降は代々次郎左衛門と名乗って呉服商を営みました。

 

後に尾張藩の御用達となり、明治維新後は本家の松坂屋のほか伊藤銀行を創設して金融・不動産の世界でも成功しました。

 

他に伊豆国田方郡伊東(静岡県伊東市)の藤原南家伊東氏の子孫が、伊藤に改めたケースも多いがいずれにせよ藤原氏を祖とする。

 

では、伊藤姓の分布を見てみましょう。

 

出所:2009年 NTT電話帳調べ
都道府県別「伊藤」の分布 出所:2009年 NTT電話帳調べ
青の色が濃いほど、田中姓が多い(出所:筆者作成)
都道府県別「伊藤」の分布図 青の色が濃いほど、田中姓が多い(出所:筆者作成)

 

全国にまんべんなく広がっていますが、やはり発祥地の三重県に圧倒的に多く第一位の苗字となっています。地理的に近い岐阜県で2位、愛知県で3位です。

 

伊藤姓の家紋で多いのが、藤原氏の代表家紋である藤紋を多用します。木瓜(もっこう)を使うことも多いです。

 

伊藤姓に多い木瓜
伊藤姓に多い木瓜

 

藤原南家発祥の伊東から伊藤に改めた家は多少傾向が違い、庵(いおり)に木瓜・九曜・三つ橘などを使っています。

 

庵(いおり)に木瓜
庵(いおり)に木瓜

「愛知県の伊藤さん」のルーツを探る

「名字辞典」を使った名字調査の進め方をみていきましょう。

 

名字調査でまず見るべきは『姓氏家系大辞典』です。次に見るべきは『角川日本姓氏歴史人物大辞典』です。『姓氏家系大辞典』を補足する目的で平成元年から都道府県別に刊行を始めた地域別の苗字辞典です。

 

現在のところ岩手県・宮城県・群馬県・山梨県・長野県・静岡県・神奈川県・富山県・石川県・京都府・山口県・鹿児島県・沖縄県などが刊行されています。

 

調査地域が上記に該当する場合は必ず見なければなりません。該当しなくとも近隣県のものは見るべきです。

 

それでは、仮に自分の先祖が「愛知県の伊藤さん」として名字調査を始めてみましょう。

 

まず『姓氏家系大辞典』で伊藤の項目を見ると……37項目載っています。まずは項目1にやはり「伊勢の伊藤氏」、項目2に「伊豆の伊東氏」、この二つに多くの記述が割かれています。ざっと流し見をすると項目5に「橘氏発祥」、項目6に「平氏発祥」と、藤原氏とはルーツの異なるの伊藤氏もいるようですが、大半が項目1・2の伊藤氏と伊東氏に集約されるようです。

 

もし、「私は伊藤なのでルーツは藤原氏のはずなのに、家紋がなぜか橘氏がよく使う橘なんだけど……」という場合は、藤原氏とはルーツが違う伊藤氏の可能性もあるかもしれません。ここでは愛知県の伊藤さんを調べているのですが……ありました。項目7に「尾張の伊藤氏」という記述が。

 

尾張は今の愛知県稲沢市にあたります。秀吉に使えた伊藤氏がいたようです。伊藤丹後守長実なる人物です。(藤原)とあるのでやはり藤原氏を祖とするようです。ここに出てくるような人物は歴史上の著名人と思われますので、ネットで調べてみましょう。

 

「伊藤丹後守長実」を検索すると、どうやら戦国時代の武将の伊東長実(いとう ながざね)なる人物だったようです。

 

たとえば自分の先祖の出身が愛知県稲沢市だからといって、この人物につながると決めつけるにはまだ早計ですが、先祖と同じ、あるいは近隣にいた歴史上の著名な人物については把握しておきましょう。

 

伊東長実をさらに調べると、父親の伊東長久(いとう ながひさ)は尾張の人物ですが、長実は備中(岡山県)岡田藩の藩主を務め、その子孫も最後の第十代まで岡田藩主だったことがわかります。そこで仮に伊東長実と先祖がつながるとしても、かなり古い時代の同族ということになりそうです。

 

「伊東長久」についても調べてみましょう。どうやら織田信長の家臣であり、備中伊東氏と言われた一族のようです。備中伊東氏とは藤原南家流工藤氏の流れをくむ氏族とあります。少々ややこしくなってきましたが、ここで自分の家の家紋と照らし合わせて見ましょう。

 

・伊勢の伊藤氏:藤紋・木瓜(もっこう)

・伊豆の伊東氏:庵(いおり)・木瓜・九曜・三つ橘

 

でしたので、もし自分の家の家紋が庵などであれば、備中伊東氏の一族の可能性が考えられるかもしれません。

 

少し横道にそれましたが、「愛知県の伊藤さん」のルーツを探っていきます。伊藤の項目8に「三河の伊藤氏」という記述があります。

 

三河は愛知県豊川市あたりです。山上城なるものがあり伊藤左京なる人物がいたようです。他にも犬頭神社(けんとうじんじゃ)の社家にも伊藤氏がいたようです。

 

「そういえばうちのじいちゃんが、先祖は神社の神主だと言ってたな……」などという聞き伝えがある場合は、犬頭神社の歴史を調べてみるといいかもしれません。

 

次に『角川日本姓氏歴史人物大辞典』の愛知県版を見てみましょう。大きな図書館であれば備え付けられています。『角川日本姓氏歴史人物大辞典』は大きく分けると、「市町村編」と「人物編」に分けられます。仮に、先祖が「愛知県豊明市」だったとして、今回は「市町村編」の豊明市の項目を見てみましょう。

 

豊明市の歴史が2ページ程度に簡単にまとめられ、代表的な神社や著名な人物、おもな産業は農業であったことが書かれています。

 

まず、見るべきは自分の名字と同じ家があるかどうかです。どうやら豊明市の中島という地に寺子屋をやっていた伊藤両村(いとう りょうそん)なる人物がいたようです。先祖の出身が中島であれば、同族候補です。中島でなくとも近隣の同姓の著名人は把握しておきましょう。

 

著名人はネットや文献でさらに調べれらることが多くそのルーツや事績がわかることが多いです。

 

ネットで調べてみると、豊明市の中島とはかつての中島村であり、伊藤両村氏は中島村の庄屋であり元々は池田という苗字であったことがわかります。と、いうことは仮に先祖と伊藤両村氏が同族であった場合、そのルーツは池田ということがわかるのです。

 

ちなみに池田という苗字は全国各地にある池田という地名に由来します。

 

池田とは「池のそばの田地」や「休耕している田地」のことをいい、そういう場所に地名として命名されました。そして池田地名に住み着いた家が、池田という苗字を名乗ったといわれています。

 

全国の池田地名から池田氏は発祥していますが、とくに有名なのは現在の岐阜県揖斐郡池田町から発祥した系統で第56代清和天皇(850~880)の流れをくむ清和源氏土岐氏族の子孫といわれています。土岐頼清の子頼忠が初めて池田姓を称しました。

 

また織田信長の重臣で子孫が江戸時代(1603~1867)、岡山藩主や鳥取藩主となった池田恒興の家系は愛知県西春日井郡西春町出身の豪族で、ルーツは第8代孝元天皇の流れをくむといわれている古代の名族・紀氏の子孫とも第56代清和天皇(850~880)の流れをくむ清和源氏の子孫ともいわれています。

 

さらに大阪府池田市上池田からは第30代敏達天皇(?~585)の流れをくむ橘氏の子孫で楠正成の一族という池田氏が出ており、滋賀県甲賀市甲南町池田からは第59代宇多天皇(867~931)の流れをくむ宇多源氏佐々木一族の子孫という池田氏が生まれています。

 

今回の名字調査の具体例でとても大事なことがあります。今後の調査のためにも最重要と言っていいポイントです。それは、先人がまとめてくれた記録をうまく使わせていただくということです。そしてその記録の出典を意識するということです。

 

『姓氏家系大辞典』は立命館大学教授の太田亮(あきら)氏が、室町時代に作成された「尊卑分脈」を始めとして膨大な数の古文書を調査して、五十音配列で約5万種類の苗字や氏の由来を簡潔に記してくださいました。資料の収集に40年、執筆に6年以上という気の遠くなるような作業の末できた大作です。

 

『角川日本姓氏歴史人物大辞典』は地元の郷土誌や古文書、地元の伝承などをまとめ上げています。たとえば、今回例にあげた『角川日本姓氏歴史人物大辞典 愛知県版』で「市町村編.」の豊明市について見てみました。2ページほどにまとめられていましたが、この2ページを作るには膨大な文献を調査するとてつもない作業があったはずです。まずは豊明市史というった郷土誌があったでしょうし、さらには豊明市史の元になった村史や古文書類。地元の方からの聞き取り調査があったはずです。

 

豊明市の公式サイトを見ると、「豊明市史」があることや「豊明市歴史民俗資料室」なる施設があることがわかり更なる調査が進められそうです。

 

膨大な作業の末にできた2ページのおかげで、先祖が住んだ地の概略を知ることができ、同姓の著名人といった次段階調査の手掛かりを得ることができます。名字の調査は先祖への愛情とともに、先祖と同じ時代位を生き、手掛かりを残してくれた方たちへの感謝の気持ちを起こさせてくれます。

 

※「苗字」「名字」と二通りの呼び方がありますが、本記事では「名字」に統一いたします。

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