「公正証書遺言」は相続時のトラブルを防ぐ有効なツール…そのように理解している方も多いのではないでしょうか。しかし実際には、親族間の争いの原因になったり、遺言書を巡る裁判によって無効が言い渡されてしまうケースも存在します。では、どのような状況下で公正証書遺言が無効と判断されるのでしょうか。本記事では、相続問題を多く手がける弁護士の北村亮典氏が、実際の裁判事例を取上げながら解説します。

「判断能力が衰えた状態」で書かれた遺言書

相続後の紛争を避けるための有効な手段として、まず第一に挙げられるのが「公正証書遺言」でしょう。立会人のもとに作成され、公証役場で半永久的に保管される公正証書遺言は、形式不備の心配も、偽造や紛失の心配もなく、自筆証書遺言に比べて信頼性が高いと考えられています。

 

しかし実際には、その存在や記述内容を巡り、相続人間で紛争の種になることは珍しくありません。結果、裁判によって「この公正証書遺言は無効」と結論付けられる場合もあるのです。

 

「親が認知症や重病で、知的能力・判断能力が著しく衰えている状態のところ、遺産の独り占めを企てたほかのきょうだいが、自身に有利な遺言を親に書かせた」

 

「内容が不公平すぎて納得がいかない。本当にこんな遺言が有効なのか?」

 

筆者のもとには、上記のような相談内容が多く寄せられます。

 

しばしば問題となるのが、「認知症等で判断能力が衰えた状態で書かれた遺言書に、はたして効力があるのか」という点です。

 

法律上、遺言が有効であるための要件として、遺言書を書く人が「遺言を書いた当時、遺言能力を有していた」ことが必要です。


この遺言能力とは、単純にいえば「遺言の内容をしっかり理解できるだけの知的判断能力」をいいます。つまり、重度の認知症の老人の方が遺した遺言書では、この遺言能力を欠いた状態で書かれたものであるとして、のちに裁判で遺言が無効とされるケースが多いのです。

 

また、もし認知症ではなかったとしても、重篤な病の治療・投薬等の影響で衰弱し、精神状態にも異常が生じていた場合なども、遺言能力がないと判断されることがあるため要注意です。公証人が立ち会って作成する公正証書遺言の場合であっても、この遺言能力の有無が問題となって争われるケースは多く存在します。

 

公正証書遺言の場合、公証人が遺言作成の際に遺言者と面談しますが、そこで明らかに遺言者が認知症であり、まともに受け答えできないような場合には、公証人は「遺言能力なし」として遺言の作成を拒否したり、医師の診断書を求めることもあります。そのため、公正証書遺言の場合は、「一応、公証人によって選別がされているから」ということで、裁判例では遺言者の遺言能力に問題なしと判断される傾向が強いといえます。

 

しかし公正証書遺言の作成は、事前に専門家が内容を公証役場とやり取りする場合、作成当日はごく短時間で作業が終了する場合も多く、仮に遺言者が認知症であったとしても、表面上会話ができる様子であれば、公証人はその場の受け答えの様子を見て「判断能力は問題ないだろう」と判断することもありえます。

 

そのため、公正証書遺言であっても「遺言能力を欠く者」によって作成されるというケースも生じるわけで、公正証書遺言を無効とする裁判例も存在するのです。

 

では、どのような場合に公正証書遺言が無効とされているのか、具体的に見ていきましょう。

遺言能力の判断で重要なのは、医師による診断結果

遺言能力があったかどうかの判断に当たっては、

 

●遺言者の年齢

●当時の病状

●遺言してから死亡するまでの間隔

●遺言の内容の複雑さ(本人に理解できた内容であったか)

●遺言者と遺言によって贈与を受ける者との関係

 

等が考慮されます。


裁判所はこれらの要素を総合的に考慮して、遺言の有効もしくは無効を判断しますが、これらの各要素のうち、いちばん重要なのは、遺言を書いたときと近い時点での「医師等による診断結果」です。

 

たとえば、公正証書遺言が無効とされたケースとして、東京地方裁判所平成11年9月16日判決の事例があります。

 

知的能力が低下し、トイレと廊下を間違えて廊下を汚してしまうような状態だった75歳の男性が、「高度の脱水症状、腰椎骨折、パーキンソン病」と診断されて入院し、入院後間もなくその妻と、懇意にしていた税理士が主導して公正証書遺言を作成したというケースです。

 

このケースは、病院まで公証人が赴いて遺言を作成しましたが、遺言内容を公証人が読み聞かせた際に、遺言者はこれに対して自らは具体的な遺言内容についてひと言も発することなく、「ハー」とか「ハイ」といった、単なる返事の言葉を発していただけでした。

 

そのため、公証人が担当医師に病状を尋ね、遺言能力がある旨の診断書を交付してほしいと求めたものの、医師からは「遺言者は通常の生活における一応の理解力、判断力はあるが、遺言能力ありとの診断書は書けません」として断わられてしまいました。

 

しかし公証人は、遺言能力の有無の判断が難しいケースとは感じたものの、それでもなお遺言者とのやりとりから遺言能力があると考え、遺言作成に至りました。なお、その男性は遺言を書いた約3週間後、「パーキンソン病により痴呆が進行し、中枢性失語症による言語機能の喪失、精神状態については障害が高度で常に監視介助または個室隔離が必要」という症状が固定しています。

 

この事例で、裁判所は上記の事情を総合的に考慮し、遺言者には「遺言能力がなかった」として公正証書遺言の効力を否定しました。また、遺言の作成は妻や税理士が主導していて、当の本人は遺言を書く意思を周囲に示していなかったという点も、遺言能力を否定した理由としてあげられました。

 

この裁判例を踏まえると、認知症等の症状により判断能力が疑われる人の遺言を作成する場合には、公正証書遺言であっても、遺言の作成前(できれば後にも)医師の診断書(とくに、遺言能力に問題ない旨の記載)を得ておくことが必須であるといえるでしょう。

 

また逆に、遺言の効力を争う側からしても、遺言作成当時の状態がわかる医療記録・介護記録等の証拠の収集が非常に重要となります。

 

認知症で判断能力が著しく衰えていることを知りながら、親に遺言書を書かせるように子らが仕向けることは論外ですが、要介護認定などを受けていて認知能力に不安がある状況での遺言書を作成せざるを得ないような場合には、遺言書を作成する前に医師の診断をしっかりと受け、後々の争いに耐えうるだけのエビデンスを確保しておく必要があります。有効な遺言書を作成するためにも、しっかりと理解しておきましょう。

 

 

北村 亮典弁護士

こすぎ弁護士事務所

 

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