鞭打ち刑で一発失神も?シンガポール「世界一の治安」の裏側

世界でもトップクラスの治安のよさを謳われる日本とシンガポール。交番を各所に設置する等類似点も多いが、その一方で、警察官の数、司法制度など、相違点もかなり多い。両国は、どのようにして自国の安全を守っているのだろうか。シンガポール在住の森和孝弁護士(One Asia Lawyers)が比較して解説する。

シンガポール「職業警察官」の数はわずか7,000人ほど

前回は、シンガポールの最新状況を紹介しながら、日本の「キャッシュレス化遅れ」について論じました(関連記事『1万円札廃止論は「日本キャッシュレス化」の起爆剤となるか?』参照)。

 

本記事では、少し趣きを変えて、シンガポールにおける犯罪対策について、日本と比較しながら解説します。この時期、観光、出張、赴任等でシンガポールを訪れる方も多いですから、その際に参考になりそうな情報も交えて書いていきます。

 

用いられる指標によって違いはありますが、日本とシンガポールは、世界で一番治安のいい国ランキングの常連国です。個人的な体感としては、シンガポールのほうが日本より安心して子育てができる安全な国だと感じています。

 

実際のデータを見てみると、2018年の人口10万人当たりの全犯罪発生件数は、日本で646件、シンガポールで588件(殺人事件の場合には、日本で0.24人、シンガポールで0.19人)と世界一の座を争う優秀ぶりです。

 

なお、2017年と比較すると、日本は約10%減少し、シンガポールは約1%増加しています。多くの人の体感値とはズレているかもしれませんが、数字的には日本の治安はすごいペースでよくなっているといえます(ただし、あくまで犯罪発生件数という数字は、捜査機関が認知した件数であり、犯罪被害の相談体制が整っていない国では、実際の数字からかい離するため、参考値の1つと考える必要があります。日本では、オンライン相談等の体制が整備されておらず、また、多忙な捜査機関がなかなか事件を「受理」してくれない傾向にあるため、まずはその改善が求められます)。

 

治安のいい日本とシンガポールですが、治安を維持するために、両国はどのような対策をとっているのでしょうか。

 

まず、共通点としては、「交番制度」があります。交番制度は、「KOBAN」として、世界中に制度が輸出され、多くの国の治安改善に貢献していますが、シンガポールにも1983年からJICA(国際協力機構)の協力のもと導入されています。シンガポールでは、交番をNPP(Neighbourhood Police Post)と呼び、公共団地の1階等住民のアクセスのいい場所に、全部で91ヵ所設置されています。本家の日本では、2018年時点で6260ヵ所に交番が設置されており、人口割合的には、シンガポールより3倍も多いことになります。

 

次に相違点ですが、まず日本では、交番数にも見られるように、多くの人員をパトロールに割いています。捜査においても、多くの捜査官を投入して人海戦術をとることが多く、約30万人の警察官が働いています。

 

一方、シンガポールでは、正規の職業警察官は約7,000人しかいません。その代わりに、CCTVと呼ばれる監視カメラを国中のあらゆる場所に設置しています。1つの地下鉄の駅だけで100台以上備え付けられている場所もあり、地下鉄の各車両にもすべて設置されています。

 

シンガポールの国内には150万台(国民4人に1台以上の割合)を超えるCCTVが設置されているともいわれています。また、このCCTVの一部には、顔認識システムが搭載されているため、国内にいるすべての人物の行動が把握可能です。

 

シンガポールには、日本を含む多くの近代国家が採用している刑事訴訟の諸原則、たとえば、補強法則(自白を唯一の証拠として有罪判決を下せない原則)、黙秘権告知(捜査中や裁判中に何も話さなくても不利に扱われない権利の告知を受ける権利)、令状主義(裁判所の許可がなければ逮捕や捜索ができない原則)、違法収集証拠排除法則(捜査機関が違法に集めた証拠は判決の基礎にできない原則)の全部又は一部が採用されていないにもかかわらず、国民(おそらく多くのシンガポール弁護士も)から、シンガポールの刑事司法制度への不満の声が聞かれないのは、1つには、国中に隙間なく張り巡らされた監視カメラによる証拠収集が一役買っているのではないかと推察します。

 

また、シンガポールには、I-WITNESS(アイ・ウィットネス)という制度があり、オンライン上で犯罪に関する情報提供ができます。シンガポール警察によると、2018年の1年間で、この制度から3万5,000件を超える情報提供があり、多くの犯人検挙に貢献したとのことです。2018年のシンガポールの犯罪認知件数が3万3,134件であることからも、いかに多くの情報が提供されているかがわかります。

 

さらに、2015年から、シンガポール警察は、「Vehicle On Watch」という制度を開始しました。これは、駐車場内での車上荒し等の犯罪を撲滅するために始められたもので、自動車を保有する一般国民の協力を募り、各車両に搭載されたCCTVの映像の提供を警察が受け、犯罪予防と捜査に役立てます。この制度を採用した駐車場には、標識が置かれ、犯罪の抑止に役立ちます。

 

Vehicle On Watch

 

そして、2019年4月、シンガポール警察は、「Sky ARC」というプロジェクトをローンチしました。このプロジェクトは、高画質ビデオカメラとサーモグラフィーが搭載された最新鋭のドローンを警察車両に装備し、空中からの捜索等に利用されます。また、まだ実験段階ですが、顔認識機能を搭載したスマートグラス(カメラ搭載眼鏡)が近いうちに警察官の標準装備として導入される予定です。

 

このように、最新テクノロジーの積極的な活用によって人的コストを最大限絞りながら、世界一の治安のよさを誇っている点は、非常にシンガポールらしいといえるのではないでしょうか。

 

人的コスト削減は日本でも重大な課題であり、徐々に国による監視カメラの設置が進んでいますが、日本では、シンガポールに比べて、警察による不祥事が目立ち、捜査機関への信頼が揺らいでいる状況にあるため、プライバシー等の問題がよりクローズアップされ、テクノロジーを有効活用できていない状況が続いています。

 

また、実際の刑事訴訟で、証拠として捜査機関側から提出される監視カメラの映像や画像は、非常に不鮮明で撮影方向も一方向の場合が多く、証拠として不十分な場合も多いため、設置台数だけではなく、その性能や機能にも着目した防犯体制の拡充が望まれます(もちろんプライバシーとのトレードオフであるため、設置場所の吟味や映像の使用目的の遵守とその監視は必要ですが)。

 

「治安のよさ」は、国民にとって最も重大な関心事であると同時に、内需がシュリンクしていく日本が外需を取り込むための最低条件であるにもかかわらず、これから人口減少が急激に進む日本においては、これまでと同じ人海戦術的なやり方で治安のよさを保つのは非常に難しくなってきます。人手が不足し、不十分な捜査で刑事裁判を行えば、冤罪事件も増えてしまいます(本来は、無罪判決が増えるはずですが、今の日本の刑事司法の在り方に照らせば、ただ、冤罪が増えると考えざるを得ません)

 

もちろん、テクノロジーへの過信は避けるべきですが(たとえば、米国では顔認識システムの誤作動や悪用による誤認逮捕等が問題になっています)、自白偏重、人質司法、聞き込み頼り、といった、あまりにも時代遅れな捜査手法に固執する日本の現状は、改善の余地が大いにあるのではないでしょうか。

1回打たれるだけでも失神する「鞭打ち」という刑罰

もう1つの特筆すべき日本との相違点としては、司法矯正の考え方があります。日本では、できるだけ刑務所ではなく、社会内での更生を目指すダイバージョンの考え方がある程度広く浸透していて、起訴猶予や執行猶予の割合が高くなっています(起訴猶予率は約65%、執行猶予率は約60%)。他方で、シンガポールには、執行猶予の制度自体がありませんし、一部の軽微な犯罪に対する反則金制度や少年事件の保護観察処分を除いて、原則として起訴されます。

 

ここで、起訴猶予と執行猶予について、簡単に説明しますと、「起訴猶予」は、検察官が、裁判所に起訴すれば確実に有罪だと考えているような場合に、被疑者の情状(示談の有無や反省の態度)等を汲んで、不起訴とする処分です(法律用語では、捜査機関によって犯人と疑われている人を「被疑者」と呼びます。「容疑者」はマスコミ用語です)。「執行猶予」は、被疑者が裁判所に起訴され、裁判所が懲役の有罪判決を言い渡すときに、いきなり刑務所に収容するのではなく、1年から5年の猶予期間を与えて、その期間に罪を犯さなければ、刑務所に収容しないという制度です。執行猶予のない懲役刑を「実刑」と呼びます。

 

したがって、日本では、初犯であれば通常は実刑となることは珍しい、万引き、痴漢、盗撮といった犯罪でも、シンガポールでは、いきなり実刑判決ということも珍しくありません。特に、痴漢や盗撮の場合、氏名、顔写真、会社名まで報道されることがよくあります。

 

また、シンガポールには、「鞭打ち」という刑罰があり、この鞭打ち刑が言い渡されることは珍しくありません。鞭打ち刑は、女性と51歳以上の男性には科すことができません。回数は、一般の男性は24回以内、少年の場合は10回以内とされています。使用される鞭には、ラタンという非常に頑丈な木材が使用されます。1回打たれるだけでも失神する受刑者もいて、回数をわけて執行されます。

 

また、故意の殺人、大麻を含む麻薬の所持、拳銃を使用した強盗等については、原則として死刑判決が下されます。

 

このように、シンガポールの刑事司法は、厳罰をもって治安を維持するという考え方が色濃く、日本とは大きく異なります。

 

この点は、その社会がどういった刑事司法のあり方を是とするかという問題であり優劣をつけられる問題ではありませんが、たとえば、「盗撮大国」と揶揄される日本では、いまだに「盗撮」を直接罰する法律はない(各都道府県の迷惑防止条例で対処している)一方で、シンガポールでは、「盗撮」を直接罰する法律が今年の5月に成立しました(懲役刑の上限を1年から2年に引き上げ、かつ、鞭打ち刑も併科可とされました)。

 

日本では、厳罰化は、犯罪の減少につながらないという意見もありますが、少なくともシンガポールでは、厳罰化によって治安の維持を図っているといえる状況にあります。

 

最後に、シンガポールを訪れる方々に向けたアドバイスとしましては、「ガムや電子タバコを国に持ち込まない」、「電車内で飲食しない、ドリアンを持ち込まない」といった基本的なことを守っていれば、まずは面倒事に巻き込まれることはほとんどありませんが、万が一、一度犯罪に巻き込まれると、その対応は一筋縄ではいきません。もし犯人だと疑われれば、その場で逮捕され、パスポートを没収される可能性もあります。

 

たとえば、空港等で他人から代わりに荷物をシンガポールまで運んでくれと頼まれるようなケースが実際にありますが、それが麻薬であれば、かなりの確率で死刑になってしまいますので、絶対に断る必要があります。また、万引き、痴漢、盗撮等については、上述のとおり、日本とは扱いがかなり異なりますので、(当然日本でもやってはいけませんが)特にシンガポールでは、犯行を疑われることも最大の注意をもって避ける必要があります。もし、意図に反して巻き込まれてしまった場合には、シンガポール在住の日本人弁護士に連絡をするか、日本大使館に助けを求めるのがいいでしょう。

 

 

森 和孝

One Asia Lawyers シンガポールオフィス

パートナー弁護士(日本法、国際法)

Head Fintech & Block-chain team

 

One Asia Lawyers 弁護士(日本法) Head Fintech & Block-chain team

弁護士登録後、M&Aやビジネス法務を主要業務とする大阪の法律事務所(弁護士法人Mercury General)等にて合計約6年間勤務。その後、英国を本拠地とする大手グローバルローファーム(Evercheds)のシンガポールオフィスにジャパンデスク責任者として常駐。

2018年に弁護士法人One Asiaのパートナーに就任し、シンガポールを中心に国際法務に従事し、クロスボーダーM&Aや海外進出・展開・統括に関するアドバイスを提供している。

近年は、フィンテックやロボティクス等最先端ビジネス関連のアドバイザリー業務の比重が増えている。とりわけブロックチェーン関連企業からの依頼が多く、ASEAN各国の暗号資産交換所の設立やICO・STOを行うにあたり、各国の規制を踏まえたファンド組成、ライセンス取得、ストラクチャリング、ホワイト・ペーパーのレビュー、各国準拠法に基づいた意見書の作成などの業務を提供している。

著者紹介

連載シンガポール在住国際弁護士が法律で読み解くニッポンの姿

本連載に記載されているデータおよび各種制度の情報はいずれも執筆時点のものであり(2019年8月)、今後変更される可能性があります。あらかじめご了承ください。

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