政府がキャッシュレス化を推進するさなかで起きた7pay騒動。今回の事件によってますます「現金信仰」が高まった人も多いことだろう。一方アジア各国では、キャッシュレス化の勢いが止まらない。すでに「キャッシュレス化後進国」として世界から認識され始めている日本だが、この格差は永遠に埋まらないのか? シンガポール在住の森和孝弁護士(One Asia Lawyers)が解説する。

○○payの普及は「国際的戦略の欠如」の表れ

前編では、日本の「キャッシュレス文化」が、世界各国と比べて非常に時代遅れであることを指摘しました(関連記事『中国の二番煎じで「QR決済」にすがる日本企業の迷走』参照)。

 

たとえば、筆者が住んでいるここシンガポールでは、先月から、クレジットカード、QRコード、電子マネー等、シンガポールで普及している23種類の決済手段すべてに対応した飲食店向け決済サービスがローンチされています。一方の日本では、7pay騒動をはじめ、キャッシュレス化の道のりは困難を極めています。そこで今回は、シンガポールの現況と比較しながら、「日本キャッシュレス化」に関わる諸問題を、さらに深く掘り下げていきます。

 

現地で講演する筆者

 

まず、前編と同様に、「キャッシュレス化」という言葉の使われ方を整理します。

 

① 本来の「キャッシュレス化」は、読んで字のごとく、現金支払い以外の決済方法の普及を意味します。そこには、クレジットカード決済、デビットカード決済、日本式電子マネー(FeliCa)決済、QRコード決済、NFC決済のほかにも、銀行振込や口座振替も含まれます。

 

② しかし、「日本はキャッシュレス後進国だ!」という論拠としてよく使われる下のグラフの「キャッシュレス決済」には、銀行口座間の送金(振込や振替)は含まれていません。

 

出所:経済産業省「キャッシュレスビジョン」平成30年4月
[図表]各国のキャッシュレス決済比率の状況(2015年) 出所:経済産業省「キャッシュレスビジョン」平成30年4月

 

③ また、最近の○○pay祭りの文脈で語られる「キャッシュレス化」は、双方向での情報のやり取りを可能とするスマホアプリによる決済、つまり、QRコード決済やNFC Pay(Type-A/B)決済の普及を意味していると理解できます。

 

④ さらに、「決済」の意味を「店舗での決済」に限らず、割り勘アプリ等の「アプリ上での個人間の送金」も含んで、「キャッシュレス化」が語られる場面も増えてきました。

 

本稿では、混乱を防ぐために、特に断りを入れない限り、「キャッシュレス化」は、上記②の意味で用いることとします。

 

日本では、[図表]のとおり、現金決済が80%を超えています。この理由について、日本は治安がよく、現金主義が根強い反面、キャッシュレス化には、セキュリティの問題が不安視されているということが一般的には挙げられます。しかし、それは的を射ない指摘であると思います。なぜなら、日本と同等かそれ以上に治安がよく、現金の信用も高いシンガポールでも、急速にキャッシュレス化が進んでいるからです(キャッシュレス決済比率は約60%です)。

 

では、キャッシュレス決済が進まない本当の理由は何かといいますと、とても単純で、キャッシュレス決済に対応していない店舗が多いことです。日本にある飲食店の約半数は何らかのキャッシュレス決済に対応済であるというデータもありますが、裏を返せば、残り半数は現金決済しか対応していないことになり、しかも、店舗によって対応している決済手段はバラバラです。

 

そのため、結局現金を持ち歩かざるを得ず、少額決済であればそのまま現金で払ってしまうという循環に陥ります。また、この飲食店の「キャッシュレス化」も、国際基準のキャッシュレス化ではなく、ガラパゴス化したFeliCaや、毎回暗証番号を入力する手間のかかる従来のクレジットカード決済にのみ対応しているケースがほとんどであるので、インバウンドの取込みの点でも不十分です。

 

そして、キャッシュレス化に対応していない店舗が多い理由は、導入コストの問題と、現金決済でもお客が来るという点にあります。

 

この導入コストの問題を解決するのが、QRコード決済です。店舗側にとってQRコード決済は、専用の端末がなくても導入可能であり、取引手数料も低廉で入金サイクルが早いため、ほかのキャッシュレス決済に比べて非常に有利な決済方法です。そのため、キャッシュレス化実現の切り札が、QRコード決済となるわけです。

 

日本では、このQRコードの乱立が逆にキャッシュレス化促進の足枷となっていましたが、ようやく今年の8月1日から、au PAY、銀行Pay(OKI Pay、はまPay、ゆうちょPay、YOKA!Pay)、メルペイ、LINE Pay、楽天ペイ(アプリ決済)、りそなウォレットの6サービスが、総務省が推進する統一QRコードの「JPQR」に参画することになりました(今後順次追加予定)。

 

しかし、日本のこのような対応は、行き当たりばったりという印象を拭えません。

 

さかのぼるに、日本では、2007年頃から電子マネーが急激に普及し、2010年には、大胆な規制緩和で、銀行以外にも100万円以下の為替取引を資金移動業として認める資金決済法が施行されました。この当時から、決済のキャッシュレス化とグローバル化は見込まれていたのです。

 

にもかかわらず、10年経ってもいまだ決済規格の統一さえ果たせていない状況です。しかも、同じ電子決済サービスでも、LINE PayやOrigami Payは、銀行法に基づく電子決済代行業の登録、Paypal、Line Pay、Paypay、Suica等は、資金決済法の前払式支払手段発行業の登録、PayPal、LINE Pay、7pay、メルペイは、資金決済法の資金移動業の登録と、それぞれ異なる登録を受けて事業を行っている状況です(Line Payは3種とも、PayPalは2種の登録)。そのほか、収納代行業として特にライセンスを受けずに類似のサービスを提供しているケースもあります。

 

この違いが、サービスによる送金限度額の差、個人間送金の可否、領収書添付の要否などに影響しています。さらにいうと、サービス提供会社が倒産した際の保証の範囲にも、適用法令によって差がありますが、利用者にはまったく理解の及ばない領域だと思います(需要があればこの辺りの話も回を改めて解説します)。このようなわかりにくさも、キャッシュレス化進展の障害となっています。

 

日本の状況は、他国が800走の2週目の後半をラストスパートで競っているときに、ゆっくりとスタートを切ったくらいの圧倒的な周回遅れです。ではなぜ10年間も遅々として進まなかったのか。あえて、進めなかったのです。

 

冒頭の[図表]で、日本のキャッシュレス化は、約20%であることに触れました。これは、経済産業省が2018年に公表したデータですが、金融庁が同時期に公表したデータでは、「日本のキャッシュレス化は、5割以上」とされていました。また、厚生労働省は、給与支払いのキャッシュレス化に長い間首を縦に振ってきませんでした(解禁の議論が未だに続いています)。省庁による温度差がここにも見て取れます。

 

日本では、利権ともいえる既存の金融システムを大きく変えることは非常に難しく、また、キャッシュレス化には一時的な失業者の増加という多少の痛みも伴うことなどからも、2010年の規制緩和のあとの動きをみると、日本政府の総意としては、キャッシュレス化には後ろ向きだったと評価せざるを得ません。そもそも今の政府のキャッシュレス化推進も、いってしまえば、インバウンド取込みのために経済産業省主導で進めているある種短絡的なキャンペーンの域を出ません。

 

その反面、シンガポールでは、QRコード規格の統一どころの話ではなく、すべての決済手段を統一した規格を実用化させる段階まで来ています。なお、シンガポールで27社も乱立したQRコードの統一は、2018年9月の「SGQR」の導入によって果たしています。

 

また、シンガポールは、とにかく最初から厳しく規制する日本の法律とは異なり、成長分野に関しては、最初は規制を置かず、徐々に実態に即して規制していく手法を取ることが多いです。キャッシュレス化に関しても、原則としてこれまで直接規制する法律はなく、2019年1月14日に、決済ビジネスを包括的に規制するPayment Service Actを成立させました。

 

さらに、シンガポール政府は、何でもかんでもとにかくキャッシュレス化という方針は取らず、非常に緻密かつ戦略的に進めています。具体的にいうと、まず政府はキャッシュレス化を推進する対象を、2つのセグメントにわけています。

 

もともとシンガポール政府は、キャッシュレス化社会の到来を見越して、1985年からNETSというシンガポールの主要3銀行共通のデビットカードシステムの提供を開始し、社会インフラとして普及させるべく、加盟店の決済手数料はたったの0.3~0.8%に設定しました。

 

このNETSの貢献もあり、シンガポールでは広くキャッシュレス化が進みました。このNETSは、アジア各国に輸出され、日本でも一部で利用が可能です。ただし、セキュリティ対策等の管理コストが増加し、NETSの取引手数料は毎年のように値上げされたこともあり、屋台や小さな個人商店の一部では、NETSの導入には至らず現金取引が残りました。

 

NETSの決済機器

 

シンガポール政府は、このNETS導入層を第1セグメントとする一方で、「現金主義」がいまだに根強いホーカーと呼ばれる屋台群、コーヒーショップ、社員食堂を第2セグメントに指定して、ここに税金を投入しながら、あらゆる決済手段を受け入れられるシステムを開発、無償で店舗に貸し出し、キャッシュレス化を猛烈に進めているのが現在の状況です。

 

ホーカーでもNETSの導入が進む

キャッシュレス化の秘策?「1万円札廃止論」

ところで、日本には、タンス預金が約40兆円強あり、しかも、2015年からの3年間で30%も増加したとするデータもあります。

 

先日のG20でも、マネーロンダリング防止の観点から、高額紙幣廃止が議論されました。実際に、2013年にスウェーデンで1,000クローナ(約1万6,000円)が、2014年にシンガポールで1万シンガポールドル(約85万円)が、2016年には、EUでも500ユーロ(約6万円)が廃止されました。 さらにインドでは、2016年11月に、突如1,000ルピー札(約1,560円)と500ルピー札(約780‬円)、2種類の高額紙幣の廃止を発表しました(その後新しい2,000ルピー札が登場しましたが、お釣りをもらえる店が限られるためあまり流通していません)。

 

実は、このような各国の思惑が、世界的なキャッシュレス化の急激な進展の1つの要因とされています。実際に、高額紙幣が廃止されたあとのスウェーデン、シンガポール、インドでは、さらに急激にキャッシュレス化が進展しました。

 

タンス預金の多くは、脱税等で得た黒いお金です。そのため日本でも、このタンス預金を捕捉し、マネロンや脱制を抑止するために、1万円札の廃止が議論されています。

 

日本政府が日本のキャッシュレス化を推し進めるにあたり、1万円札の廃止が、起爆剤になることは間違いありません。

 

日本政府としては、インバウンド対策という目の前の人参だけに捕らわれずに、近未来の社会インフラのグローバルスタンダートを争う戦国時代を制するという大義を理解した上で、この1万円札の廃止もオプションとして持ちながら、決済規格の統一、決済関連法の一本化、セグメント分けによる選択と集中、セキュリティ対策ガイドライン遵守の徹底といった施策を、明確な戦略のもと迅速かつ強力に推し進めていくことが求められています。

 

確かにキャッシュレス化には、セキュリティの問題、停電時の対応といった課題はいくつかありますが、どれも技術の進歩で克服できるはずのものです。副作用がない効き目の薄い薬をありがたがるのではなく、副作用を可能な限り和らげた効き目の強い「良薬」(時として「劇薬」)を追い求めることが国として必要な姿勢なのだと筆者は考えます。

 

≪前編はこちら≫

 

森 和孝

One Asia Lawyers 弁護士(日本法)

Head Fintech & Block-chain team

 

本連載に記載されているデータおよび各種制度の情報はいずれも執筆時点のものであり(2019年8月)、今後変更される可能性があります。あらかじめご了承ください。

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