2019年7月1日より提供を開始した「7pay」が、9月30日を持ってサービスを終了する。廃止の要因となった「不正利用」の被害総額は3800万円を超え、大企業のずさんな情報管理体制が明らかとなった。「キャッシュレス化」黎明期に今回の事件が起きたことは、今後の日本の発展に大きな影響を及ぼすだろう。一方、アジア各国では、キャッシュレス化の勢いは止まらない。日本はこのまま、世界から遅れをとってしまうのか? シンガポール在住の森和孝弁護士(One Asia Lawyers)が解説する。今回は前編。

日本のキャッシュレス化は、かなりの「周回遅れ」

ちょうどこの原稿を書いている2019年8月1日に、あの天下のセブン&アイ・ホールディングスが、スマホQRコード決済サービス「7pay」を9月末に終了すると発表しました。

 

他方で、筆者が住んでいるここシンガポールでは、先月から、クレジットカード、QRコード、電子マネー等、シンガポールで普及している23種類の決済手段すべてに対応した飲食店向け決済サービスがローンチされました。

 

しかも、これはシンガポール政府が主導しており、決済の統一規格の開発企業を政府が指定し、導入から3年間は店舗側の決済機器のレンタル無料、かつ、0.5%の決済手数料も政府が負担するという徹底ぶりです。この政策には、シンガポールで最も普及している決済システムNETSの地位を死守し、さらにこの統合システムを海外に輸出してキャッシュレス化におけるアジアのハブに上り詰めることで、中米の決済網に飲み込まれて、すべてのビッグデータを彼らに独占されてしまうことを防ぐという巧妙な戦略が伺えます。

 

この2つのニュースを見るだけでも、日本のキャッシュレス化がかなりの周回遅れであることは明確です。日本の「当局」は、とにかく補助金という名の税金を戦略なしにジャブジャブ使い、予算の綱引きに暇がないように見えます。

 

その点、シンガポール政府は非常に優秀で、制度設計や法規制においても、見習うべきところが多分にあります。日本を応援する意味で、様々な側面からシンガポールの取組みを取り上げていきますが、その第一弾が「キャッシュレス化」です。

 

まず、「キャッシュレス化」という言葉の使われ方を整理します(いかにも弁護士らしい導入ですが)。定義が不明確だと気持ち悪くて先に進めないので、ご容赦ください。

 

① 本来の「キャッシュレス化」は、読んで字のごとく、現金支払い以外の決済方法の普及を意味します。そこには、クレジットカード決済、デビットカード決済、日本式電子マネー(FeliCa)決済、QRコード決済、NFC決済のほかにも、銀行振込や口座振替も含まれます。

 

② しかし、「日本はキャッシュレス後進国だ!」という論拠としてよく使われる下のグラフの「キャッシュレス決済」には、銀行口座間の送金(振込や振替)は含まれていません。

 

出所:経済産業省「キャッシュレスビジョン」平成30年4月
[図表]各国のキャッシュレス決済比率の状況(2015年) 出所:経済産業省「キャッシュレスビジョン」平成30年4月

 

③ また、最近の○○pay祭りの文脈で語られる「キャッシュレス化」は、双方向での情報のやり取りを可能とするスマホアプリによる決済、つまり、QRコード決済やNFC Pay(Type-A/B)決済の普及を意味していると理解できます。

 

④ さらに、「決済」の意味を「店舗での決済」に限らず、割り勘アプリ等の「アプリ上での個人間の送金」も含んで、「キャッシュレス化」が語られる場面も増えてきました。

 

本稿では、混乱を防ぐために、特に断りを入れない限り、「キャッシュレス化」は、上記②の意味で用いることとします。

 

上で挙げた決済の規格について補足すると、SONYが開発し日本でガラパゴス的に流通している電子マネー(Suica、nanako、楽天Edy等)の規格がFeliCaであり(ただし、香港、インドネシア、スリランカ、バングラディッシュのICカード乗車券ではFeliCaが採用されていて、アジアの交通カード分野では健闘中)、VISAやMastercardといった国際ブランドが採用しているのがNFC Pay(Type-A/B)です。

 

欧米やシンガポールの交通ICカード(EZ-Link等)は、NFC Pay(Type-A/B)を採用しているため、NFC Pay(Type-A/B)に対応したクレジットカードやスマホをそのまま改札口でかざして通ることができます。シンガポールでは、MRTと呼ばれる地下鉄のICカードに当初はFeliCaを導入しましたが、国際規格には成長しないと判断するや否やNFC Pay(Type-A/B)に乗り換えました。さらに、今年からVISAとMastercardにも対応したため、交通ICカードを持つ必要さえなくなったのです。

 

また、国際基準のキャッシュレス化のなかで語られる規格にも大きく2種類あります。それがこのNFC Pay(Type-A/B)とQRコードです。NFC Pay(Type-A/B)は世界中で広く普及している規格ですので、国際基準のキャッシュレス化の文脈では、一般的にこちらの規格への準拠を意味します。

 

しかし、周知のとおり、日本のインバウンド収入の約半額を占め、最大の貢献者ともいえる中国人は、ほとんどNFC Pay(Type-A/B)に対応した決済手段を持っておらず、ほぼ全員がQRコード規格のAlipayとWeChat Payを使っています。よって、インバウンド対策という文脈では、この2社のQRコードへの対応を主に意味することになります。

そもそも日本でキャッシュレス化は必要なのか?

そもそもキャッシュレス化がなぜ必要か?という点が腹落ちしていない読者の方も多いことでしょう。日本では、クレジットカード決済とFeliCaによる電子決済はそれなりに普及していますし、なにより現金取引の信用性が非常に高いです。

 

キャッシュレス化は、すなわち仲介者の手数料の分だけ利益が目減りすることを意味しますので、社会的損失ともいえます。また、日本政府は、「QRコード決済」をキャッシュレス化の旗印にしようとしているようですが、これでは完全に中国の二番煎じですし、しかも、QR(Quick Response)コードは、日本のデンソーウェーブが1994年に開発した技術であり、同社がライセンスフリーにしたため一気に普及した、日本人にとっては「古い技術」です。

 

そこへきて、ソフトバンク、セブンイレブンといった日本の覇者ともいうべき大企業が鳴り物入りで参入したQRコード決済サービスで、次々にセキュリティ上の問題が報道されてしまったことから、キャッシュレス化推進派の勢いも意気消沈といったところでしょうか(一企業のキャンペーンがここまで全国民に知れ渡り、その不祥事に国民的議論が巻き起こるのも、日本独特のマスメディアの在り方によるものですので、その点もどこかの機会に触れてみたいと思っています)。

 

しかし、私見としては、QRコード決済を含めた日本のキャッシュレス化は、できるだけ早急に達成すべき課題だと考えています。

 

“Cash is no longer king”(現金はもはや王ではない)

 

という標語を聞いたことがあるでしょうか? 各国の金融や決済業界で聞かれる言葉で、世界中でのキャッシュレス化の急速な進展を意味しています。その先には、ブロックチェーン技術との融合も含有していると個人的には解釈しています。

 

少し話が脱線しますが、弁護士である筆者が「キャッシュレス化」というテーマを記念すべき連載第1回に選んだのは、フィンテック、ブロックチェーン、AIといった最新テクノロジーの国際法分野を専門として扱っていることが大きく影響しています。上記の最新テクノロジーの力によって、これまで「色がない」といわれていたお金や電気にまで色(情報)が付き、世の中を今後大きく変えていく可能性のある技術を、見聞する機会が非常に多いのです。

 

回を改めて詳しく触れる予定ですが、たとえば、デジタルグリッド株式会社という日本企業は、ブロックチェーンを利用して、発電経緯を可視化した電力を供給することで、自然エネルギーによって生み出された電気のみを使用するというような「生き方」を選択できるサービスの提供を目指しています。

 

また、筆者がアドバイザーを務める、シンガポールを拠点とするDigital Entertainment Asset Pte.Ltdという企業は、ブロックチェーンを利用して、ゲーム内で入手したデジタル上のアート作品が転々流通する度に、オンライン上で支払った購入代金等の一部がライセンスフィーとして著作者に自動的に割り当てられることで、クリエイターの育成を図るというプロジェクトを進めています。

 

決済のキャッシュレス化は、単なる「お財布からの解放宣言」ではなく、物々交換のない現代の資本主義社会においては、「人間の経済活動全体のデジタル化」を意味しています。AIやブロックチェーンといった最新テクノロジーとの融合で、人々の生活を飛躍的に便利にする革新的なサービスが、加速度的に生まれてくることは容易に想像できます。

 

スマホというインフラの普及が、「黒電話のタブレット化」に止まらず、人々の生活様式全般を劇的に変えたことを見ても、決済のキャッシュレス化という社会インフラの整備によってもまた、世の中の有り様が激変することは間違いありません。

 

その例の1つが、キャッシュレス化で大変貌を遂げた中国です。

 

中国をひんぱんに訪れる日本人が口を揃えていうのが、「中国はマナー大国になり、ホテルやレストランでのサービスの質も、一部では日本を超えた」ということです。その躍進に一役を買っているのが、アリババグループのアント・フィナンシャルが提供する「芝麻(ゴマ)信用」という個人や企業の信用評価制度です。

 

ゴマ信用内の点数は、アリペイの支払い履歴、政府が提供する個人データ、学歴、職歴、資産、人脈、公共の場での行動などをもとに毎月発表されます。この点数が高いと、無利子のローンを利用できたり、携帯料金を後払いにできたり、特定のホテルやレストランを保証金なく利用できたりと優遇されます。筆者も中国各地へ出張に行くことがありますが、空港、タクシー、ホテル、レストラン、イベント会場、観光地と、どこに行っても、「マナーが悪い」と感じることは最近ではほぼなくなりました。観光客にとってのその代償は、現金もクレジットカードも使えない店が増えて途方に暮れることがあるくらいでしょうか。

 

国によって必要なニーズは当然違うため、日本でも同じ仕組みを導入すべきとはならないにしても、たとえば、キャッシュレス決済が完全に普及して、現金が姿を消し、さらにブロックチェーン技術を応用すれば、来歴が追跡可能で、かつ、改ざん不可能な取引しか世の中に存在しなくなるため(ID番号が付されたデジタル上のお札しか流通していない世界をイメージしてください)、世間を騒がせている吉本興業事件のような反社会的勢力からの受益という問題や、オレオレ詐欺の問題も一気に解決することが期待されます。

 

近未来の世界では、数時間で地球の裏側まで移動でき、宇宙旅行に人々は出かけ、地球生活に疲れた人は火星に移住する、といったことが当たり前になっていくといわれていますが、そんな時代に大量の札束を宇宙船に運び込んでいる姿は滑稽でしかありません。シンガポールのキャッシュレス化に慣れてしまって、日本のサラリーマンが、お札で膨れ上がった長財布でズボンの後ろポケットをパンパンにしてランチしている姿に懐かしさを覚えるのとは、また何次元も先の話ですが。

 

このような近未来的な話を持ち出さずとも、キャッシュレス化の即時的なメリットとされているのが、労働力不足の解消、年間8兆円ともいわれる現金管理コストの削減、インバウンド促進、マネロンや脱税の防止で、もちろん、これらもそれぞれとても重要です。さらには、キャッシュレス化は、病院やウェットマート(魚や肉、野菜、果物など、生鮮食品を取り扱う市場)での感染症の防止にも役立ちます。

 

≪後編はこちら≫

 

森 和孝

One Asia Lawyers 弁護士(日本法)

Head Fintech & Block-chain team

 

本連載に記載されているデータおよび各種制度の情報はいずれも執筆時点のものであり(2019年8月)、今後変更される可能性があります。あらかじめご了承ください。

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