幸せな老後のためには資産を手放すことも大事
高齢者になると、自分では大丈夫だと思っていても、子どもたちからは何かを心配されて世話を焼かれるようになるものです。そこで、いつまでもお金を節約した生活をしていると、お金の心配までされることになります。
筆者としては、ある程度は鷹揚にお金を使って、子どもや孫には「心配するな、お金はあるから」と笑って暮らしたい。そして最期は、「惜しい人を亡くした」と泣かれるよりは、「あの人は人生を生ききった」と拍手喝采で送られるような人生にしたいと考えています。
そのための第一歩が、不動産の売却で資産を見直す「ハッピー・リセット」です。
これまで後生大事に世話をしてきた不動産を手放すというのは、多少は身を切られるような辛さがあると思います。しかし、幸せな老後のためには、そこまでの人生をいちど切断するような勇気を持つことも大事です。
お金はたくさん持っているのに、若い頃の働き方を忘れられず、ジャージ姿でいつまでも農業に勤しむ地主さんや、私の父のように厨房でウナギをさばく職人さんや、いつまで経っても後継者に実権を渡さない中小企業の社長さんというのも、決して悪いものではありませんが、若い人にとっては目の上のたんこぶです。
そもそも、70歳になっても80歳になっても働いている姿を見せていると、若い人は、老後に希望が持てなくなってくるのではないでしょうか。
人生なんてしょせん一生働きづめだとか、働いて働いてそれで最後は邪魔者扱いされておしまいだとか、そういうネガティブな諦念は、いつまで経っても働くことをやめない老年世代がつくってきたものだと思います。
高齢者の役割とは、逆に、老後はこんなに楽しいぞ、働いてお金を稼ぐといいことがあるぞ、と実践して、若い世代にロール・モデルとして見せてあげることだと思うのです。
今の世の中に「老後が不安」だとか「下流老人」だとか、高齢者をネガティブにとらえる言説が蔓延するのは、若い頃のようにバリバリ働くことができないのにショボショボと働き続ける、現代の高齢者の姿が映し鏡になっているのではないでしょうか。
最後くらい「本当にやりたいこと」をやる
かつて、がんになった若い母親を描いた『死ぬまでにしたい10のこと』というカナダ映画が話題になったことがありました。病院で余命2カ月の宣告を受けた主人公が、家族にはその事実を内緒にしたまま、ノートに「死ぬまでにしたいこと」を箇条書きで書き出していって、ひそかに実行するという物語です。
それは以下のようなものです。
①娘たちに毎日愛していると言う
②娘たちの気に入る新しいママを見つける
③娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する
④家族とビーチに行く
⑤好きなだけお酒と煙草を楽しむ
⑥思っていることを話す
⑦夫以外の男の人と付き合ってみる
⑧誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する
⑨刑務所にいるパパに会いに行く
⑩爪とヘアスタイルを変える
普通は、余命2カ月と言われると落ち込んで暗くなってしまうものですが、誰にも知られずに一つひとつを実行していくなかで、主人公は残された人生を充実したものにしていきます。
筆者は、老後というのも、これと似たようなものだと思うのです。余命が何年であると宣告されたわけではありませんが、高齢者になるとどうしても死が身近になってきます。しかし、たいていの人は死を意識して暮らすことなく、ただ何となく、普段どおりの習慣化した毎日を送ることに一生懸命になっています。
しかし、充実した人生は、自分を見つめ直して、やりたいことを50個くらい書き出して、一つずつ実行していくような生活の中から生まれるものではないでしょうか。私もあと10年経って65歳になったら、ノートを買って「死ぬまでにしたいこと」を書き出していってみようと考えています。
私は「もう年だから」という言葉が嫌いです。それは、若い人が言えば高齢者を馬鹿にした言い方ですし、高齢者自身が言えば、自分のやりたいことに挑戦しないための逃げの言い訳に聞こえるからです。どんなにあがいても人は死ぬものですから、死ぬ前の10年間くらいは、本当にやりたいことをやってもいいのではありませんか。