人々の生活を変える「水素」…近未来の予想図とは?
朝起きると、スマートフォンが鳴る。ネット注文した日用品が配達される連絡だ。ベランダに出ると、燃料電池ドローンが到着する。ドローンのカーゴには、目当ての商品に加え、折りたたみ傘くらいの大きさの水素カートリッジも入っている。様々な燃料電池製品に水素を供給することができる、汎用型の水素カートリッジだ。ドローンから商品とカートリッジを取り出し、代わりに昨夜燃料電池バイクから抜き出した空のカートリッジを置く。すると、ドローンは飛び上がり、向かいのマンションを越えて集配センターへと帰って行く。空のカートリッジは、どこへ行くのだろうか?
飛び立って数分で、ドローンは集配センターに到着する。ドローンに積んだ空のカートリッジを取り出すロボットも、燃料電池で動いている。空のカートリッジは1カ所に集められ、燃料電池トラックに積み込まれる。ドローンは、荷物を積む間に水素の充填を終え、また集配エリアへと飛び立っていった。
カートリッジを積んだ燃料電池トラックは、郊外のマルチエネルギーステーションに立ち寄る。昨日、イレギュラーな配送があったため、燃料が不足したのだ。
マルチエネルギーステーションには、超急速充電器エリアに数台の電気自動車が並び、水素エリアでは燃料電池自動車が充填を行っている。空いているディスペンサーで水素を充填する。ディスペンサーからは、水素に加え、水素に関する情報も流れ込んでくる。
価格はいくらか、CO2の排出量はどの程度か、どこで作られた水素がどの程度混ざっているか、といった情報だ。これらの情報は、物流CO2マネジメントシステムに同期される。このシステムは、物流のスタート地点からゴール地点までの移動で排出するCO2が瞬時に算出され、物流会社のクリーン対応を保証するものだ。
充填を終えた燃料電池トラックは再び移動し、やがて港湾近くにある水素充填工場に到着する。工場では、膨大な量のカートリッジが燃料電池フォークリフトによって1カ所に運ばれ、ベルトコンベアに乗せられている。ベルトコンベアの先がカートリッジへの水素充填エリアだ。
カートリッジには、様々な水素が充填される。海外の大規模洋上風力発電からやってきた水素もあれば、国内のクリーン水素集積者(アグリゲータ)が集めた水素もある。クリーン水素アグリゲータは、風力や地熱、太陽光など様々な再生可能エネルギーの発電量を把握し、需給に合わせて安価に再生可能エネルギー電力を購入し、水素に換えている。クリーン水素が不足する場合には化石燃料由来の水素で補われることもあるが、滅多にない。やがて水素充填を終えて満タンになったカートリッジは、もと来た道を戻るように、全国各所の集配センターへと運ばれ、その先の無数の家庭へと届けられていく。
化石燃料で実現したエネルギーサプライチェーンの革新
経済大国と言われる日本や米国、欧州において水素・燃料電池市場における研究開発と、それに伴う競争が活発化している。再生可能エネルギーと水素・燃料電池が現代社会におけるエネルギーの中心となったとき、どのようなチャンスが市場に訪れるのだろうか。
再生可能エネルギーと水素・燃料電池技術によって引き起こされる第三次エネルギー革命の考察を行う前に、過去のエネルギー革命において、どのようなビジネス機会があったのか振り返ってみよう。
エネルギーサプライチェーンの革新:
化石燃料を採掘~輸送~供給する一大ビジネスの成立
第一次エネルギー革命後は、動力源として石炭が用いられるようになり、石炭の探鉱・採掘・精製・鉄道輸送といった、エネルギー供給ビジネスが主流となっていた。しかし、エネルギーの主軸が石油に変化するに伴い、石油を製造/輸送する新たなエコシステムが構築され、サプライチェーンの革新に伴い多くの産業が創出された。
例えば、資源探査においては、地表での調査が中心となる石炭と比較し、石油は地中深くの地層や海底に眠る資源を探査する必要があるため、人工地震やセンサーを利用した地中探査技術などが新たに必要となり、ビジネス機会が生じた。同様に石油採掘・精製・輸送といった工程においても、従来とは異なる技術が求められ、石炭を製造/輸送するエコシステムを代替していくこととなった。さらに自動車のようなアプリケーションの普及に応じて、大規模需要家だけでなく、個人などの小規模需要家が多く現れたことにより、ガソリンスタンドのような個別供給事業も登場することとなった。
エネルギー利用の革新:
人やモノを圧倒的な効率で運ぶモビリティ製造業が登場
次に、従来から蒸気機関が用いられていたアプリケーションの動力が内燃機関に置き換わり、それに付随する新たなエコシステムが構築されるという、エネルギー利用の革新による産業創出が挙げられるであろう。第一次エネルギー革命後は、動力として蒸気機関が主流となったが、大型で移動用には不向きであり、高いボイラー爆発事故のリスクや低い熱効率などの欠点が存在していた。特に交通輸送機関には、より軽く、より高効率の動力源が求められていた。
第二次エネルギー革命において石油を燃料とした内燃機関が開発されると、ガソリンエンジン自動車の生産が始まった。蒸気機関よりも安全で扱いやすく、軽い高効率な動力源が実現したことで、輸送部門における石油利用が本格的に始まり、自動車や航空機などのモビリティ製造業が次々と誕生していったのである。また、かつて船舶や鉄道の動力は蒸気機関が主流であったモビリティについても、より高効率なディーゼル機関の発明に伴い、蒸気船や蒸気機関車はディーゼル船やディーゼル機関車へと代替されていった。軽く、高効率で安全な動力源である内燃機関の発達なくして、現在のモビリティ製造業は成立し得なかったと言えるだろう。
ビジネスモデルの革新:
製品販売~メンテナンス産業に加え、人流・物流にまつわる様々なビジネスが成立
自動車や航空機のような新たなアプリケーション市場が創出されると、従来は存在し得なかった、新しい付随産業が次々と創造されていった。代表的な例が自動車関連産業と言えるだろう。今日、自動車製造業は単なる新しいアプリケーションの製造に留らず、大きな経済効果をもたらしている。例えば、素材・部品・車両製造から始まり、新車販売や販売金融、保険、整備、ガソリンスタンド、中古車流通、カーシェア、モータースポーツ、宅配など、自動車というアプリケーションが実用化されたことで、多くの産業が付随して発展し、非常に裾野の広い市場を形成するに至った。日本自動車工業会の発表によると、日本における自動車製造業の就労人口は約86万人であるのに対して、運送業やレンタル業などの利用分野やディーラーなどの販売分野など、関連就業人口は約539万人となっている(図表1)。
このように新たなアプリケーションの登場は、製造業に留まらず、多くの関連産業の創出に貢献し得る。
現在の生活は、当時創設された産業に支えられている
エネルギーの主軸が石炭から石油へ移行し、石油といった新エネルギーの製造に伴い、新たなエコシステムが構築され、石油探鉱や製造、ガソリンスタンドといった産業が創出された。また、内燃機関の発達に伴い、エネルギー利用に革新が生じると、新たなアプリケーション製造業と、それを支える部品産業などが登場した。そして、新たなアプリケーションの登場の影響は製造業だけに留まらず、アプリケーションを利用したビジネスの創造にも発展した。
現代では、家族で自動車に乗って買い物に出かける、外出先で燃料を調達する、インターネットで注文した商品が自宅まで届く、といった便利な世の中になっている。商品の流通から消費者の移動まで、至るところでモビリティが活躍しており、現在の生活の多くは、第二次エネルギー革命によって創出された産業に支えられているのである(図表2)。