学校法人のM&Aによって億単位の借金から開放
前回の続きです。父としては、息子への後継が叶わないこととなりました。そこで、準備は早いに越したことはないと考え、私は父にM&Aを利用して専門学校を売却することを提案し、了承してもらうことができました。
最初に交渉したのが、首都圏で美容関連の専門学校を運営していた会社です。ところが、条件面では厳しいものがありました。まず、自社ビル購入時の借入金を引き継いでもらえず、学校の商号もM&A終了後に変更したいということでした。このとき、買い手候補が求めていたのは、こちら側の「学校法人」格でした。前回述べたように、学校法人であれば税制上有利なうえ、補助金も交付されますが、その権利だけが欲しいという交渉姿勢でした。
あまりにも条件が芳しくなかったので、この相手との交渉は打ち切り、ついで全国に60校以上を展開していた東京の大手専門学校に打診をすることとしました。このときは、私は紹介だけを行い、交渉の実務などは父と縁があった証券会社を通じて行われました。
交渉からおよそ1年後、めでたく売却が叶いました。買い手は全国展開する大手でしたが、講座の中心はビジネス系で、こちらが有していたデザインやグラフィックの学科に興味を持ってくれたのです。また、こちらが既に学校法人格を所有していたことも有利な材料となりました。自社ビル購入に伴う3億5000万円の負債はそのまま買い手が引き継ぐという条件で、こちら側には一切の借金が残らないという話です。
その他、商号は1年間継続。私ともう一人の非常勤理事は退任しましたが、現場の講師スタッフは全員当面の継続雇用も条件として飲んでもらいました。また、学校法人の理事長だった父は、顧問という肩書で引き継ぎを兼ねて3年間、残留することにもなりました。自社ビル購入が負担になっていた父としては、借入からは解放され、肩の荷が下りたというわけです。
後継者が不在だった税理士事務所を承継した理由とは?
軌を一にして、私は能登のほうで事業を行っていた税理士事務所を承継しました。
すべての条件は、譲り受ける立場である私のほうで丸ごと引き継ぎ、現場のスタッフもすべて継続雇用しました。譲渡の事務所は、スタッフが7名で約150社の顧問先企業を抱えていました。金沢とは事業エリアの重複も少なく、地域密着型のコンサルティングやM&A支援を考えていた私から見れば、魅力のある話でした。
また、もう一つ承継したい理由は、顧問先企業に対して、決算中心の税務申告業務を提供していた現状を変えて、毎月税務コンサルティングを提供したいという使命感もありました。
その事務所は、どちらかというと決算月に一度訪問し、決算を行うのが中心の業務でした。その頃私は、税理士事務所で、本業の税務申告業務のみならず、付加価値業務として人材教育(後継者育成)や人材紹介業、保険代理店などの活動も行っていました。必要な資格や認可もクリアしたうえで、M&Aなどの経営戦略を含めてワンストップで行えるようにしていたのです。
そのため、承継した税理士事務所でも、ビジネスモデルを改めて、金沢本社同様に、毎月税務監査でお客様を訪問する体制に変えていきました。つまり、決算書作成だけではなく、毎月の税務コンサルティングや経営支援を付加し、顧問先企業の経営サポートや節税対策、事業承継に積極的に関わるスタイルに改めていったということです。同時に、顧客に対する礼節などが私の目から見ればいまひとつで、地方にありがちな「なあなあ」の関係だったため、この点も厳しく改めました。
その後、今回のモデルケースに興味を持った後継者不在の税理士事務所はもとより、福井、富山の会社からも相談があり、現在は北海道などへの進出も検討していますが、どの地域の税理士事務所も決算プラスアルファの部分を売りに、事業を続けています。
現在、会計や税務の世界では、医療と同様の「セカンドオピニオン」が求められていると強く感じます。単に制度に則った財務や会計の処理を行うだけでなく、中小企業オーナーの立場をよく理解したうえで、日々の経営や事業承継、また節税や相続といった諸問題に対処していく必要があるということです。
そのためには、中小企業の実態や悩みを知ると同時に、ケースに応じたアドバイスや人の紹介・派遣といった臨機応変な対策が必要です。M&Aを活用して学校法人を売却したことで、父と私自身の負担が減らせ、また続く税理士事務所の承継によって、現在までにつながる足がかりを得られたのだと実感しています。