親族から打診された専門学校と税理士事務所の承継
最後の事例として、私個人がサポートして私の父が売り手になった専門学校の売却、ならびに私自身が譲り受ける立場となって税理士事務所を承継した例をご紹介します。
およそ40年前から個人で税理士事務所を経営していた父は、85年に新たに情報ビジネス関連の専門学校を起こして経営を始めました。当時、北陸の若者の多くは高校卒業後に県外の大学に進学し、就職するのも東京や大阪などの県外中心で、Uターン就職が少なくなっていました。
地元北陸でも優秀な人材が求められるのと同時に、企業にコンピューターが普及し始めていて、OA(オフィス・オートメーション)の知識や経験を持つ人材の確保も急務でした。地元への貢献と同時に、人材育成という手堅い業務も手がけることで、多角化を図ることができるという経営判断もあったと思います。
その後、新たにデザインやグラフィックを教える専門学校も設け、売却前にはビジネス系8学科、デザイン系4学科の計12学科を有していました。生徒は高校新卒者が中心でしたが、売却前には社会人の入学も徐々に増えてきていました。
移転で集客が厳しくなった「学校法人」をどうする?
04年、東京のM&Aコンサルティング会社を辞して地元に戻った私は、会計の仕事を行いながら父の専門学校の仕事も手伝うようになりました。
最初に行ったのが、学校法人化です。学校法人の資格を取得することで、税制上有利な扱いが受けられるうえに、補助金の交付を受けることもできます。申請の準備などからちょうど1年くらいかけて、学校法人の資格を得ることができました。父が理事長に、校長と数名の常勤スタッフ、そして私が理事に就き、経営をサポートするという態勢でした。
その間、父は大きな決断をして地元でも一等地にあたる金沢市の南町というところに鉄筋コンクリート造り、9階建ての自社ビルを購入し、学校を集約しました。3億5000万円を借り入れての購入でしたが、父としては一国一城の主となった感覚もあったかもしれません。金沢の南町は、東京で例えれば大手町のようなエリアです。ビジネスの中心街への進出はさらなる成長への足がかりとなるはずでした。
ところが、難しい問題もありました。立地のうえではビジネスの中心街とはいえ、生徒さんにしてみれば、金沢駅で電車を降りて、バスに乗り換えなければ学校に辿りつけないことになりました。東京や大阪の人にはわかりにくいかもしれませんが、中核都市の金沢でさえ、「乗り換えを厭う」という風習があります。東京では通勤・通学に電車を乗り換えることは当たり前でも、金沢では学校や家選びの大事な要素として「乗り換えナシ」が考慮されるのです。
南町への進出は、学校法人のブランディングには役立ったでしょうが、生徒さんの集客という点ではむしろマイナスだったのです。
後述しますが、地方でのM&Aや事業コンサルティングでは、地域密着型で活動をしていて地元の事情や商習慣をよく把握している人を味方につけることが得策となります。そのことは、事業地の移転や新規進出の際の立地選びにも当てはまるのです。
さらに、専門学校という業態は基本的には世間が不況になるほど好況を呈すものなのですが、北陸地方の人口減少がボディブローのように効いてきたのです。少子高齢化の波は金沢をはじめとする北陸でも例外ではなく、石川・富山・福井の3県で人口が減少していました。
学校の承継を断った理由は「負債額」と「社風」
父としては、専門学校の行く末を考え、私に次を託したいという気持ちもあったのでしょう。あるとき、「どうだ、やってみるか」と問われました。迷った面もありますが、M&Aをはじめとするコンサルティングの経験やスキル、そして税務会計知識を活かした道を行きたいと思ったことと、また立地や人口減少のことを冷静に考えたうえでの将来性にも一抹の不安を感じ、後継を断りました。ありていに言えば、自社ビル購入に伴う3億5000万円の借入を、滞りなく返済できるか不安を感じたということです。
個人的な理由として、もう一点、気になっていたことがありました。それは、専門学校を経営する側の立場と、講師という教育的立場における考え方のギャップであり、服装や学校内での態度も含めて、コントロール不能な状態にあったことでした。
私はいまでも仕事のうえで部屋に入る際やノートパソコンを開いて作業を始めるときなどに、必ず一礼をします。これからこの部屋や道具の「お世話になる」。そのことに、感謝をして仕事を始めたいのです。仕事をするうえでの服装も、礼儀にかなったものでなければならないと考えます。そのため、現在経営するコンサルティングや会計の会社でも、スタッフに対して一礼の習慣を徹底しています。
そんな私から見たときに、人にものを教える立場の講師の方々の装いは気になることでした。改めようと動いたこともありますが、私が途中参加のうえ、ある程度できあがった〝社風〟を変えるのは簡単ではありません。M&Aや事業の後継に際して、数字だけでは割り切れない部分があることの一例ではないかと思います。
このケース例は次回に続きます。