定義があいまいで、病態・症状も様々なムチ打ち症
前回の続きです。
このような状況であるから、当然後遺障害の等級認定においても困難がつきまとう。ムチ打ち症が先ほど見たように軟部組織の損傷であるとすれば、やはり12級の器質的損傷や画像所見といった要件を満たすことは難しい。そればかりか被害者の訴える症状が事故によってもたらされたものかどうかの医学的な説明も困難な場合が多く、14級の認定さえ危ういのである。
問題はかように定義があいまいで、その病態も症状も様々であるムチ打ち症には、軽度のものもあれば、日常生活にかなりの支障をきたす重度のものまで幅広い症状が存在することである。確かに多くのムチ打ち症とされる傷害は3カ月以内で治癒することが多いのだが、難治性のものも存在するのである。それらをひとまとめにして、器質的損傷や画像所見が見られないという一点で判断し、後遺障害14級あるいは非該当にしてしまうのは、あまりに問題が多いといわざるを得ない。
さらに客観的な裏付けが難しいムチ打ち症ゆえに、被害者の精神的な影響に過ぎないという一方的な判断や、さらにいえば詐病の疑いにさらされる傾向があることも忘れてはならない。被害者がどれだけ痛みや不自由を訴えても、気のせいだとか治療費や後遺障害の補償目当てで嘘をついているのではないかということで、医師や保険会社から一方的に疑われてしまう。
これは後遺障害の認定だけでなく、症状固定にも大きく関わる問題で、不条理な嫌疑をかけられ精神的に不安定になってしまう被害者も少なくないことはすでに述べたとおりである。(筆者著書『ブラック・トライアングル[改訂版] 温存された大手損保、闇の構造』にて詳述。)
現在の交通事故補償に影響を与えている「見解」とは?
ムチ打ち症が社会問題になった時は、マスコミの大々的な報道もあって必要以上に難治性がおそれられていたが、むしろ現在は逆にムチ打ち症に対するイメージは深刻なものではなく、比較的簡単に治るもの、それほどの難病ではないという意識の方が強いようである。それは多分に精神的なものの影響だとする見解や詐病的なものへの疑いも背景にあるようだが、このような認識のきっかけになり社会的にも医学的にも多分にその後のムチ打ち症に対する見方の転機になったと考えられるのが昭和43年(1968年)の土屋弘吉らによる発表である。
当時いたずらにその症状の深刻性と難治性を取り上げ社会不安が高まっている状況を受けて、その混乱に終止符を打つべくムチ打ち症に対して一つの見解を発表したのである。この内容が実に現在のムチ打ち症に対する医師や保険会社、裁判所などの見方や考え方の本質を表しており、典型的なものであると考えられるので、少し長くなるが以下に引用することにする。
「鞭打ち損傷という用語が本症の病理組織学的、また臨床所見と何等関係のない単に発生機転を示すにすぎない用語であり、近来、医師でないものの間にむしろ誤った用いられ方をして、社会的にも患者の側にも種々の誤解を起こしつつある事実に鑑み、当教室ではすでにこの用語を廃して、単に『頸椎捻挫』の病名を付することにしている」、「患者の本症に対する先入観を除き、本症が3カ月以内に80%以上は治癒するほどの治りやすいものであることを患者によく理解させ、患者を甘やかせることなく、絶えず積極的に心理的に誘導することを努め、神経症の発生を極力防止するよう努めたならば、本症の予後を良好にすることはさして難しい問題ではないと考える」※1
※1 土屋弘吉、土屋恒篤、田口怜:いわゆる鞭打ち損傷の症状臨整外278-287、1968
ムチ打ち症が単に発生機転を示すに過ぎず、頸椎捻挫という病名を付すのはまだいいとしても、問題は後段である。「患者を甘やかせることなく、絶えず積極的に心理的に誘導することを努め」ればムチ打ち症を治すのは難しくないというのである。医師にしては何とも乱暴な決め付けだと感じるのは私だけであろうか?
逆にいえば患者を甘やかし、医師が必要以上に深刻に扱うから、患者がその気になって精神的にも落ち込み、症状がよりひどくなるといわんばかりである。つまりはムチ打ち症の多くは気の持ちようであり、それに周囲がいたずらに振り回されてはいけないということのようだが、この土屋弘吉らによるムチ打ち症に対する見解がその後の日本の医学界、保険業界、法曹界までに及んで、現在の交通事故補償制度における様々な壁となっていると考えるのである。