・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
つづら折りの坂は、いつ登っても、キツい。
鞍馬駅を過ぎると、和久井健太(わくいけんた)はダウンチューブのボトルケージに手を伸ばして、一口飲んだ。そして、ボトルを戻すと、変速機のレバーを人差し指で叩いて、ギアをひとつ軽くした。本格的な登りはこれからだ。
杉木立の間から差し込む光を浴びてペダルを踏んでいると、暗い気持ちをリフレッシュすることができた。と言いたいところだけれど、実際は、そんなにうまくいきやしない。日頃から胸にわだかまる屈辱感や、ほかの誰かと比較して自分の境遇を不満に思うことや、思い通りに事が運ばない苛立ち、上司や先輩から下される厳しい評価、うまくやっている者に対する羨望、そして劣等感などなどが、きれいさっぱり消えてくれるわけではなかった。
ただ、そんな鬱屈した感情も、ひたすらペダルを踏み込んで急勾配を登っていくと、いくらか薄まるのが感じられた。
大学生活を始めるために京都にやってきて間もなく、この古風な町を徘徊するなら自転車が一番だと気づいた和久井健太は、一回生の夏休みに歌舞伎小屋として有名な南座で大道具のアルバイトをし、そこで手にした金をつぎ込んで街乗り用のクロスバイクを買った。
最初は、うねうねと市街地や賀茂川沿いを流したりしていたが、やがて碁盤目に整った町を出て、四方の山を登ったり駆け降りたりしはじめた。そうすると、あちこちでドロップハンドルのロードバイクを駆るサイクリストが目に留まるようになった。いつしか、自分もああいうバイクに乗ってみたいという憧れが芽生え、翌年の夏のアルバイトで、本格的なロードバイクを買った。
ロードバイクを駆るようになると、走行距離はぐんと伸びた。
そして、バイト先で怒鳴られたり、女にフラれたり、就活に失敗したり、とにかく、苦い思いに絡みとられそうになり、それを振り払いたいと思ったときには、これに乗って遠出するようになった。こうして、自転車が和久井のほとんど唯一の趣味となったのである。
和久井は健脚の持ち主というわけではない。いや、どちらかといえば、かなりヘタレなほうだ。だから、この鞍馬駅前から花脊峠へ駆け上る急勾配でも、最初は何度か足を着いていた。
いまも、背後からロードバイクの一団が和久井に追いつき、「どうもー」と声をかけ爽やかに追い抜いていった。小さくなるジャージの背中には〈京都大学サイクリング部〉の文字が染め抜かれてある。
和久井は、ギアを重くして尻を上げ、ペダルを強く踏み込んで、小さな集団を追走しようとした。
しかし、その差は縮まるどころか、どんどん開いていく。突き放され、完全にちぎれた。いきなりペースを上げたので、心拍数は最大値まで上がり、息が苦しい。
おまけにタイミング悪く、急勾配が目の前に迫った。
和久井はギアを戻し、さらにふたつ軽くした。そして、ゆっくりペダルを回して回復を待った。動悸はなかなか治まらなかった。和久井は足首を内側にひねってサイクリングシューズの留め具を外し、地面に足を下ろした。
「勉強でぼろ負け、自転車でもかなわないというのは本当に情けねーよな」
苦笑しながら、荒い息をついた。
「きばりや、もうすぐやで」
東京の予備校で一浪したあと、翌春に臨んだ入試で、模試の結果から見ればまず大丈夫だろうと思われた東京の名門私大から、立て続けに不合格通知を受け取った。なんとか引っかかったのは、「一応、万が一のために」と東京の試験会場で受けた京都の私大一校だけ。それも補欠合格という、いま思うとキモが冷えるようなギリギリのラインだった。
まったく、俺の人生は、いっつも要所要所でキマらないな、と和久井は思った。入試の次は就職だ。京大のあいつらは、銀行に就職するなら大手の都市銀だろう。まさか俺みたいな信金に入る奴なんてのはいないだろうよ。
ボトルからもう一度スポーツドリンクを口にふくんでから、和久井はまた足をペダルの上に乗せた。
ペダルを踏み込み、和久井はまた急勾配を登りはじめた。さて、もう少し行けば峠の頂だ、そう和久井が気合を入れ直したとき、またひとり「まいどー」という人なつっこい挨拶を残して追い抜いていった自転車乗りがいた。浅井さんだ。よくこの登坂路で会う、というか、いつも抜かれるサイクリストだ。五十歳を超えているが、和久井よりも断然強い。
「きばりや、もうすぐやで」
浅井さんはエメラルドグリーンの自転車を左右に揺らしながら、ぐい、ぐいっと急勾配を登っていった。なかなか見事なフォームである。
花脊峠に着いた時、休憩しているかなと思ったが、浅井さんの姿は見えなかった。あのまま、ここから西のほうに下りて、西回りで市街地に帰るのだろう。和久井の寝座は賀茂川より東にあるので、西回りで戻るとかなりのロングライドになる。そろそろ、また、このまま西へ下って、佐々里峠を登り、さらに西側へと回り込む長距離走も楽しみたいのだが、今日はあいにく夕方から用事があった。和久井は下りに備えてウィンドブレーカーに袖を通した。
和久井は登ってきた道を下りはじめた。
登りに比べると、下りは足をまったく使わない。使うのはブレーキにかかった指先だけだ。
京都の北部、船岡山・衣笠山・岩倉山などの連なりを北山と呼ぶ。これらの山肌はすっくと天に伸びるきれいな杉で化粧されている。この杉木立の足元を這うように延びる山道を、荒れた路面に気をつけながら、和久井は軽快に下った。
精華大学の前を通り過ぎ、国際会議場を抜けると平地になるので、このあたりから下りで休めた足を回した。やがて市街地に入り、高野川が見えてきた。幅が広くなった川面が見えると、帰ってきたぞという気になる。