72歳夫婦が考え始めた「これからの10年」
転機になったのは、移住から5年目の春でした。東京に住む長女を訪ねる用事があり、夫婦で3泊することになったのです。
用事を済ませた翌日、裕子さんは以前の友人2人とランチへ。俊夫さんも元同僚と久しぶりに会いました。
その翌日は、夫婦で以前よく歩いていた街へ出かけました。
特別な観光をしたわけではありません。昼食を食べ、裕子さんが好きだった店をのぞき、帰りにデパートで夕食を買っただけです。
帰宅する日の朝、裕子さんが言いました。
「やっぱり、こういう生活もいいね」
俊夫さんも同じことを感じていました。
地方の家へ戻って数日後、今度は俊夫さんから妻に尋ねます。
「俺たち、あと10年ここにいると思う?」
裕子さんはすぐには答えませんでした。
その日の夜、2人は久しぶりに今後の住まいについて話しました。そこで初めて、裕子さんは「東京へ戻ることも考えている」と話したそうです。
俊夫さんも反対しませんでした。
「自然のある場所で暮らしたかったのは本当です。でも、5年間暮らしてみたら、自分たちが好きだったのは自然だけじゃなかった。昔からの友人に気軽に会ったり、思いついた日に出かけたりする生活も好きだったんですよね」
内閣府『令和7年版高齢社会白書』では、高齢者が安全・安心に生活し、社会参加できるまちづくりを進める施策として、移動手段の確保や「交流・居場所」などを含む地域づくりが取り上げられています。高齢期の生活環境を考える際には、住居だけでなく、外出や人との交流を続けやすい環境も一つの要素になります。
夫婦は現在の家を売却し、東京へ戻ることを決めました。ただし、以前住んでいたような広さのマンションにはこだわりません。
駅から徒歩圏内で、スーパーや病院へ行きやすい中古マンションを探しています。管理費や修繕積立金など、戸建てにはなかった毎月の支出も含めて予算を組んでいるところです。
「地方暮らしが失敗だったとは思っていません。ここで暮らした5年間があったから、これからどんな毎日を送りたいかが分かった気がします」
裕子さんも、東京へ戻ったら毎週友人と遊びたいわけではないと笑います。
「会おうと思えば会える距離にいる。それだけでも違うんですよ」
住み替えでは、住宅価格や広さ、買い物や通院の利便性など、比較しやすい条件に目が向きがちです。しかし、実際の生活は住居の中だけで完結するものではありません。
どこへ出かけたいのか、誰との付き合いを続けたいのか、普段どのように時間を過ごしたいのか。定年後の住まいを考える際には、そうした日常まで具体的に思い描いたうえで、自分たちに合う場所を選ぶことも大切でしょう。
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