インデックス運用に対する「3つの疑問」
しかし、結局、パフォーマンスの面では、インデックス運用が勝るのでは?
統計上のリターンがいかに優秀であっても、市況の急変時に「信仰」が打ち砕かれ、途中で退場してしまった投資家には現金だけが戻ってきます。のろまな投資家が目指すのは、机上のシミュレーションではありません。しっかりとしたプロセスを通じて築いた「信仰」がもたらすリターンです。
深い納得、信頼を「信仰」にまで至らしめるだけの手触りがあるからこそ、暴落などの急変を「買い増しの好機」と捉えることができる。この実践でのリターン獲得の可能性の高さこそが、本当のパフォーマンスではないでしょうか。
インデックス運用のアクティブ運用に対する勝率そのものは輝かしく見えるかもしれません。しかし、その輝かしい数値は市況の急変にも狼狽しなかった生存者だけに与えられる報酬です。「信仰」を外注してしまうと、外部(市場)が荒れた瞬間に「信じる根拠」を失いかねません。数値としての優位性よりも「生存確率の優位性」こそが、資産形成においては決定的な差になるのです。
パフォーマンスとは単なる数字の比較ではなく「あなたが最後までその資産をその期間、保有していられるか」という実行力、実践の関数であることを重々ご理解いただきたいと思います。
幅広い分散投資のほうが、資産を毀損させる可能性を減らせるのでは?
分散投資の保険の代償として、私たちは何を差し出しているのでしょうか。それは、「対象を深く理解し、自らの眼を養うという、人間だけが持つ特権」です。
インデックス運用による究極の分散は、「自分には本質を見抜く眼など養えるはずがない」という自分自身に対する諦め、あるいは「間違えて傷つきたくない」という防衛本能が前提になっています。リスクを管理しているようでいて、実は、自分の「観察する力」や「思考する力」の可能性を信じること、その努力そのものを放棄してしまっているようにも見えます。
自分の眼を信じられるようになった投資家にとって、もはや「中身のわからない千本の木」でできた巨大な森を持つ必要はありません。丹念に選び抜き、十分に納得できる数本と共に歩むこと。その「理解に基づいた集中」、そして、そのための不断の積み重ねのプロセスこそが、結果として、統計的な机上の分散よりもあなたを強く守る「資産」になるのです。
もちろん、投資対象を大幅に絞り込むことはリスクを伴います。しかし、のろまな投資家にとっての「集中」とは、行き当たりばったりのギャンブルではありません。それは、じっくりと時間をかけた観察、分析、そこからの洞察をもとに「リスクの所在がどこにあるかが見えている」状態です。
広く薄くリスクを取ってはいるものの真に向き合っていないのなら、見えるリスクを数社でコントロールする方が、真の意味で安全である―― 。この逆説を受け入れられるかどうか、それも一つの信仰でしょう。
ゆったりと時間をかけて成果が上がらない場合、タイパが悪すぎないか?
株式投資を「目的地(富)へ最短で運んでもらうサービス」と認識している人にとって、わざわざ自分の足で歩く時間は、確かに無駄なコストにしか見えないでしょう。1分1秒を惜しみ、効率を競う世界では「(のろまに)歩く」という選択肢はあり得ないからです。
しかし、株式投資を「自分の足で歩く力を養いつつ、未完成を楽しむ営み」だと捉える投資家にとって、将来性ある苗木を探し求め、じっと観察する時間は、人生の質そのものを高めてくれる極めて貴重な体験です。
自分の眼で価値を見極め、腹の底から納得して動く。このプロセスで得られる知恵や「信仰」は、相場の好不調に左右されることのない、一生誰からも奪われることのないあなただけの『非財務資産』となります。
タイパとは、単なる「時間の短縮」ではありません。その時間を投じたことで、「自分の人生の資産」の幅、深さや奥行きをどれだけ広げられたか、です。
そうした視点を持つことができたとき、のろまな投資は、単なる資産形成の手段を超え、あなたの人生において独自の、かけがえのない資産として積み上がっていくのです。
人それぞれではありますが、こうしたプロセスを真摯に積み上げていくことで、数十年後には、金銭的に換算可能な資産の時価よりも遥かに眩しい輝きを放つ資産になっているかもしれません。そんな未来を信じられるかどうか、それも信仰ですね。