未来の日本でも音・音楽との伝統的な関わり方は変わらない
目の前にいる普通の人たちが、多くの日本人が喜ぶ音楽療法とはどのようなものなのだろうか──。
日本で音楽療法を行うのなら、日本人の感性に合ったものを行うべきだろう、それは具体的にどのような形なのか──。
そのような問題意識に対する一つの答えとなるのが、自然音などを五感で味わう「もののね」と、既存のメロディーに自分の言葉を自由にのせて歌う「つくり歌」、人と互いに歌い合う「歌かけ」、歌や音楽に合わせて身体を動かし自己表現を行う「歌舞い」、移動しながら演奏する演奏者によってその場で奏でられる曲を楽しむ「流し」、そして「聴覚+振動感覚」で心の構えが日常から非日常へガラリと変化する「鳴動」、お祭りの要素を積極的に活用する「まつり感覚」などです。
これらに示される日本人の音・音楽との関わり方の伝統は、21世紀の日本においても見いだすことができるものです。
例えば、男女が歌をかけ合う「銀座の恋の物語」や『紅白歌合戦』には「歌かけ」の要素が色濃く見られますし、現代の若い人々が好むJ-POPを見ても、歌い手と聴衆が「ヘイヘイヘイ」とか「ワウワウ」とか歌い合うのは盆踊りの音頭と一同との囃し言葉での「歌かけ」に重なって見えてしまいます。その歌いながら身体を激しく動かす様子は、まさしく「歌舞い」以外の何者でもありません。
このように、日本人の音・音楽との伝統的な関わり方は今も昔も変わりありません。そして、おそらく未来においてもそうした伝統は何らかの形で受け継がれていくはずです。
だとすれば、これらは、現在だけではなく将来においても日本人に広く受け入れられる可能性を持ち続けるでしょう。それは、西洋クラシック音楽が音のみの構築物を洗練させる過程で切り捨ててきたことですので、少なくとも音楽療法の場面なら、西洋を含む外国でも有用かもしれません。
「わたし治療者、あなた受ける人」では効果が上がらない
音楽療法といえるものにするには、療法を受ける人たちの心の奥底にあるもの、本音からふと出てくる鼻歌やため息のようなものを引き出すことが必要でしょう。
このような状況を実現するためには、療法を行う側と受ける側の関係性に対する配慮も求められることになるでしょう。すなわち、内科や外科の医師と患者のような「治す者」と「治される者」という関係を単純にモデルケースとすることはできません。
例えば「私は治療をする立場にいるのだから、指示に従いなさい」などと一方的な、上から目線の態度をとっていては、音楽療法が十分な効果を上げることは難しいでしょう。
この点に関して、療法を行う者が意識すべきポイントとして一つのヒントになるかもしれない話を、私の病院のあるエピソードから紹介しましょう。
療法を行う者が”のる”ことが大事
病棟内で、男性看護師がアルコール中毒の治療を受けている患者さんがこっそりお酒を飲んでいるのを目撃しました。そこで、どう対応したらいいかと、看護師長に相談をしたところ「まずは、今まで半年間、お酒を我慢できたことを評価してあげましょう」とのアドバイスを受けました。
男性看護師は、この助言を手がかりにして、
「今までつらかったでしょうね。自分も酒好きなので分かります。実は、私も飲みすぎて道路で寝てしまったことがありまして……」
と患者さんに対して打ち明けました。
すると、相手は「おまえさん、若いのに酒飲みの気持ちが分かるんだな」と、心を開いてくれ、その後のやりとりなどがスムーズに進みました。療法を受ける人の心に触れるためには、このように、上から目線ではなく、対等で情の通じ合った人間対人間の関係を構築する姿勢を示すことが大切になるのではないでしょうか。
まして、音楽療法では、音楽を通じて両者がつながっているような、一体となっているような状況になったときに最も望ましい結果が得られます。
そのためには、療法を行う側がまず”のる”ことが、セッションに没我することが、必要になるでしょう。自分がのらなければ、相手をのせてあげることはできません。両者がノリノリの状態になって初めて、音楽の力は最大限に発揮され、療法を受ける者の心身に最上の効果がもたらされるのです。
山伏は宗教、音楽、医療の三つの機能を担っていた
音と音楽に対する日本人の昔からの関わり方を振り返ることを通じて、ここまで述べてきたこと以外にも、音楽療法の理想的なあり方を考えるうえで有益なさまざまな気づきやヒントを得ることもできるでしょう。
例えば、現代では「宗教」「音楽」「医療」と分割されている各分野は、近代以前は未分化のままでした。
日本の民俗世界では同一集団がこの三つの機能を担ったことがあります。それはすなわち、修験者(山伏)集団です。
修験道の行者である修験者らは、山の中で修行しながら、里の村に下りてきて、民俗社会の「お助け(癒やし)集団」として機能していました。
病気の原因を占い等で探知し、不動明王の力を借りて大日如来に頼むといった祈祷を行い、山の中で採ってきた薬草等を煎じて薬を与えることもしました。また、笛・太鼓を奏しそれに合わせて山伏神楽を舞うこともありました。
占いや祈祷は心のケア、薬草を煎じてくれるのは身体のケア、そして神楽を舞ってくれるのはアート(芸能)といえます。
村々を訪れてこれらを祭りという空間の中で展開したのです。
このような修験者の姿は、現代の音楽療法家だけでなく医療従事者のモデルとしても参考になるところがあるように思われます。私としては内科と精神科を持ち、心地良さを与える広義のアートを大切にする病院のモデルとしてとらえています。
日本の音や音楽の伝統には、現代の我々を助けてくれる宝がまだまだ眠っている気がします。
牧野 英一郎
武蔵野中央病院理事長・院長
