高齢者は音色には妥協しない
日本人の音そのものに対する強いこだわりは、実際に音楽療法を行っていくうえで意識すべき大きなポイントとなります。
音楽療法家の目黒明子氏が、高齢者施設で牛の鳴き声を発する外国製の音具を鳴らしたところ、「牛じゃないよ、ヤギの鳴き方だよ」「それは猫だ、サカリのついた雄猫だよ」「ニャーニャーだよ」「いやミャーミャーだよ」と男性たちも誰もが妥協せずに主張し、20~30分も議論が盛り上がり続けました。
しまいには、声帯模写合戦のようになり、早く予定していた次の曲に行きたいのに、と気をもんでいましたが、日本音楽は音色が和声の代わり、と思い出し「これも音楽療法ではないのか、こんなに喜んでいるのだし」と頭を切り換えたといいます。
ドイツで活動する日本人音楽療法家に聞いた話ですが、かの地でも波の音などを使うことはありますが、生き物の鳴き声を言葉として表現する擬音語(オノマトペ)は日本語に特に多いと感じるとのことです。声帯模写という芸も外国にはないようです。
鴬の「ホーホケキョ」をいかに真似するかで盛り上がる目黒明子氏と高齢者たちのような光景は、ベテランの療法家のセッションではよく見かけます。療法家も含めて自然音も音楽として楽しむ日本の伝統が生きているといえるでしょう。
先に電子キーボードの音に対して拒否反応が示された例を紹介しましたが、日本の多くの高齢者は音楽に詳しくなくとも「音色の違いには妥協しない」態度を示します。療法をスムーズに進めるためには、和声づけを考える前、演奏を始める前にまず「その音色でよいのか」に十分な注意を払うことが求められるのです。クラシック音楽の耳では「濁った」と形容される「渋い」音色を好む高齢者は多くいらっしゃいます。
自然音や懐かしい音で過去の情景を想い出させる
「もののね」を利用した療法としては、具体的にどのようなものが考えられるのでしょうか。まず第一に、自然音や懐かしい音を聴かせ、過去の情景を想い出させることで脳に刺激を与え、心身の活性化などを促す効果が期待できるでしょう。
高齢者施設や病院などでは、懐かしい物などを見せて想い出を引き出し、認知機能の改善等につなげる回想法という心理療法が一般的に行われています。女性に角隠しを見せると、結婚式のことを想い出してあれこれ喋り出したりするのは、その効果の一例です。
いわば音による回想法として、「もののね」療法を行うわけです。
例えば、「ちりん、ちりん」と風鈴を鳴らしたり、「きんぎょー(金魚)、きんぎょー」など昔の物売りの声を、市販もしくは無料で提供されている効果音素材などを使って再現し、聴かせてみるのです。
実際の療法例として、木こりだった男性が、脳卒中後マヒが残る状態となり、リハビリへの意欲を失っていたところ、「仕事中の音」、すなわち「森の中の梢(こずえ)を渡る風の音」「鳥の声」「切った木の倒れる音」などを聴かせたら、パッと目を輝かせ、次第にリハビリにも行くようになったというケースが報告されています。
なお、「NHKクリエイティブ・ライブラリー」というホームページでは、寺の鐘、スズメの鳴き声などさまざまな効果音素材が無料で提供されています。音楽療法に使えるものがあるかもしれないので、一度目を通してみるとよいでしょう。
音の想い出を語らせるのも「もののね」療法の一つ
また、実際に音を鳴らさなくても、音の想い出について語るだけでも療法としての効果を得られることがあります。前述の田中直子氏は、「もののね」療法の一つとして、高齢者に次のような「昔の音」を尋ねる方法を考案しました。
「育った時代で懐かしい音は?」
「育った地域を象徴する音は?」
「昔あって今ない音は?」
「四季を告げる音は?」
これらの問いを発すると、その人の人生のある場面がありありと目の前に現れるようなリアルな話になったり、また語るうちに本人のみならず聞いている側まで、どこか満ち足りた気分になっていったりすることもあるといいます。
実際、私も身近な人を相手に行ったところ、
「女坂を登る下駄のカラコロという音(東京・根津)」
「門付(かどづ)けの虚無僧の尺八が近づいたり遠ざかったりする音、玄関のガラス戸の開く音(京都)」
「鉄橋を渡る汽車の汽笛とポンポン船のエンジン音(東京・江戸川)」
「空襲警報を告げるアナウンサーと焼夷弾の音(東京)」
などさまざまな昔の想い出話を得ました。時には興がのって1、2時間がすぐ経過するような話の止まらぬ状況になることもありました。
また、NIRSの端子をある中年女性の頭に装着していただいて会話し、話題が「美空ひばり」になった途端、脳内血流のパターンが大きく変化したことがありました。音の場合も、実際の音を聴かなくとも考えただけで脳のモード(態勢)が通常モードから変化し、心地よさが持続するのではないでしょうか。
牧野 英一郎
武蔵野中央病院理事長・院長
