(※写真はイメージです/PIXTA)

年収が高くなるほど、コンサートなどによるクラシック音楽鑑賞、楽器の演奏を趣味とする人は増えています(総務省統計局「令和3年社会生活基本調査」)。富裕層と音楽は、非常に親和性の高い関係にあります。そして、エグゼクティブ向けのメンタルトレーニングのみならず、日本の医療・福祉現場に着実に浸透してきた「音楽療法」。本記事は、日本音楽を学んだ精神科医の牧野英一郎氏の著書『改訂版 日本人のための音楽療法』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋・編集し、日本人が持つ「聞こえないものも含む聖なる音信仰」を背景に、聞こえない音の研究について解説します。

聖なる音信仰は今も随所に根強く残っている

環境音楽研究家の田中直子氏は「もののね」という日本人の音に対する関わり方自体が、鼓膜を振動させないものも音とする神秘主義的宇宙観に通ずる可能性を、次のような一文の中で示唆しています。

 

「『もののね』の始源的意味は、物事の真髄(根)が揺れ動くことによって生まれる音(ね)にあるからではないだろうか。しかもこの場合の音は、かならずしも人間の耳に聞こえるものに限らず、中世ヨーロッパの『天体の音楽(ムジカ・ムンダナ)』のような、万物を支える最も根底的なものという観念も含まれよう」

 

「天体の音楽」とは、天体は運行しながら人間の耳には聞こえないハーモニーを発しているという発想であり、古代ギリシアの数学者、ピタゴラスが着想したといわれています。

 

19世紀オーストリアの音楽家、ヨーゼフ・シュトラウスが作曲した『天体の音楽』はそこからモチーフを得ています。

 

この『天体の音楽』やインドの「オーム」等、「聞こえないものも含む聖なる音信仰」とでもいうべき態度は世界中に見られますが、日本では今も随所に根強く残っているように思えます。

聞こえない音の研究

次のような、実験室での「聞こえない音」の研究は、日本人の音そのものへの強いこだわりの根拠に迫ろうとするものでしょう。

 

大橋力氏らの研究では、聞こえないとされる20kHz(キロヘルツ)以上の高周波音が人間の脳機能を保つうえで大切な役割を持つ可能性が示唆されました。

 

高周波音は、バリ島などの熱帯雨林の昆虫の鳴き声や日本の田舎の夏に聞こえるくつわ虫等の声に多く含まれているそうです。楽器関係では尺八等の邦楽器や民謡発声は高周波音が多く、西洋音楽においてもチェンバロまでは高周波音が多かったのですが、ピアノやベルカント発声では少ないといいます。

 

田村治美氏らの別の実験でも、尺八・箏・三味線・太鼓・能管などの邦楽器、特に噪音(そうおん)(振動が不規則で音の高さが特定できない音)を含む奏法であるすり爪(箏)、ヒシギ(能管)、ムラ息(尺八)や風鈴は60~90kHzくらいの高周波音を含むのに対し、西洋のピアノや中国の二胡は10kHzくらいまでなので、高周波音は含まれなかったそうです。そして、能管、箏、風鈴の音を聞こえる範囲とされる6kHzまでの可聴音を、高周波入りと呈示したところ、後者のほうが脳波のα波が増える、もしくは減らなかったというのです。このように、現代の「聞こえない音」への探求は興味深いものがあります。

 

聞こえない・意識されない音の関連でもう一つ思い出すのが、音への意識されないスイッチ機構を脳内に想定した角田忠信氏の研究でしょう。「日本語ないしポリネシア語で6~8歳の時期を過ごした人は、ほかの人が非言語脳(多くは右脳)で処理する虫の音や邦楽器音を言語脳(多くは左脳)で処理する」という結論でした。生きた脳の働きを浮かび上がらせる巧みなテスト法を用いて1960~80年頃まで重ねた研究で、一時は「日本文化のユニークさが証明された」と喧伝される一方、「日本民族優秀説を呼号するナチスの似非(えせ)科学並み」と欧米ジャーナリストの反発を招きました。

 

本来は人種論ではなく環境論で、日本語環境で幼少期を過ごしていないハワイの日系人は国内育ちの多くの日本人と違うことも示し、「氏(うじ)より育ち」という環境論を提唱しているのですが、『日本人の脳』という著書のタイトルが固定したイメージを与え、角田氏自身インタビューなどでは「日本人」「アメリカ人」などと省略するので、日本経済絶頂期の当時、日本叩きの格好の材料になった感がありました。

 

当時藝大の学生であった私は角田氏の被験者となり、同氏の方法では多くの日本人とは異なる「非日本人型」の結果を示しました。6歳からピアノの音をドレミと聴く音感教育を受けたことを思い出し、同氏の実験法の正確さを感じました。この研究をまずは藝大内で正しく理解してもらうにはどうしたらよいか。「日本人」と略せず日本語ないしポリネシア語で6〜8歳を過ごした人という意味で「日ポ語人」と呼んで説明してみました。

 

しかしこのような神経心理学的研究で、どこまでが証明され、どこからは推論かを専門の異なる人に説明することの難しさを痛感し、また欧米系留学生から議論も拒否する反発にもあいました。

 

30年がたち、平成28(2016)年、90歳の角田氏は『日本語人の脳』という新著を出版され、私はうれしく思いました。

 

近年、発達したNIRS(近赤外線分光分析法)を使った脳研究で、同氏の説の一部が証明されています。日本語を母語として育った44人の80%が虫の声を言語脳で、日本語以外を母語として育った26人の62%が非言語脳で処理しているというのです。

 

今や欧米人に最も脅威を与えるアジアの国は日本ではないことが明らかなので、この研究を冷静に進めるにはよい環境になったといえるでしょう。角田説をめぐる事象から、文化に関係する問題を国際的に発信する際は民族や文化の優劣を論じているのではないことを理解してもらうよう、細心の注意が必要であるといえます。同時に、昨今日本で進められている小学校からの英語教育は、低学年からあまり徹底すると思いがけない副作用が後世に及ぶ懸念も浮かびます。

 

日本文化は世界から見てどれだけユニークなのか、ときどき浮かぶ疑問ですが、世界四十数カ国を旅して民族音楽を聴いた小泉文夫氏が言われた「日本音楽は独特なものですが、決して孤立してはいないのですね」を想うことにしています。

 

 

牧野 英一郎

武蔵野中央病院理事長・院長

※本連載は、牧野英一郎氏の著書『改訂版 日本人のための音楽療法』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋・編集したものです。

改訂版 日本人のための音楽療法

改訂版 日本人のための音楽療法

牧野 英一郎

幻冬舎メディアコンサルティング

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