定年したら、ビジネスパーソン時代の心をリセットする
現役時代のビジネスパーソンは、会社での評価にこだわり、役職に執着することが仕事の原動力だったはず。しかし、60歳を過ぎても同じような態度でいたら、現実との埋めがたいギャップに苦しむだけだろう。
なぜなら家族やコミュニティのなかでは、会社における評価基準のような明確な指標が存在しないからだ。
また肉体の衰えも同様で、どんなに鍛錬しても、20代のころの自分には戻れない。肉体は確実に衰え、様々な箇所にガタが来る事実を受け入れ、上手に付き合っていく必要がある。
私自身の肉体については、2023年に受けた腎臓移植手術もあり、まだ危険信号が点滅していると言ってもいいだろう。私自身の余命を冷静に考えて、仕事や生活、あるいは家族との時間の過ごし方を調整している。
これも自分の肉体や健康に対する一種の諦観のようなものだと言ってもいいかもしれないが、さらに加えるならば、私自身がプロテスタントのキリスト教徒であり、すべては神によって定められていると信じているからだ。
やるべきことをやったら、そのあとは、神に委ねる──こうした宗教的な意識が、私の人生観の根本にある。
定年後、身の回りの状況が大きく変化していく場面で、これまでの自分にこだわって執着していては、周囲から孤立する。そうして不安を深めていくことになりかねない。
まずはビジネスパーソン時代の心をリセットすること。新たな価値観と視点をつかんで初めて、人生のゴールに向けて再スタートが切れる。
錨(いかり)の遊びの範囲内で生きる定年後
ただ再スタートといっても、還暦からのスタートは、未知なる世界に飛び出していくような華々しいものではない。もはや新しい冒険をするような年齢でもない。人生を航海にたとえるならば、還暦とは、既に遠洋航海を終えて港に戻ってくるころ。嵐や荒波を乗り越えて母港に戻り、錨を下ろす。そして、その錨の遊びの範囲のなかで充実した人生を送ることを目指すのだ。
そして、その錨は何かといえば、自分がこれまで歩んできたなかで培った経験値や人生観のようなものだろう。それらがしっかり自分自身を固定してくれるからこそ、力を抜いて波間に漂うことができる。
というのも、自分なりの考え方やものの見方、言ってみれば「哲学」が確立されていないと、せっかく港に戻ってきても、また、あらぬ方向に流されかねない。それには、自分の行動範囲や興味の対象、そして人間関係などを限定したうえで、残りの人生を有意義なものにすべきである。
もちろん「還暦を越えても若いときと同じように挑戦したい」と言う人もいるだろう。ただ、それは、よほど専門性に自信があり、人脈もおカネもある人だけが実践すべきことだろう。
一般的には、60歳を過ぎてから起業などすべきではない。船体が大きく燃料を大量に積んでいる大型クルーズ船でなければ、日没後に外洋を目指してはいけないのだ。
ところで私は、2023年の腎臓移植手術の直後、菌血症になり、退院が2日延びた。そして、この延びた期間に腸閉塞になったが、もし自宅に帰っていたら、手遅れになった可能性が高い。
このように、人の生死は、自分ではどうすることもできない偶然に支配されている。定年後は些事を気にしたり運命を呪ったりせず、人生の流れに身を任せる。錨の遊びの範囲のなかで──。

