子育てに奮闘する中で、「うちは愛情たっぷりだから大丈夫」「子どもの気持ちを理解することが一番」と考えていませんか? しかし、ロバート・キーガン氏は、現代の親にはそれだけでは乗り越えられない、大きな壁があると警鐘を鳴らします。本記事では、同氏著『ロバート・キーガンの成人発達理論――なぜ私たちは現代社会で「生きづらさ」を抱えているのか』(英治出版)より、彼のユニークな「オートマ車とマニュアル車の運転」というたとえ話を通し、多くの親が見落としがちな、子どもを真に導くために必要な「意識の次元」について詳しく解説します。
多様化する社会で「現代の親」が直面する、子育ての「新たな課題」【ハーバード大学名誉教授が警鐘】 (※写真はイメージです/PIXTA)

原理原則主義のグループにみられる集合意識の特徴

このような原理原則主義のグループに所属したことのある人なら(実は私もそのひとりだが)誰もが知っているとおり、究極的にはコミュニティの集合的意識それ自体が、秩序や方向性、ビジョン、役割の創出、制限の設定、境界マネジメント、発達の促進の源になる。

 

コミュニティに活力と一貫性があらわれている、まさにそのことが、コミュニティが単一の有機体のように各部分を調整し、制限を超える危険のあるメンバーに警告を発し、一線を踏み越えたメンバーを救うことができる証にもなる(これが、「orthodox[正統な]」の接頭辞「ortho」の本当の意味だ。それは頑固さや独断的態度ではなく、たとえば「orthodontia[歯列矯正]」のような、正しくしたりまっすぐにしたりする行為を指す)。

 

いかに生きるべきかを示すビジョン、包括的な考え方、あるいはイデオロギーはコミュニティの規範や信条を通して伝えられるが、それらは退屈な教本や名ばかりの聖地のなかではなく、日常の暮らしに一貫する慣習や制裁や禁止事項のなかに存在する。そして信条の内容やスタイルや雰囲気にはコミュニティごとにずいぶん違いがあるが、形式認識論レベルでは共通点がある。それは第4次元の意識――コミュニティの大半の大人が同一化し、忠誠を尽くす関係や役割や価値観を、創出・調整する意識――をもたらすことである。コミュニティに暮らす多くの、いや大半の人にとって、第4次元の意識はおそらくこのようにして生まれる。

 

この意識は、人々自身のマインドからは生まれないし、それを必要とされてもいない。人々が自主的に行う「手動の」ギアチェンジからも生まれない。この意識は、コミュニティの福祉、メンバー全員、コミュニティとしての方向性、それらに精神的に参加することから生まれる。そして無条件にそのように行動するなかで、人々(考え方やあり方がそのように黙っていても次から次へとふんだんにもたらされることが世界の仕組みの特徴であるのは、実はそう見えているだけだと気づくべくもない人々)は、この世界でこここそが自分たちの場所、自分たちの時間、自分たちの歌であるというゆるぎない感覚を持つようになる。