近年、自己理解のツールとして若者層を中心に絶大な人気を誇るMBTI(マイヤーズ・ブリッグスタイプ指標)。16種類に分類される診断結果に一喜一憂し、自分の性格や行動パターンが「言い当てられた」と感じる人も多いでしょう。しかし、この手軽なタイプ別診断は、人の成長や変化をどのように捉えているのでしょうか? 本記事では、ロバート・キーガン著『ロバート・キーガンの成人発達理論――なぜ私たちは現代社会で「生きづらさ」を抱えているのか』(英治出版)より、MBTIが前提とする「タイプ」の考え方と、心理学におけるより深い視点「構成主義的発達理論」を比較。自己理解を深め、さらに成長していくために本当に必要なものについて掘り下げていきます。
ENFP、INFJ…若者層に大流行の「MBTI診断」を過信する人が見落としていること (※写真はイメージです/PIXTA)

構成主義的発達理論と「タイプ別診断」の違い

編集注

リンは中学校教師、ピーターは企業幹部として勤めている。仕事上の共通点はほぼなさそうにみえるが、リンもピーターも似たような状況に直面していた。それは「現場の人間の経営参加」という新たな取り組みが、職場における責任、オーナーシップ、権限の問題に変化をもたらしていることにあった。2人ともこの変化に巻き込まれて戸惑い、やる気を失っている。

 

リンは、職場での1つの人間関係のなかで、権力と権威という2種類の概念を持ち続けることができる。自分の仕事を「自分のものとして所有する」感覚を持っている。対してピーターは、彼の友人であり上司であるアンダーソン、友人であり部下のテッド、最近雇いはじめたハロルドなど、周囲の人間に仕事の「権限を渡して」しまう傾向にある。周囲の人間の期待や行動に対処することが、仕事の所有とすり替わっているのだ。

 

リンとピーターでは、仕事についての理解の仕方が明らかに違う。そして理解の仕方が違うことによって、仕事で成功するための、文化が課す隠されたカリキュラムをこなすにあたっても、全く異なる経験をすることになる。一方で、「理解の仕方」という概念は、今では多くの心理学理論に登場している。それらの理論はどれも同じことを述べているのだろうか。リンとピーターの理解の仕方が明らかに違うと指摘するとき、そこで意味しているのは、どのような種類の「理解の仕方」なのか。

 

主体‐客体理論は、学問的な2つの強力な流れ――心理学だけでなく、20世紀の西洋における知的生活のほぼすべての分野に影響をもたらしてきた流れ――が組み合わさっている。1つは、人やシステムは現実を組み立てるあるいは構成すると考える構成主義。もう1つは、人や有機的組織は変化と安定という規則正しい原理に従い、質的に異なる複雑化の時期を経ながら発達すると考える発達主義である。主体 - 客体理論は、人間の経験に対する「構成主義的発達理論の」アプローチだ。そして、私たちが意味を構成する方法に関して、その成長あるいは変容に注目する。

 

「理解の仕方」の概要は、構成主義の伝統に由来する。ポイントは、私たちは現実を理解することに積極的であるということだ。すでに意味構築されている現実を「コピー」あるいは「吸収」することに消極的であるだけでなく、私たちは自分の経験に対し進んで形とまとまりを与えるのである。私たちの意味づけには整合性や総体性があることを、構成主義は示している。部分についての理解の1つひとつは、つかの間の刺激に対する反応であるだけではない。それどころか、理解の仕方は、生活のさまざまな領域で、どんなときも、同じ意味構築の原理(システム)のデザインを共用している。

 

主体―客体の理解の仕方にこれらの構成主義の特徴が含まれているのは間違いない。先述したとおり、ピーターの「持続的カテゴリを超えた」理解の仕方による積極的な現実のつくり方は、同じ現実でも、リンの体系的な理解の仕方であればこうだろうと思われるつくり方と大きく異なっている。

 

また、次のことも考察した。リンとピーターが仕事で主に用いる意味構築の原理によって、仕事での現実ときわめてよく似た現実が、家庭での結婚生活や子育てでもつくられる。ピーターは、夏休みの計画を立てているときに妻と子どもたちと両親に対する忠誠のせいであまりに多くの方向へ同時に引っぱられるように感じ息が詰まりそうになるが、その状況を生む源は、社長としてどう行動したらいいかと考えあぐねているときに、アンダーソンとハロルドとテッドによってあまりに多くの方向へ引っぱられるように感じて身動きが取れなくなる場合と同じと考えられるのだ。

 

だが、これはどのような種類の理解の仕方なのか。言うまでもなく、積極的で整合性のある総体的な「理解の仕方」の候補は主体‐客体の理解の仕方だけでない。