「子どもを医学部へ行かせたい親」が考えるべきこと
わが子の医学部進学を考える親としては、「幸せになるために医学部へ行ってほしい」「医師にしてあげたい」という考えがあるのだろうと思います。しかし、「医学部へ行ったけれど医師にはならない」というキャリアもあります。また、「医師一択」という思考でいるとかえって子どもの未来を狭めてしまう可能性もあります。
医学部受験の先に得られるのは、「医師免許」という目に見えるものだけではありません。狭き門を突破できるだけの受験勉強を行い、それを乗り切ったという忍耐力、論理的思考力などを養うことができます。これらの、いわば「目に見えないスキルセット」は他の業界にも求められるものであり、医師以外のキャリアをも拓ける大きな武器になりえます。
子ども自らが医学部を志望するのであれば、命を救いたい、人の役に立ちたいという気持ちがあるのでしょう。これは医師に限らず、企業人の立場から志す道もあります。大手企業の採用スクリーニングにも強かったり、専門知識を活かしてヘルステックを起業したりなど、医学部卒の方が持てる手札は多様です。そういう意味で、医師免許は「最強の国家資格」の1つと言えるでしょう。
だからこそ筆者は、わが子の医学部進学を望む親は「なぜ行かせたいのか?」を自問自答したほうがよいのではないかと思います。
17歳、18歳くらいの子が「自分はこういう進路にする」と覚悟を持って決めていたとしても、まだ世の中のことを知りませんし、数日で考えが変わることもありえます。また、医学部に進学した後に別の道を見出すこともあるでしょう。
元より子ども本人が医師一筋なのであれば、親は前向きに応援してあげるのがよいでしょう。ただし、子ども本人が途中で「やっぱり違うな」と方針を変えることもありますから、親は「ある程度の路線変更はできる」という余裕をもって、どっしりと構えておくことも大事だと思います。先述のとおり、医学部受験を通じて内面のスキルセットが身につき、選択肢は広がっています。リスクヘッジができているわけですから。
筆者は、子どもの未来を見据えた教育を考えるうえで大切なのは、「どうすれば不幸にならないか」という、ダウンサイドを埋める視点だと考えています。正直に言って、「どうすれば幸せになるか」とアップサイドばかりを狙うと青天井です。「もっと、もっと」とどこまでも上を求めることになるでしょう。
本連載の第1回でも述べたように、日本経済だけを考えると、明らかに「悪いシナリオ」が実現する可能性のほうが高いと見ています(⇒関連記事:『経済アナリスト「さらに手取りを減らしてどうする」――少子化対策のために〈社会保険料“上乗せ”〉という自滅ルート』)。
人口は減り、経済は成長しにくくなる。社会全体が下がっていくわけです。だとすると、アップサイド狙ってギャンブルをするよりは、「いかにダウンサイドを抑えて、全体が低下していく中で自分は浮上していくか」。この発想がすごく大事だと思っています。
「医学部へ行くなら、医師になれ」は「英語を習わせるから、翻訳家になれ」と言うようなもの
どんな状況になったとしても、持っている選択肢が多ければ、何らかの対応策を取れるようになります。医学部進学は、強いて言えば「他学部よりもお金がかかる」というデメリットはあるものの、「わが子の選択肢をいかに広げるか」という観点では、価値の大きい教育投資と言えるでしょう。
筆者の子どもたちはまだ幼いので、医学部を含めて受験うんぬんという話が出る段階ではありません。しかし英会話教室などには通わせています。これは「〈わが子の選択肢を増やすため〉に医学部受験を検討する」という発想と似ています。
現在子どもたちは日本の小学校や幼稚園に通っているので、今のところ、英語を話せるようになる必要はまったくありません。今話せたところで、人生を左右するようなメリットは特にないでしょう。それでも英会話を習わせる理由は、筆者自身が日本経済に対してあまりいい予想を持っていないので、仮に国外に出ないと生きていけない局面になっても対応できるようにするためです。少なくとも言語が障壁となる事態は避けたいと思っているので、親としては、お金を投じて語学スキルを身につけさせてあげたいと考えています。
英会話教室に通わせないほうが当然、出費は抑えられます。それでもお金をかけるのは、将来的に国外で稼がなくてはいけない事態に直面したり、逆に、国内でも問題なく暮らせるけれど国外へ行きたいと考えるようになったりしたときに、わが子が「言葉を話せないから」という残念な理由で諦めざるを得なかったら、あまりにも可哀想だと思うからです。
取り除ける障壁は取り除いてあげたい、何かあったときにも英語が話せたほうが選択肢は広がるよね、というだけの話です。そこには「医学部へ行くなら、医師になれ」のような、「せっかくお金を出して英語を習わせるのだから、翻訳家になれ」といった考えはありません。
親が医学部を勧める場合も、本当はこの程度がよいのではないかと思います。そうすれば、仮に受験に失敗したときに子どもが必要以上に傷つくことは避けられるでしょうし、親からプレッシャーをかけられたことで気持ちが医学部受験から遠のいてしまうという事態も防げると思います。
実は「親からのプレッシャーで潰れる子」は多い
筆者は以前、学習塾の講師をしていたことがありました。そこは高校受験をメインとする学習塾でしたが、親からの圧力で子どもがつぶれるパターンを数えきれないほど見ました。
筆者は保護者面談の際に「熱が入ってしまう親御さんの気持ちはわかりますが、逆効果になるので抑えてください」「塾側は合格させるために最善を尽くしていますし、お子さん本人は精一杯頑張っています。現状でお互い100%を出していますから、信じて見守ってください」と伝え、子どもに不要な圧がかからないよう制止していました。
例えば、子どもに言い過ぎてしまうときや、考えを一方的に押し付けてしまっている状況でも、第三者として塾の先生がそれを断ち切りにいけるかもしれません。しかし、中にはそれができないケースもありますから、親が自分自身を制御できないと、わが子に圧をかけ過ぎることになるのではないかと思います。
強いプレッシャーがかかったとしても、結果的にうまくいったのであれば、子どもは「親のおかげで受かった」と思えるのかもしれません。しかし、落ちてしまった場合は大きなダメージを食らい、18歳にして「もう自分なんてダメだ」「人生終わった」というような精神状況に陥りかねません。
あまりにももったいない話です。40歳近い筆者から見れば、「何を言っているんだ。18歳なんて、まだいくらでも挽回できるでしょ」と思ってしまいますが、かつて自分が18歳だったときを振り返ると、現在のような目線は持てていませんでした。40歳近くになった今では「18歳なんて、この先どうとでもなる」と思いますが、当事者からするとそうは考えられないのです。
「医学部へ行け、そして医師になれ」というように“道”が1本しかない状態だと、その道が塞がってしまった場合は他に行きようがなくなってしまいます。
これは以前、児童のいじめについて取材をした際に伺ったことです。「子どもにとってはクラスが『社会のすべて』なので、そこでいじめにあってしまったらどうしようもなくなる」のだそうです。これは大人からすると極端な思考に感じられます。他の学校へ行けばいい、最悪学校へ行かずとも家でいくらでも学べる時代だし、つらいなら行かなければいい、と思うでしょう。しかし、子どもはそうは考えられません。当事者としては、そのクラスで生きていかなければいけないと思っているので、いじめで追い詰められてしまうのです。
子どもは、どうしても「いま目の前にあること」を「すべて」だと思ってしまいます。親が「子どもが追い詰められる状況」をより加速させるようなことをするのは、望ましくないと思います。例えば、わが子のいじめ被害を認識しながら「我慢して学校に行きなさい」と言うのは最悪ですよね。筆者だったら「学校辞める?」「転校する?」などと選択肢を出します。
目の前のことが「すべて」である以上、子どもは選択肢を持つことができません。医学部受験も同じです。常に選択肢を見せていたら「どうとでもなるなら、勉強しなくていいや」などと開き直ってしまう子もいるかもしれませんが、肝心なときには、親は「あなたにはいろいろな選択肢を与えているし、きちんと選べるんだよ」と選択肢を見せてあげられたらと思います。そうできるだけの心の余裕をもっておきたいですね。
森永 康平
金融教育ベンチャーの株式会社マネネCEO、経済アナリスト
1985年、埼玉県生まれ。明治大学卒業後、証券会社や運用会社にてアナリスト、ストラテジストとしてリサーチ業務に従事。その後はインドネシア、台湾、マレーシアなどアジア各国にて法人や新規事業を立ち上げ、各社のCEOおよび取締役を歴任。現在は複数のベンチャー企業のCOOやCFOも兼任している。日本証券アナリスト協会検定会員