医学部進学者のキャリアは「医師だけ」ではない
「医学部へ行くのなら、医師になる」。恐らくこれが基本的な発想だと思います。筆者の周囲も、医学部に行った人々のほとんどが医師になっています(※注:本稿での「医師」は、大学病院や町の医院で働く「臨床医」を指しています)。
ただ、今というのは「医学部へ行ったけれど医師にはならない」というキャリアが昔よりも取りやすくなっているはずです。医学部進学を考えるうえで、このことを知っておくと、卒業後の可能性が広がるでしょう。
前回記事では、現状の少子化対策では日本全体として人口が減っていく可能性の方が高いことを述べました(⇒前回記事:『経済アナリスト「さらに手取りを減らしてどうする」――少子化対策のために〈社会保険料“上乗せ”〉という自滅ルート』)。
日本全体で人口が減少していくということは、労働力人口が減っていくということです。現時点において慢性的な医師不足が問題化していることを考えると、需給という観点から見れば、医学部を出て医師免許を取ることでその「医師不足」という強いニーズに飛び込み、高い給与を確保できる可能性は高いです。
しかし、中には医学部を卒業したものの、それまでの過程で「医師以外の道に進みたい」と考えるようになる人も出てくると思いますし、医師になってから他の職業に進みたくなる人もいるでしょう。筆者のまわりにも実際に、医師として働いたのちに、医師以外の道で活躍している人もいます。
医学部で得られるスキルセットとは?
冒頭でも述べたように、「医学部に行く」=「医師になる」という認識が強いと、医師を辞めたら“おしまい”である、医学部に行った意味がないと感じる方もいるでしょう。しかし筆者はそうは思いません。医師を辞めても、それまでに培ったスキルや経験は、医師という枠の外にある「根本的な労働力不足」という問題で活きると考えているからです。
例えば、労働力不足を打破するために、日本政府がDX、AI、ロボティクスなどの活用を決定したとします。当然ながらこれらは医療現場にも適用されることになりますが、適用を進めるにはそれを担う民間企業が必要です。そのような民間企業を立ち上げたいと考えたとき、果たして経済学部卒などの人(筆者がそうです)にそれが務まるでしょうか。実現させられるのは、「結局医師にはならなかったけど医学部卒です。医師免許も持っています。」という人材でしょう。逆に言うと、ベンチャーというのは現場の知識がある人にしかできないと思います。
ということは、「医学部を出たら医師以外の選択肢はない」というわけではなく、医学部で学んだことを活かして企業人になるといった選択肢も十分に検討可能でしょう。例えば「今後はAIやロボで医師不足を補いましょう」という展開になったのなら、医師を辞めて、AIやロボで医師不足を解消しようとする企業で働くこともできると思います。医師になることで直接的に医師不足を埋めに行けるだけでなく、企業人の立場から医師不足の解消に取り組むこともできるのです。
医学部というのは一般的に、受験ひとつを取っても難しいと言われます。筆者も医学部こそ受けてはいないものの、医学部の難易度はずば抜けて高いと認識していますし、合格に向けた準備段階が非常に大変であることもわかります。それに耐えきった経験から得られるのは、単に「合格に足る学力」だけではありません。ロジカルな考え方やハードワークをこなせる忍耐力など、コンサルティングファームや外資系企業にも求められるスキルセットです。
医師免許や医学的な知識は、コンサルティングファームや外資系企業ではあまり役には立たないかもしれませんが、上述のような「表に出ないスキルセット」は医療以外の業界にも転用できるのではないでしょうか。そういった意味では、これからの時代を生き抜く力を確実に備えられると言ってよいと考えます。
「表に出ないスキルセット」が子どもの人生をいかに有利するのかについては、次回で詳しくお話ししたいと思います。
医学部進学は「医師への一本道」から「行き先を増やす手段」へ
従来の医学部進学は、「絶対に食いっぱぐれない職業に就ける」という考えから一種のリスクヘッジになっていました。これは裏を返せば、医師以外の道は考えないという選択になります。それが今では、「医学部に行くことで、行ける業界の選択肢が増える」という意味でのリスクヘッジも生まれています。
まず、現在進行形で慢性的な医師不足という問題があり、将来予測としても「労働力人口が不足する」という日本経済全体の課題が考えられます。医学部を卒業すれば、このダブルの不足に関われる人材になるわけです。そういう意味で、医学部受験はわが子を有利にする手段ではないでしょうか。
ベンチャー企業というとITをイメージする方が多いのですが、海外ベンチャーを見るとヘルスケア系が非常に多く、投資先のポートフォリオを見ていても、セクターとしてヘルスケアが結構入っています。
ヘルスケア系の企業にいる人たちに話を聞いてみると、前職は医師であったり、医学部出身であったりというバックグラウンドの方がやはり多いのです。こういうことからも、一般的に言われるような「医学部へ行くのなら、医師以外の道はないだろう」という昔ながらの固定観念にとらわれる必要は、今後はより無くなっていくのではないかと思います。
選択肢があれば、人生の幸福度や充実度は大きく変わる
筆者は、人間の幸福度は選択肢の数にも影響を受けると考えています。
選択肢のある人は、いい意味で「逃げる」ことができます。仕事で鬱になってしまう人というのは、例えばパワハラをしてくる上司がいるなどして、職場が合わないと感じたとしても、働ける場所がそこしかないとなると、追い込まれてしまうのだと思います。
もし仮に「こんなしょうもない職場、辞めてやる」と動けるだけの経済力があったり、他社から「そんなところで働かなくたっていいよ、すぐうちに来てよ」と言ってもらえるだけの能力があったなら、その環境を離れる選択肢が取りやすくなるでしょう。
このように、選択肢の多さは幸福度に大きく影響するはずです。多くの人がお金持ちになりたい理由も同じではないでしょうか。中には「ちやほやされたいからお金持ちになりたい」と考える人もいるかもしれませんが、少数派だと思います。
なぜみんながお金を欲するのかというと、あらゆる面で選択肢が広がるからです。例えば今の職場が嫌だと思ったときは「辞める」という選択肢を持つことができるからでしょう。もし今100憶円くらいあったとしたら、嫌な会社はその日のうちに辞めてしまえばいい。でも、結局お金がない人たちというのは、仕方ないからそこで働くわけです。
これは会社員に限らず、専業主婦の方も同様です。筆者が取材を行っていると、「経済力がないので、夫からDVを受けても離婚できないし、離婚後に子どもを引き取っても育てられない。だから結局DVに耐えるしかない」という声を聞きます。もし妻側にたくさんお金があったなら、そんな夫とはすぐに縁を切って、母と子どもだけで暮らすことができるでしょう。選択肢があれば人生の充実度はまるで変わります。
「将来は医師一択」という価値観はもう古い
医学部に進学すれば、「医師になる」という直接的な選択で慢性的な医師不足を埋めに行くこともできますし、AIやロボといった他の手段で埋めに行くときのリソースに自分自身がなることもできます。もちろん、これら以外の選択肢を取ったってかまいません。すでに述べたように、医学部進学までに身につけたロジカルシンキングや忍耐力は他の業種にも通用します。すると、3つの分野に行く道が得られるので、人生の選択肢は相当広くなるはずです。医学部に進学する際はこのような発想も持ってみてはどうでしょうか。
もちろん、医学部に進学してからも、多大なる努力を続ける必要があるため、生半可な気持ちで進学するのはおすすめしませんが、「医学部進学=医師になる」という固定観念で大学受験の選択肢から外してしまうのは、少しもったいないように感じます。
このあたりの話を親が理解していないと、大学受験の際に固定観念がゆえに子どもの選択を反対することになったり、わが子のためを考えて医学部に進学させたあとでも、卒業後の進路選択について反対をすることになったりと、かえって子どもを不幸にしてしまうかもしれません。
つまり、子どもは医学部受験によってスキルセットが身につき選択肢が広がっているにもかかわらず、親が「おまえのことは医師にするために医学部に入れたんだ、だから医師以外の道はダメだぞ」と昔ながらの考えをぶつけてしまうと、結果的に「選択肢を持っている子ども」の可能性を狭めてしまうことになるわけです。
「医学部に行く以上は医師になってほしい」という気持ちを感情論として持っていることは問題ないと思いますし、子ども本人が望むのであれば医師一本で頑張ればいいと思います。ただ、今やこれからの時代を考えると、子どもが医師以外の選択肢を取ろうとした際には「そういう道もあるよね」「役に立つんじゃない」と応援してあげてほしいと思います。
森永 康平
金融教育ベンチャーの株式会社マネネCEO、経済アナリスト
1985年、埼玉県生まれ。明治大学卒業後、証券会社や運用会社にてアナリスト、ストラテジストとしてリサーチ業務に従事。その後はインドネシア、台湾、マレーシアなどアジア各国にて法人や新規事業を立ち上げ、各社のCEOおよび取締役を歴任。現在は複数のベンチャー企業のCOOやCFOも兼任している。日本証券アナリスト協会検定会員