法定相続分を超える預金債権の払戻し
母が亡くなり、相続人は兄、私、弟の三人です。兄とは20年以上口を利いていません。遺産分割協議は弟を仲介者にしてなんとか成立し、私が1,200万円の預金全部を相続しました。銀行のHPで預金を引き出すために必要な手続を調べたら、相続人全員の署名押印が必要だと書いてありました。これ以上、兄と関わりたくありません。
紛争の予防・回避と解決の道筋
◆預金の払戻しには、遺産分割協議書のほか、金融機関所定の手続が必要となる場合がある
◆法定相続分を超える遺産の取得については、対抗要件を備えなければ第三者に対抗できない
◆債権の承継の対抗要件を備えるには、譲渡人(相続の場面では、共同相続人全員)から債務者に対する通知または債務者の承諾(債務者以外の第三者に対しては確定日付のある証書による)が必要であるが、受益相続人以外の相続人に債務者への通知を期待することは困難な場面も多い
1. 遺産分割協議書作成前に銀行の払戻手続を確認するとともに、遺産分割協議書の中で代表相続人を指定して、預金の払戻権限を与えることを検討する
2. 遺産分割協議の内容が法定相続分を超えている場合には、遺産分割協議書作成時に共同相続人全員で通知書を作成し、債務者への通知を検討する
3. 共同相続人全員からの通知が困難な場合には、受益相続人から債務者へ、遺産分割の内容を明らかにして承継の通知を行うことを検討する
解説
1. 遺産分割協議書作成前に銀行の払戻手続を確認するとともに、遺産分割協議書の中で代表相続人を指定して、預金の払戻権限を与えることを検討する
金融機関での相続手続に際しては、相続人を明らかにするための戸籍謄本をはじめ、様々な書類の提出が必要になります。
遺産分割協議書によって遺産の帰属が明らかであれば、実印が押印された遺産分割協議書と相続人の印鑑登録証明書があれば、手続が可能なケースが多いものの、遺産分割協議書に不備がある場合など相続人全員の署名押印が必要となる場合もあります。
相続人間が疎遠であったり、関係が良好ではない場合、遺産分割協議が調った後に、再度書類への署名押印を求めたり、必要書類の提出を求めたりすることは困難なことが多くなります。
せっかく協議が調ったにもかかわらず、実際の手続ができないという事態を回避するため、必要書類は事前に各金融機関に確認し、必要に応じて遺産分割協議書を作成する際に全ての書類作成が完了するよう準備しておきましょう。印鑑登録証明書等期限が定められている書類もありますので、他の相続人から書類を受領する際は発行時期にも注意が必要です。
なお実務的には、遺産分割協議書の中で代表相続人を指定して、預金の払戻権限を与えることを明記しておくと、のちに相続人間で預金を分配する場合であっても、代表相続人による金融機関での払戻手続を円滑に行うことができますので、作成の際は意識しておくとよいでしょう。
2. 遺産分割協議の内容が法定相続分を超えている場合には、遺産分割協議書作成時に共同相続人全員で通知書を作成し、債務者への通知を検討する
(1)相続による権利承継の第三者対抗要件
遺言や遺産分割により相続人が法定相続分と異なる権利を承継しても、相続人以外の第三者はその内容を知ることができません。
しかし、旧法(平成30年法律72号による改正前の民法)の下では、特定財産承継遺言や相続分の指定がされた場合のように、遺言による権利変動のうち相続を原因とするものについては対抗要件なくして第三者に対抗できるとされていました(最判平14・6・10家月55・1・77、最判平5・7・19家月46・5・23)。
この点については、遺言の有無や内容、その有効性によって第三者対抗要件具備の要否が変わることは、相続債権者や被相続人の債務者に不測の損害を与えるおそれがあること、受益相続人に対抗要件を備えるインセンティブが働かないことによって取引の安全が害され、結果として対抗要件制度に対する信頼が害されるおそれがあることなどの問題点がありました。
そこで、新法の下では、相続による権利の承継について、法定相続分を超える部分については、対抗要件を備えなければ第三者に対抗できないことが明記されました(民899の2①)。
遺産分割によるものについては、旧法下でも対抗要件主義の適用があるとされていましたが、今回の改正で上記が根拠条文となります。なお、「相続による権利の承継」に遺贈は含まれませんので、遺贈については、民法177条や178条、467条に従って処理されることに変更はありません。
(2)民法467条による対抗要件具備
法定相続分を超える債権を承継する相続人(受益相続人)が対抗要件を備えるためには、まず民法467条に規定する方法が考えられます。
すなわち、「譲渡人」に相当する共同相続人全員(または遺言執行者)による債務者への通知または債務者による承諾(民467①)です。債務者以外の第三者に対抗するためには確定日付のある証書によることが必要となります(民467②)。
旧法の下において、遺産分割または遺言により相続預貯金を取得した相続人等が単独で払戻請求を行った場合、金融機関としては遺産分割協議書や遺言書等の必要書類の提出によって権利の帰属が確認できれば、払戻しを行ってきました。
従来の実務は、対抗要件具備の要否について特に意識して行われていたものではないと思われますが、対抗要件が必要な場合には、払戻手続の中で債務者の承諾による対抗要件具備が行われていたことになります。
権利関係が明らかであれば、引き続き、払戻手続の際に金融機関側が承諾するという実務に大きな変更はないと思われますが、債権者からの差押えのおそれがあるなど、払戻手続に先立って早急に対抗要件を備える必要がある場合は注意が必要です。
遺産分割の協議が成立した場合については、各共同相続人は、自らの意思表示の効果(合意の効果)として権利移転義務を負うものと解することが可能と考えられますので、共同相続人全員による債務者への通知への協力を求めることを検討しましょう。
共同相続人全員からであれば通知のみで足りますので、配達証明付内容証明郵便で金融機関に通知することで、債務者以外の第三者を含めた対抗要件を具備することができます。
(3)あてはめ
本事例においては、兄弟三人が法定相続人ですので、1,200万円の預金のうち法定相続分は各々3分の1、すなわち400万円ずつとなります(民887①・900四)。
遺産分割協議により法定相続分を超える1,200万円を取得することになった受益相続人は、法定相続分を超える800万円について、対抗要件を備えなければ債務者である金融機関その他の第三者に権利を主張できません。
兄とは疎遠であったことから、事後的に協力を求めることは困難となる可能性が高いので、遺産分割協議書作成の際に、金融機関に対する共同相続人全員からの通知書作成を行えるよう準備をしておき、通知書を作成しましょう。
速やかに払戻請求を行うことができる場合はあまり問題になりませんが、払戻請求に時間を要する場合や早急な対抗要件具備が必要な場合は、作成次第、配達証明付内容証明郵便で金融機関に通知を送付しましょう。