教員個人に対する損害賠償責任追及の法的根拠
まず、公務員に対する賠償責任の法的根拠については、実は明文の根拠がありません。「国家賠償法1条2項」には国または自治体から公務員個人への「求償」の規定がありますが、この規定はあくまでも、同条1項に基づいて、国または自治体が損害賠償請求を受け、賠償金を支払った場合の規定です。
本件では、現時点では、市民が川崎市に損害賠償請求をしたという事実は確認されていません。したがって、この条文は使えません。
もう一つ、公務員の賠償責任を定めた条文として「地方自治法243条の2」がありますが、これも本件には適用されません。同条は、会計責任者等、公的な財産を管理・保管する権限をもつ公務員の賠償責任を規定したものだからです。
それでは法的根拠はどうなるのかというと、市と教員の間に結ばれた雇用契約上の義務違反ということになると考えられます。
プールの水をためる作業は、教員の業務ですので、教員には水を無駄にしないという業務上の注意義務があります。過失によってその注意義務に違反し、市に損害を与えたということなので、賠償責任が問題となります。
公務員の「過失」はどこまで要求されるか
ここで、まず検討しなければならないのが、教員の「過失」です。過失があること自体は明らかです。問題は、「過失の程度」です。
先ほど、ちらりと「国家賠償法1条」の話をしましたが、同条項は以下のように定めています。
【国家賠償法1条】
1項 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
2項 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
国家賠償法1条2項は、公務員個人に「故意または重大な過失」を要求しています。これは国または自治体が公務員に対して求償する場合の条文ですが、あくまでも1項を受けたものです。すなわち、国または自治体が損害賠償請求を受けて賠償金を支払ったことが前提です。
しかし、川崎市が教員個人に損害賠償請求をする場合でも、この条項と同様に教員の過失の程度は「重大な過失」でなければならないと考えるべきです。なぜなら、川崎市が損害賠償請求されてさえいないのに個人の責任が重くなるのは、どう考えてもバランスがおかしいからです。
では、本件の教員に「重大な過失」があったといえるでしょうか。川崎市によると、事故の原因は以下の通りです(川崎市HPより)
そして、ブレーカーが落ちていた原因は以下の通りです。
警報音が鳴っていたのであれば、まず、その原因を確認すべきだったといえます。それをせずにブレーカーを落とすという対応は、著しく不適切な対応といわざるをえません。一般論としては「重大な過失」にあたるといわざるをえないでしょう。
ただし、SNSで散見される意見のなかに、気になるものがあります。「残業代もロクに支払われないのに、賠償金はキッチリ取られるのか」といったものです。実際、近年、「教員の過重労働」が社会問題化しています。実は私のところもいろいろな話が入ってきます。
本件の教員の労働実態はどうかわかりませんが、もし、過重労働により注意力が散漫になっていたような事情があれば、教員個人に「重大な過失」を認めることは酷かもしれません。
また、現場に居合わせず、事態も把握していなかったであろう校長については、「重過失」を認めてしまうのは酷な気がします。
損害賠償の額「約95万円」は正当か
次に問題となるのが、「約95万円」という損害賠償額の正当性です。これは、近年同様のケースでだいたい損害額の半額を請求していることが多いのを考慮したのかもしれません。ただし、これも法的観点から正当かどうか、検討する余地があります。
一般企業の場合には判例があります。少し長くなりますが判旨を引用します(最高裁昭和51年7月8日判決)。
つまり、全額ではなく、あくまで、様々な事情を考慮した結果、「信義則上相当と認められる限度」でのみ賠償請求できるということです。
この基準については、公務員に関しても基本的に妥当すると考えてよいでしょう。わざわざ民間企業と別の基準を立てる必然性・合理性は乏しいといえます。
本件の場合、たとえば、作業の手順、機器の取扱い、警報が鳴った場合の対処法等について十分に説明が行われていたのか、マニュアル等があったのか、といったことが問題となり得ます。また、前述したような、教員の勤務環境やその時点での心身の状態も問題となり得ます。川崎市ひいては市民が現実に被った損害を公平に分担するには、教員個人に約95万円を負担させることが理にかなっているか、という判断になります。
あくまでも、法の基準に照らし、具体的な事実を前提として判断することが大切です。その意味では、「損害を負わせたのだから負担させて当然」という議論も、「こんなのでは教員のなり手がいなくなるので酷だ」といった議論も、極端かつ杓子定規といわざるをえません。
「損害の公平な分担」は、こういった損害賠償責任の問題においてはきわめて重要な法原理です。公務員個人に過大な責任を負わせる結果とならないよう、注意して見守る必要があります。
荒川 香遥
弁護士法人ダーウィン法律事務所 共同代表
弁護士
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