順調だったはずの人生にほころびが…
家庭生活はというと、Sさんは仕事中心の生活を送るあまりに妻のことを気遣う余裕がありませんでした。子供の運動会も見に行かなかったほどです。子供が中学を卒業するまでのあいだ、どのように成長したのかすら覚えていません。中学の成績がどうだったかすらわからないのです。そのせいもあって、妻とは次第に会話もなく、冷めた状態に。家族で食卓を囲むこともなくなってしまいました。
休みの日があってもSさんは家に居づらく、同僚とのゴルフに出かけるような状態でした。長男は高校を卒業後、現役で都内の私立大医学部に合格。学費がいくらかかったのか父親であるSさんは知りません。妻の実家が学費を出してくれたと長男から聞きましたが、妻からはそれについて教えられたことはありませんでした。
52歳で離婚を切り出され、妻にはすでに新しいパートナーが…
長男は昨年無事、国家試験に合格し卒業。研修医として勤務をはじめました。それと同時に、妻からは離婚したい旨をいわれてしまいます。衝撃的なことに、妻からすでに交際している男性がいることを告げられました。それは不貞行為なのでは、とSさんは思いましたが、これまでの夫婦関係を考えればやむを得ません。自尊心が傷つくことを恐れ、その男性についてなにも質問しないまま、Sさんは離婚に応じました。
財産分与として、Sさん名義の預貯金3,000万円から半分を妻に渡すことになりました。妻の預貯金はなぜか0円。長男の学費に使ったということですが、本当のところはわかりませんし、裁判所に申し立てて調査委託をするつもりもありません。お金に困らない妻からの、自分への当てつけなのだろうと思い、我慢しました。
離婚と同時に役職定年…年収150万円ダウン
離婚と同時にSさんは52歳で課長職を役職定年。専任課長という名ばかりの呼称をもらいましたが、年収は850万円に下がり、部下もいません。業務内容は変わらず、これまでと同じことを定年退職まで繰り返すだけです。
課長時代、決して部下から好かれる上司ではありませんでした。団塊ジュニア世代の特徴なのか、学生時代に共感性を育てる教育を受けず、部下の感情に寄り添うことができなかったのです。理屈と正論で詰めて論破する場面がよくあり、部下たちからは「相談相手にはならない」といわれていることが部長を通して耳に入ったことがあります。
「営業成績が上手く上がらない」という部下の相談に対して、「愚痴なら俺にいうな、相談なら具体的にしろ」などと強くいってしまったことも一度や二度ではありません。競争社会を生き残ってきたSさんはメンタルが強いのです。
次第に不安が募るSさん
団塊ジュニア世代の男性に多いように、冷徹な個人主義者でもあり部下に安全な場を提供するなど考えたこともありません。この2年で退職代行業者(弁護士)を使って退職手続きをした部下が3人も出たことがあります。そのたびに大きく自信を失っていきました。
そんなSさんは職場でも居場所がなくなりつつあるのを感じています。もう60歳で定年退職するまで漫然と流すだけと考えるとモチベーションが下がってしまいます。いっそのこと転職したほうがいいのではと思うのですが、52歳では年収が半分以下になってしまいます。
60歳で定年退職をしたら自分はなにをするのだろう、どう過ごしていくのだろうと考えることが増えました。年金不安のネット記事を読むたびに、お金は大丈夫だろうかと不安になるのです。
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