研修医を経て学んだ、医療機器や技術よりも大切なもの
■なんにも対応することなくペットたちの命の期限を勝手に決めてはならない
母校の大学病院で研修医として3年勤務したのち、私は地元である茨城県水戸市で開業しました。いずれは独立して開業しようと、獣医師になると決めたときから漠然と考えていたように思います。
実は私は一度獣医学とは関係のない学部に入学した経緯があります。もともと小さい頃から動物は好きでカブトムシなどの昆虫から始まり、鶏、ジュウシマツ、ハムスターなどの小動物をずっと飼っていました。高校生の頃から獣医学部に入りたいという気持ちはありましたが学力や経済的な面から進学を諦め、他の学部へ進学したのです。しかし入学した大学での学問は決して面白いとは思えず、やはり獣医師になりたい、そのために獣医学部に入り直したいという気持ちがずっと心の奥にありました。
結局一浪して入学した大学を一年生の夏に退学し、数ヵ月の再浪人生活ののちに獣医学部に入学し直すことができました。
獣医学部で学ぶ学問はとても新鮮でした。それまでは動物はかわいい、ふれあうことが楽しいという気持ちで接してきましたが、学問として向き合ったとき、動物の命の大きさや重さを改めて思い知りました。病気やケガで衰弱する動物が目の前にいたとき、小さな命を救えるのは獣医学を学んでいる自分です。そうした自覚や意識が芽生え始めると、獣医学への興味はますますふくらみ、動物の命を救う獣医師の仕事にやりがいと誇りを感じるようになりました。
研修医として3年目を迎えた頃、直感的に、ここで開業したいと思える物件と出会ったのを機についに独立することを決意しました。それまで再受験などの紆余曲折を経て、ようやく開業という自分の目標にたどり着いたときは、うれしさももちろんありましたが身の引き締まるような思いでした。いよいよ開業! これまでの経験と学んできたことをすべて活かすぞ!という思いだけは人一倍ありましたが、そこはまだようやくスタートラインに立ったばかりの新米開業医です。自分が望む医療体制をすべて整えることの大変さを味わい、理想どおりにはいかないことも多々あるなか、さまざまな壁に直面しながらの開業となりました。
どんな仕事も同じだと思いますが、独立・開業には多くの資金がかかります。初めから研修医時代に大学病院で使っていたような医療機器をすべてそろえるというわけにはいきません。また、先輩獣医師たちと同等の技術をすべて習得できていたとも思っていません。そうした不安だらけのスタートでしたが、研修医時代の3年で原因や症状に応じた適切な治療をすれば動物たちの命を救うことができることを身をもって学びましたから、そのことを思い、常に前向きに治療にあたりました。
動物の様子や症状だけを見て治療を諦めてしまい、なんにも対応することなくペットたちの命の期限を勝手に決めてはならないという初心こそが、医療機器や技術よりも大切なのであり、それが私の軸でした。未熟なスキルは開業後にも経験を積みながら磨き続けることができます。研修医の経験がないまま開業していたら、こうした思いを抱くことも、自分に足りないものが何かに気づくこともなかったはずです。そう考えると、研修医時代に培った経験は、その後の獣医師人生の礎であり、自分の人生を大きく転換させました。
学ぶ機会と環境があったことに私は今、改めて感謝しています。私は地方の動物病院で一般の臨床を経験したあとに高度医療を学ぶ機会に恵まれたからこそ、大学病院で日常的に続けている治療が実は日常的な治療ではないこと、地方と大都市では動物医療に大きな格差があることにも気づくことができたのです。一見、回り道のようだったこうした経験のおかげで、私の獣医師としてのスタートが、大学卒業後そのまま研修医をして獣医師になっていた場合よりもずっと豊かなものになったのは間違いありません。
特別な医療機器がなくても質の高い治療は可能(1)
■骨折治療の例:勤務医時代はギプスとピンで固定していたが…
2011年、私の独立開業はビルのテナントからのスタートでした。ゆくゆくは動物たちが思い切り走り回ることができる、広い敷地のある動物病院にしたいと思っていましたが、そのためにもまずは獣医師として信頼を得ることが大事だと思い、地域に求められる動物医療を提供しようと考えました。
ごく一般的な動物病院でできるのは、血液検査、レントゲン検査、エコー検査などです(図表1)。最初は受診する動物もそう多くないと思い、来院した飼い主のニーズに一つひとつ丁寧に応えることを大事にしました。研修医として大学病院に勤務したことで、さまざまな病気・ケガの治療に関する全体像が把握できていたので、ペットの具合が悪くても原因がつかめないまま、様子を見ましょうというあいまいな対応をすることはありませんでした。もし、自分の病院でできないような検査や治療があるときは、その事実を飼い主にも伝え、高度医療につなげる道を模索しようと心に決めていたのです。
開業当初に私が得意としていたのは整形外科の領域でした。研修医時代に外科手術を重ねてスキルも磨いてきて、整形外科手術には自信をもって積極的に取り組んでいこうと水戸での診療を開始しました。
犬や猫などの小動物は体が小さいことから、ちょっとした高さからの落下や転倒でも骨折をしてしまうことがあります。骨折にはギプスで外側から固定する方法のほか、ピン、ワイヤー、スクリュー、プレートなどを使って折れた骨を固定する方法、さらに複雑な骨折の場合には創外固定といって、外側と内側の両方から固定する方法があります(図表2)。勤務医時代にはギプスとピンの使用がほとんどでしたが、骨折の状況に合わせてすべての方法を使うようにしました。状態に応じた治療を提供することで、骨折した動物たちの回復していく様子も目に見えて実感できたのです。
骨折の治療には特別な医療機器が必要なわけではありません。医療機器がないからといって必ずしも適切な治療ができないケースばかりではないことも開業してすぐに気づかされました。設備が整っていないと嘆く前に、目の前の医療機器、医療器具を使って最大限にできることを模索するのが肝心です。そして、膝蓋骨(膝のお皿)が内側や外側に変位してしまう膝蓋骨脱臼の整復手術や、腰の椎間板ヘルニアの手術もできるようになりました。
開業2年目からは、自分の現状ではハードルが高いと感じる手術が必要な場合は同様の症例の手術経験が豊富な先生に大学から来てもらい、一緒に執刀してもらうようにしました。私もその場で指導を受けながら施術を学ぶのです。地方にいるから学ぶ機会がないと感じるならば自らその機会を進んでつくるしかありません。こうして先輩獣医師の力も借りながら自信をもってできる治療の幅を増やしていきました。
特別な医療機器がなくても質の高い治療は可能(2)
■腫瘍切除手術の例:手元にある機器や器具でいかに多くの治療ができるか模索した結果…
整形外科での実績を重ねたのち、腫瘍外科手術にも積極的に取り組むようになりました。脾臓や肝臓などの臓器にできた腫瘍を取り除くことが多かった一方で、意外にも顔に腫瘍ができることもあります。例えば目のすぐ脇などに腫瘍ができた場合には、それらも手術で切除しました。
勤務医時代、腫瘍をそのままにしていたために命の危険にさらされた動物たちをたくさん見てきました。その後大学病院に勤務した際、実は動物たちの多くは腫瘍ができていたのにもかかわらず、それを見落とされるのが多いことを知りました。こうした場合、血液検査で数値に異常が見られるのでなにかしらの疾患にかかっていることが疑われ、経験を重ねるとエコーだけ見ても腫瘍がどのあたりにできているのかまで分かるようになります。腫瘍を取り除くことで急速に回復し、元気な状態に戻る動物も大学病院でたくさん見てきましたから、自信のある外科手術で取り除くことにしたのです。
この頃もまだ特別な医療機器を導入することはできていませんでしたが、整形外科手術をするときの医療機器や医療器具とさほど変わらないもので腫瘍を取り除く手術はできました。手元にある機器や器具でいかに多くの治療ができるだろうかと模索した結果です。
腫瘍を取り除いたあとは皮膚を縫合します。ただし、大きな腫瘍を取り除いたり、腫瘍の周囲の組織も大きく取り除いたりしたときは縫合するための皮膚が足りなくなることがあります。ただでさえ体の表面積の少ない小動物を無理に縫合しては皮膚が突っ張って体の動きを妨げてしまいます。目の周囲で皮膚に不都合が起これば十分にまぶたが開かなくなることにもなりかねません。そうした事態を避けるために、病変のない健康な部位の皮膚に対し部分的に最小限の切除をして、皮膚が欠損している箇所に移動して縫合します。これを皮弁術といいます。
川西 航太郎
動物病院ハートランド 水戸動物CT・MRIセンター 院長