「トヨタ自動車」究極の例
業績回復株というのは常にあるわけではありません。というのも株価にはサイクルがあり、「上昇→下降→上昇→下降」を繰り返しているからです。
業績が回復する局面でないと、そのタイミングをとらえることができませんし、そもそもどこが株価の底なのかという判断をするのは難しいものです。それに比べて、前者の中小型成長株は常に株式市場に存在します。
ここで「中小型成長株+業績回復株」の2つの要素を満たし、株式投資として大成功した究極の例をご紹介しましょう。銘柄は日本を代表するトヨタ自動車(7203。以後、銘柄名の後のカッコ内は4桁の証券コードを明記)です。
「トヨタ自動車もこれで終わりか」
現在、トヨタ自動車は日本の株式市場の時価総額ランキングで堂々の1位。その額は約34兆円(2022年8月29日時点)と、2位のソニーG(6758)に20兆円近い差をつけて断トツでトップを走っています。そんなトヨタ自動車が最初に四季報に登場したのは、1937(昭和12)年のことです。
本社は愛知県西加茂郡拳母町、資本金は1200万円、社長は豊田利三郎でした。私がセミナーなどでよくネタにしているのは、株式上場から13年後の1950年に最安値をつけたときのことです。
当時、日本経済はデフレのさなかにあり、日経平均株価は10カ月で52%下落していました。これは、GHQ経済顧問として訪日したデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジ氏が、戦後のインフレを収束させるために行った金融引き締め策(=デフレ政策)により、失業や倒産が相次ぐ「ドッジ不況(ドッジデフレ)」と言われる不況に陥っていたためです。
トヨタ自動車もドッジ不況に巻き込まれ、厳しい状況にありました。このような情勢を背景に、同年6月に発行された四季報夏号でトヨタ自動車に寄せられたコメントは次のようなものでした。
「【争議】経営合理化のための二工場の閉鎖、一千六百人の人員整理、一割賃下案をめぐって争議中」
「【前途】わが自動車工業の前途は楽観を許さぬものがある。当社の再建も容易ではない」(『会社四季報』1950年夏号)
いい材料が1つもないというのはまさにこのことでしょう。これを反映して、株価は同年6月に23・5円の最安値をつけます。「トヨタ自動車もこれで終わりか」と思われたことでしょう。
業績回復、きっかけは「朝鮮戦争」
ところが、何が起こるかわからないのが世の常です。この絶望的なコメントが書かれた四季報夏号発行の数日後、朝鮮戦争が勃発。日本はアメリカ軍を中心とした国連軍へ軍事物資を提供することになり、なんと製造業は在庫を吐き出した上に増産。「朝鮮特需」による好景気に突入したのです。これを機に、トヨタ自動車はみるみる業績を回復していきました。
次号の四季報(1950年秋号)では、国内外の需要が復活し、状況が好転したことを伝える趣旨のコメントへと変化しました。
つまり、その後日本経済が軍需景気で活況を呈し、日経平均株価は急上昇。2年7カ月で5.6倍をつける大相場となったのと歩みをそろえ、トヨタ自動車の株価も最安値をつけてから2年後の1952年6月には10倍に上昇したのです。