(※写真はイメージです/Pixabay)

私たちが普段抱えている悩みのほとんどは、多くの哲学者や思想家(哲人)がすでに考え抜き、何らかの答えを出しています。彼らが数千年も前から多くの時間をかけて見出した「悩みの本質」を知ることで、解決のヒントが見つかるかもしれません。畠山 創氏(代々木ゼミナール公民科講師)監修の書籍『哲学者たちの思想、戦わせてみました』(SBクリエイティブ)より、現代人の悩みの一つ、「前向きに生きたほうがいい?」を見ていきましょう。哲人二人が肯定派と否定派(「はい」と「いいえ」)に分かれて討論します。

前向きに生きたほうがいい?

<今回のお悩み>

相談者:「私は後ろ向きな性格で、どうしても過ぎたことをくよくよと悩んでしまいがちです。自分でも、このままではいけないと思っているのですが…。やっぱり前向きに生きたほうがいいですよね?」

 

――ついつい、くよくよと悩んでしまうのが人間です。しかしそもそも、前向きに生きるべきなのでしょうか? ルネサンス期を代表するフランスの哲学者・モンテーニュさんと、ドイツの実存主義者・ニーチェさんのバトルを見てみましょう。

 

イラスト:たきれい 出所:畠山創監修『哲学者たちの思想、戦わせてみました』(SBクリエイティブ)より
[図表1]「前向きに生きたほうがいい?」この相談を議論する哲人は… イラスト:たきれい
出所:畠山創監修『哲学者たちの思想、戦わせてみました』(SBクリエイティブ)より

「神」と「自分」、どちらを信じるか?

ニーチェは「いかに生きるかが重要」。モンテーニュは「内省も必要」

ニーチェ:まず、相談者さんに断言します。世界には意味も目的もありません。そして、世界のすべてのものごとは、意味なく永遠に繰り返す円環運動を行なっています。私はこれを「永劫回帰(えいごうかいき)」と呼んでいます。人間の生の営みも同様で、喜びや苦悩などの体験もただ永遠に回帰します。自分が今行なっている行為も永遠に回帰するのだということを意識してください。こんな頭痛のするような無意味な世界の中では、「なぜ生きるのか」を考える前に、「どう生きるのか」が大切なのです!

 

モンテーニュ:はて、世界をそのように断定的に論ずることが可能なものでしょうか? 人間の理性は不完全なもので、そして私が思うには、世界は常に流動し、変化を繰り返しています。なので、人間が世界の不変の真理を本当に知ることは非常に難しいというのが、私の立場です。私は「道徳的内省」として自分の視線を常に内面へと向け、自分の理性を疑いながら、あきらめずに真理の探究を続けてきました。不完全な理性を自覚しながら「私は何を知るか?」ということを常に問い直す中で、過ぎたことを見つめ直すことも必要ではないでしょうか。

 

ニーチェ:ふむ、そのような態度は、謙虚とも言えるかもしれませんが、キリスト教道徳に見られる謙虚や平和や博愛といった諸々は、古代の強力な支配者・権力者たちの勇敢さや高貴さを否定し、そういった強者への反感や嫉妬から弱者の立場を正当化しようとするあり方、言ってみれば奴隷の道徳に他なりませんな。あなたはあきらめずに真理の探究をとおっしゃるが、私から見ればそのような態度は、しょせん運命にただ従属している生き方としか思えません。

 

モンテーニュ:お言葉を返すようですが、私にはあなたの態度が寛容さを欠き、独断に陥る危険を持ったものと思えてなりません。

 

ニーチェ:私はそう思いませんな。私が目指しているのは、ただ主体的な生です。あなたは人間の不完全な理性では世界の真理を知ることはできないとおっしゃるが、ではあなたはそのような運命を愛することができるのですか? 私は自分の運命を愛し、それに耐え抜くことによって、自分の運命すべてを肯定したい。自分自身で新しい価値を創造して、自分自身を乗り超え、成長する「超人」として、真に主体的に生き抜こうと考えているだけのこと。

 

モンテーニュ:私にはやはり、あなたの考え方は偏狭に思われます。あなたはキリスト教の道徳を否定され、古代の支配者が持っていた強大な権力などを礼賛されているようですが、力を求めることは寛容さを失い、中庸から遠ざかることに向かいがちです。そのような態度が最終的にもたらすのが悲惨な戦争であることを、私は人生の中で何度も見てきました。

 

ニーチェ:力を求めることが戦争に通じるなどと、短絡的に論じないでいただきたい。古代の高貴な支配者には力がありましたが、力は徳を伴い、必ず戦争に向かったわけではありません。生きとし生けるすべてのものは、生まれながらに「力への意志」を持っています。「快」の感情とは、自分の力が以前よりも増大したのを自覚することで表れる感情です。常により強くあろうとする意欲こそが、人間をはじめとするあらゆる生き物を生かしているのです。

 

モンテーニュ:いいえ、そのように真理を絶対化しようとする態度が最終的に向かうのは、やはり戦争ではないでしょうか。力の追求には、危うさが伴うものです。私は、真理に到達したという傲慢な立場ではなく、真理に到達しようと内省する「私は何を知るか(ク・セ・ジュ)」という謙虚な姿勢で生きることが大切だと思います。そうすれば、いつか人生の真実に近づけるのではと。

 

ニーチェ:ああ…。元はと言えばそのようなテーマでしたな。ともあれ、私にはあなたのおっしゃることは後ろ向き過ぎると思われてなりません。失礼ながら、あなたの危険な前向きさとキリスト教道徳の否定は、私には受け入れがたい…。

 

――はい、キリスト教道徳に根差したモラリストの代表格であるモンテーニュさんと、「神は死んだ」と反キリストを唱えたニーチェさん。「神」と「自分」、どちらを信じるか? 皆さんはどう思われたでしょうか?

 

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【モンテーニュの主張】

⇒人間の不完全な理性で真理を知ることは難しい。自分の内面に目を向け、内省するのも必要では?

 

【ニーチェの主張】

⇒「なぜ生きるか?」ではなく「いかに生きるか?」。積極的な生き方を意識すべき。

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■「私は何を知るか」とは?モンテーニュの考えたこと(図表2)

イラスト:たきれい 出所:畠山創監修『哲学者たちの思想、戦わせてみました』(SBクリエイティブ)より
[図表2]モンテーニュの考えたこと イラスト:たきれい
出所:畠山創監修『哲学者たちの思想、戦わせてみました』(SBクリエイティブ)より

 

■「超人」とは?ニーチェの考えたこと(図表3)

イラスト:たきれい 出所:畠山創監修『哲学者たちの思想、戦わせてみました』(SBクリエイティブ)より
[図表3]ニーチェの考えたこと イラスト:たきれい
出所:畠山創監修『哲学者たちの思想、戦わせてみました』(SBクリエイティブ)より

 

 

畠山 創

代々木ゼミナール 公民科講師

北海道生まれ。早稲田大学卒業。専門は政治哲学(正義論の変遷)。現在、代々木ゼミナール倫理、政治・経済講師。情熱的かつ明解な講義で物事の本質に迫り、毎年数多くの生徒を志望校合格に導く。講義は衛星中継を通して約1000校舎に公開されている。「倫理」の授業では哲学的問いを学生に投げかける「ソクラテスメソッド」を取り入れ、数多くの学生に「哲学すること」の魅力・大切さを訴え続けている。

 

※本連載は、畠山創氏(代々木ゼミナール公民科講師)監修の書籍『哲学者たちの思想、戦わせてみました 比べてわかる哲学事典』(SBクリエイティブ)より一部を抜粋し、再編集したものです。

哲学者たちの思想、戦わせてみました 比べてわかる哲学事典

哲学者たちの思想、戦わせてみました 比べてわかる哲学事典

監修:畠山 創
イラスト:たきれい

SBクリエイティブ

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