物価が安く、気候が温暖なフィリピンでセカンドライフを送る年金生活者は少なくない。彼らの間には、知らない者はいないといっても過言ではない、草分け的存在の女性が存在する。彼女・小松崎さんが移住を決意するまでの過程や、マニラで送った“華々しい生活”、日本人から殺到した“手紙”について、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏が解説する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
「フィリピンで日本兵として戦った父」現地人との間に娘が…異母姉妹の送った“劇的な人生” (フィリピン・レイテ島 ※画像はイメージです/PIXTA)

小松崎さんに宛てて書かれた“120通”もの手紙には…

私の手元には今、小松崎さんに宛てて書かれた手紙やはがき、年賀状がざっと120通ある。関係者から預かっているものだ。

 

いずれも1995年頃に日本から届いたもので、ホームステイした後に帰国した日本人客からの礼状、フィリピン生活に関する問い合わせに加え、海外生活する小松崎さんを気遣ってか、オウム真理教や阪神大震災など当時日本で話題になっているニュースも伝えている。

 

「1ヵ月のマニラ滞在は、私どもにとりまして貴重な体験となりました。見るもの聞くこと初めてのことばかりですので、戸惑いも在りましたが良い意味で非常に勉強になりました。おかげさまで無事にビザも取得出来ましたので、次回は住まいを探しに参りたいと考えております」(原文ママ)

 

「小松崎さんの様な考えの方がこれから増えて行く事が私達にとってもとてもうれしくなることとおもいます。先駆者として、毎日を楽しんで、充実していてください」(原文ママ)

 

かつての教え子からは、かわいらしい丸文字で横書きに綴られた今時の手紙が届き、小松崎さんに対して敬意の眼差しが向けられていた。

 

「先生が、外国で暮らしていると知った時はすごく驚きました。私も外国へ行ってみたいという夢があります。どこの国でもいいから日本以外の国をこの目で見てみたいと思ってます。

 

先生からのお手紙を何度も読み返しては“思い切って実行に移して本当によかったと思ってる”や“英語をモーレツに勉強した”という部分に、先生の夢への思いがすごく感じられて、夢を実現させるということは、はんぱな気持ちでいてはいけないんだと実感しています」(原文ママ)

 

中には藁(わら)にもすがる思いで手紙を送る人もいた。

 

「先日、読売新聞で小松崎さんの記事を拝見しました。フィリピンで優雅な生活を送っている小松崎さんの記事は、私にとって夢のようなお話でした。(中略)真剣に移住を考えております。ですから、もう少し詳しい事情を知りたいのです。日常の生活の事などいくつかお尋ねさせて頂いてもよろしいでしょうか」(原文一部変更)