物価が安く、気候が温暖なフィリピンでセカンドライフを送る年金生活者は少なくない。彼らの間には、知らない者はいないといっても過言ではない、草分け的存在の女性が存在する。彼女・小松崎さんが移住を決意するまでの過程や、マニラで送った“華々しい生活”、日本人から殺到した“手紙”について、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏が解説する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
「フィリピンで日本兵として戦った父」現地人との間に娘が…異母姉妹の送った“劇的な人生” (フィリピン・レイテ島 ※画像はイメージです/PIXTA)

バブル崩壊後…移住の現実的な面を“指摘する”手紙も

一方で、海外移住の現実的な面を指摘する手紙も小松崎さんの下に届いた。

 

「日本人が外国で暮らすことは思いのほか大変なことが起こって来ることでしょう。国際化という言葉が流行語になっている現状ですが、言葉の壁ばかりか、生活様式の違い、考え方の相違は乗り越えられないものです。

 

お金の面だけでいえば物価も安く、優雅な暮らしも夢ではないかも知れません。老後の暮らしを外国でとなると元気なうちはよいかも知れませんが、一人暮らしとなって体が動かなくなってしまった時が心配です……」(原文一部変更)

 

海外に慣れていない高齢者であればこういう心配の声が上がるのも無理はない。

 

とはいえ日本は当時、バブルが崩壊した直後で、社会には閉塞感が広がりつつあった。

 

高齢化問題も取り沙汰され始め、安心した老後の暮らしを望む高齢者たちにとって、小松崎さんが後ろに作った道は、まばゆいばかりの光を放っていたに違いない。

 

 

水谷竹秀

ノンフィクションライター

1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業後、カメラマン、新聞記者などを経てフリーに。

2011年『日本を捨てた男たちフィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。他に『だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)など。

10年超のフィリピン滞在歴をもとに、「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材している。