豪州の学生に「学校は好きか」と聞くのが無意味なワケ
オーストラリアの子どもたちに「学校は好きか」と聞くことは、あまり意味がないのではないかと最近の私は思い始めている。日本の子ほど学校の占める割合が大きくないからだ。
学校への期待もそれほど高くない。学校は楽しむための場所ではない。楽しければそれに越したことはないが、楽しくなくてもそれはそれでかまわないと割り切って考える子が多いように思える。
楽しくても、楽しくなくても学校には行かねばならないと思っているからだ。日本には、「学校は楽しい場でなくてはいけない」という認識が、大人にも子どもにも強くあるように感じる。
だから、教師も楽しい学校づくりに専心し、生徒が学校を好きになってくれるよう努力する。子どもたちに楽しい学校生活を送ってほしい、学校を好きになってほしい、そう願うことは間違いではない。
でも、生徒が学校の何から何まで楽しいと感じる必要もないのではないかと思う。何を楽しいと感じるかは生徒によって違う。どの子も100パーセント楽しめる学校づくりなど無理だと思う。
生徒は一人一人違う。学校に対する思いも様々だ。学校が大好きな子もいれば、それほど好きではない子もいる。できれば行きたくないという子がいても不思議ではない。誰もが学校を楽しいと思い、学校を好きになることを目指し過ぎると、どこかでひずみが出てくるような気がする。不登校の子どもが増えている要因の一つかもしれない。
「学校は学校」と割り切ることも時に必要だと思う。子どもたちにとっては学校がすべてではない。生活の一部にすぎないということを忘れてはならないと思う。
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教育学博士
本柳 とみ子
公立中学校で26年間教鞭をとったあと、大学院で海外の教育について研究を始める。その後、慶應義塾普通部、東京海洋大学、早稲田大学等で非常勤講師をしながら研究を続ける。2012年、早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)