教師はフレンドリーだが「友達」ではない
オーストラリアの教師はとてもフレンドリーだ。生徒に親しげに声をかけ、優しく接する。教師だからと言って生徒を寄せ付けないような雰囲気はない。包容力があり、生徒を温かく受け止める。
しかし、教師と生徒の間には一線が引かれており、それを越えることはない。必要以上の親しさを示すこともない。フレンドリーではあるが、教師はあくまでも教育者であり、友達(フレンド)ではないのだ。生徒もその点はわきまえており、馴れ馴れしい態度は見せない。それは言葉遣いにも表れている。
理科の授業でのことだ。実験中、生徒が教師に手助けを求める際に、
Sir, I need your assistance. May I request your help?
と言った。かなり丁寧な英語だ。生徒と教師の関係を垣間見た気がした。
近年は生徒と不適切な関係を持ったり、立場を不当に利用したりするなど、教師の不祥事が社会問題となっている。それゆえ、各州は教師の行動規範を強化し、教師が生徒との職務上の境(boundaries)を越えないよう注意を喚起している。
たとえば、友達のような態度で接する、不適切な冗談を言う、ソーシャルメディアで個人的につながる、性的な言動をする、不必要な身体接触をするなどは厳に禁止されている。特定の生徒を優遇(贔屓)したり、排除したりすること、校外で個人的に会うこと、プレゼントをすること、必要以上にプライバシーに介入することなども禁じている。教師としての権力や立場を利用した行動も厳禁だ。
オーストラリアの教育現場で重視される「リスペクト」
オーストラリアの学校では「敬意(リスペクト)」がとても重視される。それゆえ言葉遣いや態度、接し方などマナーにはとても厳しい。教師に対する言葉遣いが乱暴だったり、馴れ馴れしい態度で接したりするとすぐに注意される。
日本の子どもは教師のことを「○先生」と呼ぶ。外国人はファーストネームで呼び合うから、生徒も教師のことをファーストネームで呼ぶと思っている日本人がいるが、そんなことはない。
オーストラリアでは名字にミス(ミズやミセスも)やミスターなどのタイトルをつけて呼ぶのが一般的だ。タイトルだけのこともある。ファーストネームで呼ぶのは耳にしたことがない。これも敬意の表れだ。
敬意は、教師が生徒に接する際にも求められる。子どもだからと馬鹿にしたり、必要以上に子ども扱いしたりすることは禁じられている。敬意は生徒同士でも重視される。そして、人だけでなく、物に対する敬意も求められる。学校でも、家庭でも、社会でも、敬意は社会の基盤となっている。
生徒と教師の関係…「何を通してつながるか」日豪の差
オーストラリアの高校に留学していた大学生が、生徒と教師の関係についてこう言っていた。「オーストラリアでは学習面でつながることが多いが、日本は生活面でのつながりが強い」と。
両者の関係は、距離的な違いだけでなく、何を通してつながるかという点においても日豪で異なるようだ。
日本の教師は学習指導だけでなく、生活指導、進路指導、特別活動や人間関係の指導などあらゆる分野の指導を担っている。社会生活や家庭生活にまで関わることがある。そうした指導をする中で、教師は個々の生徒とのつながりを深めていく。
学習指導だけだったらおそらく踏み込むことはないと思われる領域にも、足を踏み入れて指導することが少なくない。学習以外のことに関わることが少ないオーストラリアの教師と大きく違う点だろう。
豪州の学生「学校はあくまでも学校だから」
ハイスクールの女子生徒に「学校は好き?」と聞いたら戸惑った表情を見せた。質問の意図が理解できないようにも思えた。なぜそんなことを聞くのかと言いたげだった。そして、彼女は言った。「School is School.(学校はあくまでも学校だから)」と。
「学校は勉強するところ。好きとか嫌いとか考えたことないわ」
と言っているように私には聞こえた。
「学校は好きですか」「学校は楽しいですか」という質問を生徒に投げかけたとき、「好きです」「楽しいです」という返事を聞くとなぜかほっとした気持ちになる。逆だとちょっと心配になる。
子どもたちは一日の大半を学校で過ごすのだから、学校が楽しいと思えるのは良いことだ。つまらないと思いながら過ごすよりずっといい。
だが、「学校が好き」「学校が楽しい」というのはそもそもどういうことなのだろう。算数が好き、理科の実験が楽しい、友達とおしゃべりするのが好きなどというのならわかる。
でも、算数は好きだけど理科は嫌い、授業はつまらないが部活は楽しいなどという生徒だっているだろう。総じて学校を好きか嫌いかで答えるのは、本当は難しいのかもしれない。
でも、質問する人の期待に応えようとする日本の「良い子」たちは、たいてい「好き(楽しい)です」と答えてくれる。