大河ドラマ『青天を衝け』。放送開始以降、高視聴率を維持し、最近では「平岡円四郎ロス」が報じられるなど、世間の注目は高まる一方だ。本記事では奥野宣之氏編訳の書籍「抄訳 渋沢栄一『至誠と努力』人生と仕事、そして富についての私の考え」(実業之日本社)より一部を抜粋し、吉沢亮演じる主人公・渋沢栄一が実際に記した修養論を紹介していく。
渋沢栄一「猫でも杓子でも同じ教育」…今日にも続く日本の社会問題 ※画像はイメージです/PIXTA

日本社会で根深い「教育問題」と社会の関係

■大将ばかりで社会は回らない

 

こんにちの教育も、そして若者の希望進路も、学校の制度も、「大将」ばかりをむやみに作ろうとしているのではないか。「高等遊民」なんていうのが出てくるのも、教育制度の結果だろう。

 

もう少し、下の方から仕上げていくようにせねばならない。職工学校とか徒弟学校とかいった中級の実業学校がもっとたくさんできて、子供たちがそこで学びたがるようにしなければ。

 

そこからでも偉い生徒はやはり偉くなる。いや、偉くならなくてもいい。その能力に応じて、たとえば包丁やまな板のような役割をする人がいなければならないのだ。

 

■能力や適性に合った学問を

 

学校が生徒の能力やその親の資力などを詳しく調べてから、「この子にはこの学問をさせた方がいい」と指導する――。こんなことは到底できないとおっしゃるだろう。

 

だが、今の教育はこれとすっかり正反対で、猫でも杓子でも同じ教育を受けさせる、といった仕組みになってしまっている。学ぶ側も、自分の能力や資力を考えず、ただ学歴を求めるだけ。こういうのがこんにちの風潮となっている。

 

そんなことをしているうちに大きな弊害が生まれる。学んではみたものの、就職が決まらず、そのうちノイローゼに…。こういうケースはしょっちゅう聞くのである。