ダメなケアマネは替えることができる
だから、頼りになるケアマネに当たるか、そうでないケアマネに当たるかは運しだいだというのです。
しかし、利用者には私同様ケアマネの知識はありません。運悪くダメなケアマネに当たっても、それを当たり前の姿として受け入れるしかないわけです。
その後、私はあるウェブマガジンで介護の原稿を書くようになりました。自身の体験談からスタートしたのですが、しだいにケアマネに取材をし、利用者やその家族がより良い介護生活を送るための情報を伝える内容になりました。
取材対象者は井口さんの推薦です。客観的な立場でケアマネを見ることができる井口さんの人選は的を射ていて、紹介してもらったケアマネはみな、意識が高い人たちでした。ひとりに取材すると、その人が知り合いのケアマネを紹介してくれるということがつづき、私は豊富なケアマネ人脈を得ました。彼らとは長いつき合いになり、本音を語ってもらえる仲にもなった。世間にはあまり伝わらない情報も聞けるようになったわけです。
●「このケアマネではダメだ」と思ったら…
その情報とは、「良いケアマネとダメなケアマネはどこが違うか」とか「サービスに不満があるとき、ケアマネにどう伝えるべきか、どこまで要求できるか」といった内容です。そして「この人が担当をつづけたら、より良い介護はできない」と判断したら、ケアマネを替えることができるということも知りました。
介護には、多かれ少なかれ苦労がつきものです。しかし、味わう苦労の軽重もケアマネのスキルや人間性、仕事に対する意識によって変わる。介護の9割はケアマネで決まるといってもいいでしょう。ただし、介護は利用者の自宅という密室で行なわれます。利用者と家族は、担当になったケアマネの仕事ぶりしか知ることができません。力量をほかのケアマネと比較する術がないわけです。スポーツチームの監督なら、勝敗という結果でその手腕が判断できますが、ケアマネの場合はそうした判断材料がないのです。
そのため、わが家を担当するケアマネが有能なのかどうかを判断できないまま介護をつづけ、要介護者である自分の親などが施設に入るか、亡くなるかして、ケアマネとのつき合いが終わることになる。そんなケースが大半だと思います。
在宅での介護を終えた介護者は複雑な心境になります。背負っていた重い荷物を下ろしたような解放感もある。そのいっぽうで「もっとできることはあったんじゃないか」「あのとき、こうしていれば」という後悔も去来します。そして、後悔がある場合「担当ケアマネは果たしてあの人で良かったのか」という思いが浮かぶこともあるはずです。
私は一介護経験者にすぎません。しかし、たまたま仕事の関係で数多くのケアマネやサービス事業者と交流をもち、その世界の話を聞くことができるようになりました。あくまで彼らとの会話からですが、ケアマネの良し悪しを知る位置に立てた。比較することこそできませんが、その判断基準は知り得たわけです。
※本連載に登場するケアマネの方々、サービス事業者の方々のお名前は、すべて仮名です。
相沢 光一
フリーライター