「エスプレッソ=小さなカップで飲む、味の濃いコーヒー」と思っている人は多いでしょう。しかしエスプレッソは、通常のドリップコーヒーとは似て非なるもの。違いを知ると、もっと楽しめるようになります。今回は、日本のコーヒーの歴史を振り返り、「エスプレッソマシン」が普及した経緯を見ていきます。

「エスプレッソマシン」は高価で普及に時間がかかった

日本でエスプレッソがどう広がったのかを筆者なりに整理してみます。手始めにコーヒーがどう広がったのかを見てみましょう。

 

日本に初めてコーヒーが伝わったのは、江戸時代初頭。日本は鎖国をしており、海外との接点は長崎の出島などに限られていました。

 

その出島にオランダは商館を置いていました。日蘭学会の『オランダ商館日記』の1792年3月9日の記述には、「薩摩藩主がコーヒー豆と軟膏と膏薬を送ってほしいと頼んでいる」とあります。その薩摩藩主とは、薩摩藩の第8代藩主島津重豪です。そして3月29日は、「依頼に応じて商館長が何種類かの薬とコーヒー豆を送った」とありますから、重豪は求めたコーヒーを飲めたのでしょう。

 

重豪は、ヨーロッパ文化に強い関心を寄せる蘭癖大名の一人であり、オランダ語が話せたと伝えられています。彼の曾孫が、明治維新を担う西郷隆盛らを育てた島津斉彬です。

 

明治期に入り、西洋の文化や食事が入ってくると、コーヒーは文明開化を象徴する飲み物として徐々に認知されるようになります。

 

日本で最初の本格的なコーヒー店がオープンしたのは1888年(明治21年)。アメリカに留学経験のある鄭永慶という日本人が東京・上野に開いた『可否茶館』。現代風に読むと「コーヒーハウス」です。

 

このお店は時期尚早で長続きしませんでしたが、明治から大正を経てコーヒー愛好家は少しずつ増えてきました。そして第二次世界大戦による中断を経て、1950年(昭和25年)からコーヒー豆の輸入が再開されるようになり、昭和30年代半ばからの高度成長を背景にコーヒーと喫茶店は日本全国に広がるようになります。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

エスプレッソはどうでしょうか。味の素AGFのサイトによると、日本で初めて国産エスプレッソマシンが登場したのは、1956年(昭和31年)となっています。これが事実なら想像以上に早くから日本にはエスプレッソマシンは存在していたのです。

 

ただし、現代のエスプレッソマシンの原型となるFAEMA(ファエマ)社の「E61」がイタリアで登場する1961年より前の出来事ですから(「E61」の名は年号に由来)、果たしてどの程度本格的なものだったのかという疑問は残ります。

 

エスプレッソマシンは高価なものでしたから、これといったマシンがいらないドリップコーヒーと比べると普及には時間がかかりました。

 

定説はありませんが、日本の喫茶店が「泡立ちコーヒー」という名前でエスプレッソを出すようになったのは1980年代からだと考えられます。それでもエスプレッソローストをしたコーヒー豆を使い、エスプレッソマシンを使って9気圧で淹れたものは少数派。濃く淹れたコーヒーに泡を立て、デミタスカップで提供するものをエスプレッソと呼んでいたようです。

 

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