徳川家康の天下統一、最終仕上げは「豊臣氏の排除」
1603年、関ヶ原の戦いに勝利した家康は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命され、江戸に幕府を開きました。しかし、たった2年で将軍職を息子秀忠にゆずり、徳川氏が代々将軍になることを天下に示したのです。
1614年、家康は秀吉によって創建された方広寺(ほうこうじ)というお寺の鐘にある言葉に文句をつけます。
家康「『国家安康(こっかあんこう)』とあるが、『家』と『康』という字が離れているじゃないか! けしからん」。
単なる言いがかりですよね。でも、家康にとっては何かしら理由をつけて、豊臣氏を消し去りたかったのでしょう。関ヶ原の戦いで倒したのは石田三成であって、豊臣氏はまだ残っていたからです。
家康は1614年冬に「大坂冬の陣」、1615年夏に「大坂夏の陣」と二度にわたって大坂城を攻め、秀吉の息子・豊臣秀頼(ひでより)などを滅ぼしました。二度の戦いを合わせて「大坂の陣」と呼ぶこともあります。
200年以上も続いた「太平の世」…争いが減ったワケ
江戸時代の政治のしくみは、3代将軍である家光(いえみつ)の頃までにほぼ完成したと言えます。
1615年、2代将軍の秀忠が、武家諸法度(ぶけしょはっと〔大名を取り締まるルール〕)と禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと〔天皇<てんのう>や公家<くげ>を取り締まるルール〕)を制定します。
3代将軍の家光の頃には、参勤交代(さんきんこうたい)という制度が定められました。
<武家諸法度>
一、大名は学問と武芸にはげむこと
一、許可なく城を修理したり、新しい城をつくったりしてはならない
一、大名は勝手に結婚をしてはならない
一、大名は毎年4月に参勤交代すること
どうして勝手に結婚してはいけないのかわかりますか? ちょっと考えてみましょう。基本的に、上に書いてあることにはすべて同じ目的があるんです。
それは、「大名を強くさせない」「幕府に反乱する可能性を小さくする」ということ。結婚すると、親戚関係ができる。そこで、A家とB家が結婚し、仲良くなって手を握り、幕府を攻めてくるなんてことになっては困るわけです。だから、勝手に結婚するのは禁止です。
参勤交代とは「大名を1年ごとに江戸と領地に住まわせ、妻子は人質として江戸に置く」というものです。
まず、往復の費用や江戸での生活費で、大名には大きな負担がかかります。幕府は、大名に経済力をつけさせたくなかったんですね。
さらに、妻子を人質に取っておけば自分の領地で勝手なマネはできません。なぜなら、自分の大切な家族が殺されてしまうかもしれないからです。
他に「船を勝手につくるな」というのもあるのですが、これも貿易によって経済力がつくことを恐れたのでしょう。徳川家はいろいろと考えて大名の力を抑えようとしていたのです。
松本 亘正
中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表
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