「トップの意思決定」頼りの時代は終わった
AI時代の到来により、従来以上に個人や組織の「考える力」が求められています。環境の変化するスピードが増し、トップの意思決定だけを頼りにした組織運営は今後ますます難しくなっていくでしょう。たとえば、震災時の顧客対応で話題になったディズニーリゾートのように、メンバー1人1人に裁量を与え、困難な状況下でも各人が主体的に考え、判断・行動する組織は1つの理想像です。
しかし、社員や部下に対して「考えろ」と指示や指図をするだけでは、なかなか理想の状態には近づきません。コーチングの観点を用いて、1人1人が思考・行動するように導くにはどうしたらよいのかを一緒に考えてみましょう。
◆問い続ける個人、組織
アップルの故スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月に米スタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチのなかで、「17歳から毎朝必ず、“もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか”と自問していた」、というエピソードを紹介しています。ジョブズ氏が挑戦を続けた背景には、日々の問いかけがあったのです。
もし、ジョブズ氏と同様に、毎日自分に良質な問いかけを続けると、みなさんのこの先の10年が大きく変わる可能性があります。問い続けるとは、すなわち、思考し続けることです。たとえば、「1億円の売上げをあげたい!」と「1億円の売上げを上げるには?」の違いは、前者は目標や意気込み、後者は問いかけです。目標を掲げて意気込むだけでは人間は思考しません。実は、掲げるよりも問い続けたほうが、思考が巡り、気づきやひらめき、そしてアクションが引き出されるのです。
スポーツ界の事例を紹介します。早稲田大学ア式蹴球部(ア式蹴球とはサッカーの別称である「アソシエーション式フットボール」に由来する)が2018年に関東大学1部リーグに復帰(昇格)し、新シーズン開幕前に「なぜ、大学でサッカーするのか?」というTVCMを撮影しました。映像のなかでは、「大学からプロを目指すのか?」「試合に出られない選手にチームを強くするアイデアはあるか?」「プロに勝つ戦術は?」など、選手(学生)たちの肉声による様々な「問い」が続きます。
たとえば、「なぜ、大学でサッカーするのか?」という問いは、高校卒業後にプロになる道も狭まり、勉強も遊びもあるなかでサッカーに取り組む理由を問うています。この問いに向き合うことで、「ただなんとなく……」という惰性を排し、目的思考を磨くことができます。
実際に外池監督は、選手たちに何かを押し付けるのではなく、問い続ける指導を実践しました。そして、選手たち自らが問いを発し、思考する習慣を身に付けた結果、単調なパス練習の時も、厳しい走り込みの時も、また試合に出られない時も、「なぜ自分たちはこれをやるのか?」「チームが勝つためにはどうしたらいいのか?」を考え続けたそうです。そして、練習の質を高め、チームとしての一体感を高めた結果、1部リーグ復帰1年目で優勝という快挙を成し遂げました。
上記の2つの例から、「問い」を発することで思考が深まり、個人や組織が磨かれていくことがわかります。言い換えると、「考えろ」と叱咤するだけでは、社員は考えるようにならないということです。経営者やリーダーは良質な「問いかけ」を活用することで、個人も組織も自ら考え、動き出すのです。
経営者が心がけるべき「良質な問いかけ」とは?
問いかけにも、思考が深まるものと止まるものがあります。せっかく問いかけを意識したのに、相手を思考停止に陥らせては元も子もありません。ぜひ、以下のポイントを心がけて「問いかけ」に取り組んでみてください。なお、これらは、社員育成に限らず、人材育成全般に有効です。子育て等にもぜひご活用ください。
1.準備~スタンスを見直す~
(1)すぐに正答を求めない
コーチングの格言の1つに「クライアント(相手)のなかに答えがある」という言葉があります。この言葉をセミナーで紹介すると、「何も知らない子供や新入社員が答えを持っているのか?」と質問をいただきます。実は、この手の疑問を持つ方の多くが、「答え=正答」という固定観念を持っています。
しかし、「誤答」も答えの1つと考えることが出来ます。始めは誤答も許容しながら、「答えを出そうと思考する」習慣作りを心がけましょう。少しの忍耐が必要ですが、正答を出せるようになるためには、まず思考訓練の積み重ねが不可欠です。
(2)自身が「問題解決」を行わない
経営者やリーダーの皆さんは、問題解決に長けています。ゆえに、自身で解決したほうが効率的で効果的な場面も多いでしょう。解決や判断こそが、自身の役割だと考えている方もいるかと思います。
しかし、権限を委譲し、任せていかなければ人材育成は出来ません。常に自分が解決していては、必然的に相手は思考停止になります。打ち合わせや会議を、自身が判断するための「情報収集の場」から、社員の判断を促す「情報整理の場」「問いかける場」に変えることが出来るとよいでしょう。
2.効果的な問いかけ
(1)オープンクエスチョン
オープンクエスチョンは、「はい/いいえ」で答えられない質問のことをいいます。簡単に「はい/いいえ」で答えられる質問では、なかなか思考が深まりません。たとえば「なぜ、そう考えるの?」と5W1Hを意識することで、オープンクエスチョンを実践できます。
<質問例>
「どのように進めていくつもりかい?」
「君が私の立場なら、どうする?」
(2)具体化と抽象化
個別具体的な話をしがちな方、全体論や概論に偏りがちな方、人それぞれ癖があります。個別具体的な話の時には「全体としては?」、抽象的な話の時には「具体的には?」、と問いかけることで、相手の思考を深めることが出来ます。
<質問例>
「具体的にはどういうこと?」
「全体としてみると、どんなことが言えると思う?」
(3)固定概念を外す
人は誰しも思い込みを持っています。オウム返しや「本当に?」と問い返すだけでも、人は自分の考えに疑問を持ち、思考を始めます。1990年代に自動車メーカーの間で、年間400万台生産しない自動車メーカーは淘汰されると叫ばれ、各社がM&Aに走りました。しかし、「本当に?」と問うことで、ホンダのように独自の戦略を描き、現在も競争力を維持している企業があります。
「本当に?」という質問だけでは「はい/いいえ」で終わってしまうこともあるので、相手の答えを待って、問いを重ねるとよいでしょう。
<質問例>
「本当に?」⇒「なぜ、そう思うの?」
問い続けることで、個人も組織も磨かれ、変化に強くなるでしょう。しかし、問いかけることは、相手の思考を促す=待つ、ということであり、忍耐や辛抱を伴います。一時的には、経営のスピードが落ちる可能性もあります。難しい判断を迫られる場面もあるかと思いますが、将来の人材育成や組織力強化と天秤にかけて、意識するとよいでしょう。
森 琢也
MASTコンサルティング株式会社パートナー 中小企業診断士
プロフェッショナルコーチ