「5年後」を見越して各種の手を打てるか
静岡県にある精密機器のメーカー、スター精密は1947年創業。創業時は部品の下請けメーカーにすぎませんでしたが、創業時から脱下請けを目指して様々な策を講じた結果、工作機械という分野でマーケットシェアを得ることができました。これは、現在でもスター精密の稼ぎ頭になっています。
創業から10年後の1960年代には、国内でもつくればいくらでも売れる時代に、好景気はいつまでも続かないと見越して、海外への販路開拓を始めました。
最初はまったくの手さぐりでしたが、10年かけて輸出事業を黒字にし、1970年代には生産拠点も人件費の安い海外に確立しました。後に大手メーカーの海外工場への進出がブームになりましたが、だいぶ先を行っていたのです。他のメーカーが今日の売り上げ、今日の利益に満足し、血眼になって節税策を講じている間に、スター精密は10年後の会社の市場を開拓していたわけです。きっと今頃は、2020年あたりを想定して業態を開発していることでしょう。
先見の明があったという言葉で片づけてしまえばそれまでですが、一つの市場がいつまでも続かないことや、国内の人口が将来的に減少することは、1970年代の時点から誰にでもわかっていたことです。その事実に目をつむって対策を後回しにするか、先を見越していろいろな手を打つかの違いがあったわけです。
「社長の最大の役割は事業の方向づけである」スター精密、佐藤社長のことばです。
現在、会社の業績が思わしくないことは、現在の努力不足によって起こっているわけではありません。ましてや、社員が以前よりさぼって、稼がなくなったわけでもありません。5年前に、社長が事業の方向づけをしなかったからです。
これからの1年、経営計画書の作成を決め、5年後の新たな稼ぎ頭を確立するための最初の年として、全社を挙げて商品開発、業態開発に取り組む決定をするか、それとも、相変わらず日々の売り上げを追いかけることに終始するか、その決定で5年後の未来が既に決まっているのです。
戦いの真の相手を教えてくれる「経営計画書」
「理事長、大変です! 今度あの事務所がこんなことを始めたようです。月々○○円でここまでやるようです。ホームページに書いてありました」
理事長とは私のことですが、社員からこんな報告を聞くと、10年前の私なら、あたふたして、何とかしなければと騒いでいた気がします。最近ではほとんど行かなくなりましたが、業界向けのセミナー。10年前は、セミナーに行くたびに、これからのトレンドはこっちか、今度はあっちかと方針をころころ変え、今考えても薄っぺらい経営をしていたなと思います。社員もずいぶん振り回されていたことでしょう。
経営計画書を道具として8年、気がつくと、世の中の雑音とホンモノの違いがだいたいわかるようになりました。自社の主戦場を経営計画書に明文化すると、
「理事長、今度あの事務所がこんなことを始めたようです」
「そうか、応援しよう」
こんな感じです。全然ブレなくなります。今では社員までそんなふうになってきました。
平成25年の夏、ある方から「あなたの事務所に興味があります。一度会って相談させてほしい」という手紙をもらい、面白そうなので会ってみることにしました。その方は業界最大手の会計事務所から依頼を受けたM&A専任者で、私の事務所を買いたいとのこと。
全国展開するに当たって、所沢の拠点を物色していたようですが、驚いたのはその売買条件で、売買金額はだいたい現在の私の事務所の年商で、私は所沢の支店長として、また社員も現状のまま、給与も今の額を保証するとのこと。本部からの監督指導は年に1〜2回程度で、莫大な広告費を投じて、所沢の相続市場を独占していこうという狙いです。
もちろん売りませんが、これだけの条件が出れば、ただでさえ右肩下がりの業界ですから、いずれ別の誰かが売ることだろうと思いました。100%脅威を感じないといえばウソになりますが、経営計画書に事業の方向づけが明文化されていますから、競争相手がどんな手でこようとあまり関係ありません。目指すところが違うからです。
経営計画書は、戦いの真の相手を教えてくれます。真の競争相手は、競争他社ではなく自分たち自身であることを。経営計画書というのは、本当に、経営をウルトラC級に変える「魔法の書」です。
「来期から経営計画書をつくる」と決める
「社長が決めてくれないから動けない」。私の職業経験で、社員の社長に対するもっとも根強い不満です。そして、こういう会社ほど、社長にそういう認識がない。
債務超過に陥った会社がありました。ある事業で大きな損失を出し、まさに「再建」しなければならない状況ですが、その社長は捨てるという決断ができないでいました。再建のセオリーは、何がどうあろうとまず止血することです。他の儲かる事業でどんなにがんばっても、穴が開いていたら意味がない。決断が遅れると、手遅れ以外に手に入れるものはない。
社長に、なぜその事業を切らないのか、と聞いてみると、その事業を辞めた後に、今ある借金を既存の事業で今後返済していけるか、近々の資金繰りがつくかどうか、銀行の協力が得られるか、社員はどう思うか、などなど不確定要素が多すぎる、とのこと。
気持ちはよくわかるのですが、入り口のところで「決断」しない限り、その先の不確定要素は一生、確定しない。社長にそのことを申し上げてから1週間後、捨てると決めたら、半年もやもやしていたことが嘘のように、話がどんどんと進み、銀行の協力も得られることになったと電話で報告を受けました。「今回のことは、関根さんのいう通りだった」と。今回だけ?と思いましたが・・・。
社員は社長に、ただただ早く決めてほしいと願っています。再建などのセオリーは別としても、どっちを選ぶかの問題ではなく、どっちかに早く決めて走り出すことです。決めて走り出せば、今まで見えなかったものが見えてきますから、そこから引き返しても全然遅くはないのです。
私の事務所の「社訓」は10箇条あります。8年前、経営計画書を初めてつくった際に定めました。そのうち、7コはあるN社からそっくりそのままちょうだいし、残りの3コも別のN社から、やはりそっくりそのままいただきました。
最近では、ネット上などでその社訓に出合うと、「ん? うちのマネ? ・・・いやいや、うちがマネたんだった」などと図々しくなりましたが、私のように能力がない人間は、能力のある人のマネをするのが一番手っ取り早い。8年もその社訓と付き合っていると、いつの間にか、「ひとまず」が自分のものになり、もしかしたら、いつか師匠を抜く日が来るかもしれません。
経営計画書を道具としてスタートしたいと思う社長のもっとも正しい決断は、来期から経営計画書をつくると決めること、中身はひとまず人から借りること。あーでもない、こーでもないと中身に悩んでいたら、いつまでたっても始まりません。
関根 威
SMC税理士法人 代表社員理事長