農民工市民化のコストは?
地方政府の消極性は新たに生じる財政負担に起因する。社会科学院「中国城市(都市)発展報告」によると、市民化で発生する費用は1人あたり13.1万元、内訳は一過性の費用として、子女教育のための呼び寄せ等1.4万元、公共低廉(保障性)住宅提供1.2万元、長期にわたる費用が社会保障関係10.6万元(44年間、年平均24百元)だ。
仮に毎年13百万人ずつ都市戸籍を付与すると、毎年将来にわたる財政負担が1.7兆元ずつ(13.1万元×13百万人)、当該年の財政負担だけでも37百億元ずつ{(1.4万元+1.2万元+24百元)×13百万人)}が新たに発生する計算で、これは地方政府公共財政収入9.1兆元(17年)の約4.1%に相当。新常態下で成長率が減速すると、税の自然増収分の約半分をつぎ込む計算になる(注)。
(注)第13次5ヶ年計画の年平均成長率目標下限6.5%、物価上昇率1.6%(17年実績)を前提にすると、名目成長率8.1%、仮に税収弾性値を1とすると、税の自然増収伸びも8.1%。
他方、同じ政府系シンクタンクでも、都市化の旗振り役である発展改革委傘下のマクロ経済研究院は(当然ながら)、農民工を市民化するコストが過大に見積もりされていると指摘し、財政負担増が農民工市民化のネックになるとの主張は誤解に基づくものとしている。それによると、市民化の1人当たりコストについては数千元〜10数万元と推計に大きな幅があるが、何れも以下の3つの点を無視している。
①市民化に伴う経済収益。農民工が都市部に流入すると、都市部の労働力供給が増加し労働力コストが低下、企業の生産コストが下がり「生産者余剰」が発生。また安価な消費財・サービスが供給されることで「消費者余剰」も発生する。都市部の既存労働力を排除するクラウディングアウト現象が一部生じても、それよりはるかに大きなプラス効果(移民剰余)がある。2014〜20年、1億人に都市戸籍を付与した場合、その経済収益は年平均760億元強、累計5300億元強。
②財政収益の増加。農民工の市民化は所得税や増値税等、都市の財政収入を増加させる。推計で年平均約240億元、2014〜20年累計1600億元以上。
③財政負担軽減。市民化で農民工が農村で享受していた公共サービスのコストがなくなる。また、市民化には基礎インフラ整備が不可欠だが、通常、基礎インフラのかなりの部分が公共財政ではなく、市場を通じ民間によって供給されている(近年、基礎インフラ投資に占める公共財政シェアは約15%)。
これらの点を考慮した調整後財政負担は年平均約980億元、累計6800億元以上(内訳は子女教育56%、基礎インフラ28%、住宅保障、就業サービスが各8%、社会保障0.8%)。
以上の結果、差し引きで2014〜20年、年平均20億元強、累計約160億元、収益がコストを上回る(図表1)。
[図表1]農民工市民化のコストと収益
以前から、専門家は戸籍改革と財政改革は一体であるべきこと、特に中央と地方の支出責任と財源配分のアンバランスの是正が不可欠と指摘してきた。発改委マクロ経済研究院も、地方政府は市民化に伴う財政コストの97%を負担する一方、収益はその67%しか享受できていないというアンバランスがあり、市民化推進の責任を過度に地方政府に押し付けるべきでないとしている。
この点に関連し近年、一定の政策対応が見られる。これまでは、中央政府から地方政府への財政収入移転(転移支付)は都市戸籍者数が基になっていたため、例えば農民工流入が多い広東省の1人あたり転移支付額は減少する一方、人口流出地域では増えるという現象が生じていた。
発展改革委他関係部局が15年合同で発出した「国家新型城鎮化総合試点方案」では、当該都市の農民工への都市戸籍付与数量と転移支付、都市部での建設用地増加規模や都市インフラ建設への財政補助をリンクさせるメカニズム(挂鉤機制)を強化していく方針が示された。農民工に都市戸籍を付与し、その市民化を図っていくことを条件に、転移支付、都市部での建設許可を進めていこうとするものだ。
農民工の市民化と都市戸籍の問題を切り離す流れも
中国では都市部の土地は国有だが、農地は集団所有となっている。農民の「三権」とは、集団契約で請負(承包)・利用する権利(土地承包経営権)、住居用に使用する権利(宅基地使用権)、農地耕作から生じる収益を分配して受ける権利(集体収益分配権)を指す。
以前は、この「3件旧衣服」と引き換えに、都市での「5件新衣服」、つまり、年金、社会保障、最低生活保障、住宅、就業を保証する地方が多かったが、15年11月、国務院は「農村改革総合実施方案」を発出し、都市部で働く農民工の農村での三権を保護する方針を打ち出した。
その背後には、土地承包経営権と宅基地使用権は法律で農民に付与された物権、集体収益分配権は農民が農地の集団所有構成員として享受する財産権だが、農民工が都市部で享受するべき権益は人権で、これらは二者択一ではないとの認識がある。問題は都市戸籍の有無ではなく、都市部で農民工が都市戸籍者と同等の公共サービスを受けられるかで、農民工の市民化と都市戸籍の問題を切り離そうとするものとも言え、これを突き詰めれば、都市戸籍を付与するかどうかは形式的な問題となる。
実際、第13次5ヶ年計画に先立ち、14年7月国務院「戸籍改革を一層推進するための意見」は初めて分離戸籍の見直しと統一登記制度に言及した。また、各省市区が発出している戸籍改革実施方案にも同様の提案がある(17年2月11日付公安部網)。他方で、農民工が然るべき補償を受けて自発的に三権を放棄し、都市戸籍を取得する「自発的退出」を政府が提唱する動きもある(16年11月3日国務院新聞弁公室記者会見)。
さらに、居住証制度拡大の動きがある。先進国のグリーンカードを参考に2010年発改委が提唱し、当初、上海、成都、昆明、瀋陽、その後、深圳、北京、天津などが試験的に導入している。6か月以上居住するなど一定の条件を満たす者に対し、それまでの「暫定居住証」に代え「居住証」を発行し、戸籍に関係なく、都市部で都市戸籍者と同等の公共サービスを受けられるようにするものだ。16年1月、全国的に居住証制度を暫定的に施行する「居住証暫行条例」が発効し、これに基づき、その後各地域が実施細則を発表した。ただ、
①戸籍と異なり、通常有効期限が1年で更新手続きが必要
②居住証で享受できる公共サービスの範囲は都市戸籍より狭い場合が多い
③公共サービスの供給が需要に追い付かない場合、居住証保持者が後回しにされることが多い
④居住証制度をどう実施するかは地方政府の裁量に任されている
等、制度に大きな不確実性がある。居住証が都市戸籍取得の要件の1つと位置付けられていることからも明らかなように、その価値(含金量)は都市戸籍より低い(発展改革委研究院、中国発展観察2017年2〜3期)。
現行5ヶ年計画は「戸籍制度改革を深化させ、居住証制度を実施する」としているが、それは、20年までに、1958年以来半世紀以上続いてきた都市と農村を分離した戸籍を、統一登記を通じ居住証制度に全面的に置き換えるという歴史的政策転換を意味するものとの解釈もある(16年3月18日付中国改革論壇)。
しかし上述の通り、5ヶ年計画にはなお都市戸籍比率の目標があり、大都市ほど保守的で、外来者に対し、数量化した諸指標が一定の条件を満たすまで都市戸籍を付与しないという厳格な方針(「積分落戸」と呼ばれるポイント制に基づく戸籍付与)を推進している場合も多い(16年10月17日付知乎専欄)。都市戸籍と居住証の並存、農村の三権、都市部での公共サービス享受を、中国政府は全体としてどう整理していくのか、なお判然としない。