「私たちが住む家なんだから」妻が夫に言ったこと
その夜、正明さんは洋子さんに話しました。
「美咲が困るなら、売るのを少し待ったほうがいいのかな」
洋子さんの答えは意外にはっきりしていました。
「でも、私たちが住む家でしょう」
娘を突き放したいわけではありません。
必要なら一時的に泊めることも、お金以外のことで手を貸すこともできる。ただ、そのためにいつ使うか分からない部屋を残し、夫婦がこの家に住み続ける必要があるのか。それは別の問題ではないかと洋子さんは考えていました。
「美咲が40歳を過ぎても、私たちがずっと『帰る場所』を用意しておくの?」
その言葉を聞き、正明さんも考え直しました。後日、夫婦は美咲さんを交えて話をしました。
「家を売るのは、予定通り進めようと思う」
美咲さんはすぐには納得しませんでした。
「私が戻りたいって言ったらどうするの?」
「そのときは、そのときにできることを一緒に考える。でも、この家を残しておくこととは別だと思う」
正明さんがそう答えると、美咲さんは「そっか」とだけ言いました。
娘にも事情があります。離婚後は、それまで夫婦で負担していた住居費を自分の収入を中心に賄わなければなりません。子どもの生活環境も簡単には変えられません。
美咲さんはその後、勤務先と娘の学校の双方から通いやすい地域で、以前より家賃を抑えた賃貸住宅を探しました。
実家に置いた荷物についても、「新しい家に入らないものは自分で処分する」と決めます。
数ヵ月後、正明さん夫婦も駅に近い中古マンションの購入を決めました。4LDKから2LDKへの住み替えです。
引っ越しの準備をしていると、美咲さんが自分の子ども部屋を片付けに来ました。
「ここ、本当になくなるんだね」
少し寂しそうに言う娘に、洋子さんは答えました。
「家が変わっても、帰ってきちゃいけないわけじゃないでしょう」
美咲さんは笑って、「まあ、そうだね」と返しました。
親の家は、子どもにとって思い出の場所であり、いざというときの安心材料になることもあります。一方、その家を維持し、日々管理していくのは、そこで暮らす親です。家族だからこそ、「困ったときには何を助けられるのか」と「親自身の生活として何を変えるのか」を分けて考えることも必要でしょう。
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