(※写真はイメージです/PIXTA)
這い上がれた理由
都心のタワマンを出て郊外の賃貸アパートへ移ったあとも、泥沼の葛藤は続きました。
ミナさんもすぐには現実に適応できず、ママ友の目を気にして外出すら拒む時期がありました。スーパーで半額シールが張られた商品を選ぶことに情けなさを感じたことも。ケイジさん自身もプライドが邪魔をして、安価な店に入ることに強い抵抗感がありました。車売却の手続きをしながら声を上げて泣いたこともあります。お互いに「こんなはずじゃなかった」と焦燥感を抱え、ギスギスした空気が家庭を支配していたのです。
転機となったのは、いよいよ手元の蓄えが尽きかけ、子どもの学費すら危うくなったときでした。結局、子どもたちに奨学金を借りてもらって大学には進学させたのです。「親として、一番惨めな気持ちになりました」と振り返ります。
あるとき、ミナさんが「安い肉は臭くて食べられたもんじゃない」と焼きかけの豚コマが入った鍋をひっくり返し、泣き叫びました。散らばった肉と鍋の横で床に伏す妻を前に、家の中は悲痛な静けさに包まれました。これ以上見栄を張り続けることは限界だと、夫婦ともに突きつけられた瞬間でした。
しかし、泣いても誰も助けてくれない現実にぶつかり、ミナさんは「文句をいってもお腹は膨らまない」と、翌日履歴書を書いて近所のスーパーのパートへ面接に行きました。
「最初から物分かりのいい妻だったわけじゃありません。プライドを打ち砕かれ、葛藤し、散々泣き明かした末に、それでも家族を潰さないために腹をくくってくれたんです。スーパーで働きはじめた妻の背中を見たとき、私は自分の身勝手さと情けなさを心から反省しました。あの涙と泥臭い覚悟があったからこそ、私たちは数年かけてゆっくりと身の丈に合った暮らしを受け入れられたのだと思います」
「たまの贅沢」で感じる幸せ
現在、56歳になったケイジさんは会社員として再就職を果たし、年収450万円の収入を得ています。妻のパート収入と合わせて世帯年収は650万円。収入の範囲内で、落ち着いた暮らしを送っています。
「贅沢というのは、脳を麻痺させる快感に近いものなんです。でも、それが日常になるとありがたみが消えてしまう。いまはないからこそ気づける幸せがあり、週末にスーパーで少しいいお肉を買って家族で囲んだり、家族で回転寿司に行ったりする『たまの贅沢』こそが、人生で一番心を満たしてくれる瞬間だと気づきました」
しかし、平均水準に戻り、再び地に足をつけて暮らすようになったからこそ、ケイジさんが強く感じている「歪み」があります。
「私は運よく一度贅沢を経験できたから『たまの贅沢で十分』といえるのかもしれません。ですが、いまの日本の所得の中央値と呼ばれる水準を見ると、真面目に一生懸命働いているご家庭でも、その『たまの贅沢』すら躊躇せざるを得ない現実があります。物価は上がり続け、どれだけ働いてもそこへ届かないのだとしたら、この社会の構造は少し歪んでいるように感じてならないのです」
生活水準の「ダウンサイジング」の難しさ
経済学には「一度上げた生活水準はなかなか下げられない」というラチェット効果という概念があり、高収入時代に身についた消費の癖を抜け出せないまま、多重債務や家庭崩壊に陥る世帯は決して珍しくありません。
こうした状況において家計の再建を成功させるためには、最初は感情的な反発や葛藤があって当たり前だという前提に立ち、時間をかけて「固定費の削減」という現実に向き合っていくステップが必要です。ケイジさん夫婦のように、見栄を捨てる痛みを共有し、現状を受け入れたうえで、住居費や車といった大きな固定費を根本から見直すことこそが、本当の意味での破綻を防ぐ道筋となります。
また、ケイジさんが懸念するように、現在の社会状況において家計を維持しつつ心のゆとりを持つことは容易ではありません。日々の生活コストを見直し、本当に価値を感じる部分にだけ資産を投入することで、どんな経済的な荒波が来ても家族と日々の暮らしを守り抜けるのではないでしょうか。
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